シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

苦い薬はちゃんと飲むけど苦い忠告は嫌う人達

 
 抗生物質やらなにやら、体調が優れないと思った時に苦い薬を我慢して飲む人は多いと思う。少なくとも、口当たりの悪さを理由に内服を拒む人はそういない筈だ。手術や切開にしても同様だ。宗教的理由や金銭的制約などがない限り、切ればほぼ確実に助かる*1腫瘍の手術を敢えて受けない人というのは滅多にいない。
 
 しかし、これが忠告やらカウンセリングやらとなると話が激変する。人は、耳障りの良い忠告や、心地よいカウンセリングならば嬉々として飛びつくが、ちょっとでも苦みや痛みが伴うとこれを遠ざける。過度の砂糖が虫歯や糖尿病を悪化させるように、またはビールが痛風を悪化させるが如く、甘言はしばしば人にとって有害である。逆に厳しい一言・受け容れ難い忠告が問題解決に最短距離であったりする。もし、苦い抗生物質や痛い注射を受け容れる程度に理性的ならば、苦い忠告や息苦しい診療面接も受け容れられるものと思いたくなるが、どうも話はそんなに簡単では無いようだ。
 
 ※この問題を解決する一助としては、例えば治療者患者関係or友人関係を十分に育成し、苦い薬でも飲んでくれるような信頼なり関係なりを構築しておくというものがある。病院の医師が処方した苦い薬なら呑んでくれる人でも、新宿駅のガード下の浮浪者が100円で売ってくれた注射を打つ気にはならない。「この人の苦い薬なら呑んでもいいかもしれない」という何らかの前提・信頼・担保がなければ、人は苦い薬や痛い注射を受けてくれないし、これは忠告やらカウンセリングに関しても言えることだろう。誰かに苦い忠告を施そうとする人は、相手がそれを受け容れるに足るだけの信頼・担保を育成する必要があるだろう。または、麻酔を施しながら“外科手術”を敢行する必要があるだろう。
 

*1:そして切らなければほぼ確実に助からない