シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

『惑星開発委員会』の善良な市民さんは、極めて強大である

 
 私の手元に、『惑星開発委員会』の同人誌が二冊ある。『http://www.geocities.jp/wakusei2nd/p01.html』『第二次惑星開発委員会 PLANETS Vol.2』。オタク作品評論が好きなオタク達にとって、この二冊の挑発はとても手強いんじゃないかと思う。副題として『大衆を挑発するお茶の間襲撃マガジン』と書いてあるが、内容を読んでみると『安いオタ/サブカル野郎を挑発するオタ部屋襲撃マガジン』と表現するのが適切そうにみえる。だが、少し読んでみれば分かる通り、『惑星開発委員会』のメンバーは強力で、彼らと正面から議論するのは非常に困難である。まず、このテキストでは、『惑星開発委員会』の中心人物と目される善良な市民さんがいかに手強いのかに焦点をあててみる。
 

【善良な市民さんの手強さをご紹介】
 
 善良な市民さんの“挑発”にトサカに来ちゃったオタクはどうすればいいのか。議論に参加し、善良な市民さん達の問題点を突き詰め、論破すれば良いじゃないか。全くその通り。むしろ善良な市民さんは、真正面から議論に立ち向かってくる者をいつも待っていることだろう。だが、私の知る限り、『惑星開発委員会』を正面突破したオタクはあまりいない(論点がズレているのに論点が合っているように錯覚したオタクや、論点をズラして葛藤を防衛したオタクなら、これまで数限りなく存在するが)。そりゃそうだ、あれだけの出来のモノが創れる同世代オタクってみたことが無い。善良な市民さんは、
 
1.文化人のおっかけを一時期やっていたお陰で、ある程度までだが「現場」をおさえている*1。そのような努力も怠らない
2.(オタク分野で言えば)アニメを中心に、中学生ぐらいの頃から作品をきっちり追いかけている。
3.1970年代後半生まれで、第三世代オタク達の現場の手触りをじかに知っている
4.哲学分野やら文学分野やらにある程度通じている。議論に際して参照できる各分野の教養を相当確保している。
5.地頭がいい(これはもうどうしようもない)
6.オタク趣味やサブカル趣味しかアイデンティティを支えるものが無い、というわけではない。或いは、オタク/サブカル趣味で欲求不満や優越感の補償をしなくても大丈夫な部分を確保している、と言うべきか
 
 といったアドバンテージを保有したうえで議論を展開している。これだけの条件をそれぞれある程度の水準で満たしたオタク論者*2は、果たしてオタク文化を議論する論者にどれだけいるだろうか?私の知る限り、そんな奴はみたことがない。仮にいたとしても、極めて少数だろう。
 

 「別に、1.〜6.まですべて確保していなくったっていいじゃないか。俺は彼よりゲーム分野は詳しいから、そこで殴り込みをかけてやればいい」と仰る人もいるかもしれない。確かに、善良な市民さんとてオタク文化の津々浦々まで知っているわけではなく、彼の知らない所から切り込めば面白い議論が成立する可能性は十分ある。だが、幾ら2.においてアドバンテージを持っていたところで、(例えば)4.5.6.あたりがダメダメではお互いにとって有益なdiscussionが成立しがたいような気がする。まして、“正面から論破”なんて不可能に近い。しかも善良な市民さんのこれまでの傾向として、6.を満たしていないとすぐにそこを素早く突いてくる可能性が高く、6.を満たさずに防衛機制丸出しの論者は、痛いところを突かれて足元がぐらつき、“転進”を余儀なくされてしまうリスクを負うことになる。その手のツッコミでスゴスゴ引き下がるようでは、門前払いされてしまうだろう。
 
【実際に善良な市民さんを正面突破する為に必要な“想定戦力”】
 以上を踏まえると、もし善良な市民さんを正面突破しようと思ったなら(またはある種のヒエラルキーのなかで対等の目線で戦おうと思うなら、と言い換えるべきか?)、私は以下のポテンシャルを満たせるだけ満たしておいたほうが良い、と考える。
 
1.東京の偉い人のお話の現場を押さえていたほうが有利。ただし、これは必ずしも押さえておかなければならないという事は無いかもしれない。
 
2.該当オタク分野に関する作品の知識。善良な市民さんと同じ視点でなければならない、というわけでは無いにせよ、自分なりに作品の系譜なり歴史なりに通じている必要はある。他のオタク分野や、非オタク分野との関係などについても知っておかないとやばげ。もちろん台詞をいっぱい暗記していればいいなどというのは論外。
 
3.最近のオタク事情にタイムリーな話題を展開しようと思ったら、1970年代後半生まれとまではいかないにせよ、十分に現代オタク事情に通暁しておく必要はありそうだ。出来れば1980年代以降の動向に通じているとすごくよさげ。
 
4.議論のなかにしばしばモダン・ポストモダンの概念や語彙が登場するので、それらに関して知識があったほうが議論の障害が少なそうに思える、最低限なんとなく意味が通じるぐらいのほうが良い。なお、善良な市民さんの哲学的知識がどの程度のものかは不明にせよ、構造主義以降の本だけを読んでいるなんて事はまずあり得ない。東洋思想に関しては不明だが、西洋思想に関しては一通りの“流れ”くらいは把握していると思っておいたほうが無難。同様に、文学作品に関しても新しい時代の作品だけ読んでいるなんて思いこみは捨てたほうがいい。彼の指すところの教養は、1960年以降だけ読んでいれば良しなんていうものでない筈だ。参照できる作品の幅と数(と系譜についての知識)は、善良な市民さんとの正面議論を行なうなら用意したほうが良いと推測される。ただ、教養腕相撲をやるわけではない以上、そういう分野の知識をひけらかせば勝てるなどといった非生産的なことは考えないほうがいい。*3
 
5.頭は、出来るだけ良いほうがいい。じゃあどれぐらいが良いのかと訊かれると困るけど、出来るだけよく回るCPUで議論に臨みたい。こればかりはどうにも出来ないが。
 
6.オタク趣味の狭い井戸のなかだけで優越感ゲームを展開していて、その一環として善良な市民さんにつっかかる人は、絶対に足元を掬われる。『サブカル・オタク趣味のなかでヒエラルキーを想定して自分を高い位置に置かなければ劣等感を補償できない』なんて人を、善良な市民さんが見逃す筈が無い。そこの所を突かれて撃沈するか、完全にスルーされてしまうか。
 この同人誌がターゲットにしているであろう層が挑発された時、新しい考えを巡らせたり対等の議論を試みるというよりも、おそらくは指摘された痛いところに首を引っ込めてしまう*4傾向にあることぐらい、『惑星開発委員会』は織り込み済みだ。
 
 
【ほら、手強いでしょう?】
 
 さてどうだろう?こんな化け物絶対無理!って思った人も多いんではないだろうか。少なくとも、私はこのリストを満たしていないしこれからも満たせない。善良な市民さんを真正面から(=同じ次元から)論破する為に要求されるものは、善良な市民さん自身の運用する教養なり何なりを考慮すれば極めてレベルの高いものとならざるを得ない。昨今のオタク界隈で文芸論をぶっている人達をみていると、2.を満たしているけれども6.満たさない人とか、6.を満たしているけれども5.があまりにお粗末な人というも多く、善良な市民さんほどのカードを同程度の豊富さで取り揃えた人というのはまずいないようにみえる。オタク界隈の外にはそういう人もいるようだが(ただし、2.3.を満たしていない人が多いかもしれない)、オタク界隈のなかには絶無に等しいように思える。少なくとも私はみたことがない。
 
【まとめ:彼の視点で彼を正面突破出来る者はいないと認めてしまえ】
 
 このテキストにおける結論を言っちゃおう。
 オタク界隈でオタクコンテンツについて議論を行う人は、安易に善良な市民さんと正面決戦をしないほうがいい。前項1.〜6.を満たす人なら効果的な議論が可能かもしれないが、あのモンスターと正面決戦が可能な教養・オタク史観・経験・地頭・葛藤解消を確保している第三世代オタクは、(今現在)おそらく日本全国を探しても数えるほどしかいない。ひょっとしたら絶無かもしれない。2006年現在の第三世代オタク文芸論者達は、善良な市民さんと正面決戦を企図したとしても、噛み合っていてなおかつ有意義な議論が可能かというといささか怪しい。どうせ善良な市民さんの独壇場になるのがオチなんじゃないかと思う。*5とりわけ、6.を満たさない人達・オタクコンテンツを文芸的論壇的サブカル的に消費しヒエラルキーを想定して優越感を備給する人達には勧められない。善良な市民さん達の圧倒的な戦力の前に、優越感ゲームに「負けて」べそをかくのが目に見えている。*6
 
 1970年代後半生まれのオタク論者としての善良な市民さんは、このように、極めて強大な論者である。おそらくだが、彼が望むと望まざるとに関わらず、善良な市民さんはオタク界隈の文芸的食物連鎖のてっぺんに位置していて*7追随出来る者は未だいない。しかも、単に議論に隙が無いとか頭が良いというだけでなく、やっていることと活動スタンスがクールなんだからたまらない。同世代のオタク論者に、1.〜6.において彼を凌駕する人物は存在しない(か、殆ど存在しない)し、彼をしのぐ文化的格好よさを確保している論者も稀だと思う。善良な市民さんと同じレイヤーで建設的な議論を行いたい人は、まず彼の強大さを十分に承知したうえで議論を行ったほうが良いと思う。また、『惑星開発委員会』を読んで何か学び取ろうとか考えようと思う人も、そこの所を承知したうえでで眺めたり運用したりしたほうがいいと思う。彼らは強くて格好よい。
 
 ところで、私はなぜ、わざわざ善良な市民さんの手強さを紹介するのだろうか?
 私個人の僻み根性を適度に発散させる為か?
 
 もちろんそれもあるが、それだけの為に紙幅を割いても面白くない。
 それよりも、彼がいかに重武装の論者であるかをはっきり意識することが、治療薬としての『惑星開発委員会』を考察する際の手助けになるんじゃないかと思ったからである。また、善良な市民さんがかくも重武装の論者として『惑星開発委員会』を進行させていった時の副作用を考察するうえで、彼の強大さ加減を思い知っておくと色々と都合がよさそうだからである。この副作用は、『惑星開発委員会』というテキストを適応向上の為の治療薬として消費する層にとって(つまり、善良な市民さんが言うところの挑発される大衆側にとって)決して無視できないファクターだと私は考えている。以後のテキストでは、そこら辺について触れてみたい。
 
↓つづく

*1:関連:ARTIFACT ―人工事実― : メディア経験主義のオタク、現場主義のサブカル−アキバにオタクを代表させることはオタクを現場主義にさせてしまうだろう−

*2:善良な市民さんを、オタク論者という枠でくくるのは間違っている。だがさしあたり、私のテキストはあくまでオタクコンテンツとオタク自身を論じる彼にのみ注目する

*3:そもそも、勝つ負けるという考え方自体が修羅界のモノの考え方で、建設的ではない

*4:ここで言う“首を引っ込めてしまう”とは、防衛機制を発動させて指摘から遠ざかってしまう、という意味である

*5:私個人は、仮にそうだとしても善良な市民さんのポケットの中身をかいま見れるかもしれない、という誘惑に抗しきれないような気がする。己の内に生じる幾ばくかの劣等感と引き替えに、彼の手の内や幅広い考察に触れる機会を与えられるなら、御の字というところだ

*6:まぁ、私が警告するまでもなく、『惑星開発委員会』に噛みつくオタク論者、とりわけ文芸的論壇的サブカル的ヒエラルキーごっこに悦楽しちゃっている人達は、真正面から噛みつこうとしせずに善良な市民さんの“圧力”をすり抜けようと側面に逸れているように見受けられるが。ただし私は、そうした側背攻撃が卑怯だとかいうつもりも無い。建設的な議論とは正直言いがたいが、それが当人の適応を守るなら、まぁいいんじゃないかと。

*7:『惑星開発委員会』が優越感ゲームをしている、という難癖をしばしば見かけるが、それは彼ら自身が実際に優越感に舌鼓を打っている為かもしれないが、それ以上に、彼らを優越感ゲームにおいてやっつけられないが故の僻み根性にも由来していると私は推測する