シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

水面に浮かぶアヒルの如くバタバタやらないと、安定した関係は維持出来ないよね

 
 しばしば、「○○をやれば男女関係は大丈夫」とか、「××と△△をやったから上手くいかないはずが無い」と、人間関係のノウハウについて語る人がいる。また、そういう話を聞いて安心したがる人も多い。確かに“ある状況”に限定して有効な処方箋なら、ある。男女交際を始める際にだけ有効なやつとか、合コンの時だけ有効な心構えとか。でも、長期間にわたるお付き合いに際して「これだけやっておけば大丈夫」というノウハウは多分無いと思うし、特定の生活環境や特定の契約さえ用意すれば安心なんてこともあり得ない。
 
 男女間に限らず、人間同士の関係は静的で安定したものと捉えるのは適切ではない。コミュニケーションの帰趨一つ一つや環境の変化、当事者のコンディション変化などによって、常に揺れ動くダイナミックなものと捉えたほうがそれっぽいと思う。一見、ひとところに留まって安定した二者関係が続いている場合さえ、これを石垣や凱旋門に喩えるのは妥当ではなく、むしろ潮目や梅雨前線のように、二つの異なる性質のもの同士が重なって均衡がとれた結果として「見かけ上の安定」が現出していると私は理解することにしている*1。見かけ上の安定している人間関係も、実はお互いが水面下で激しくぶつかりあっている結果だったり、「潮目」が維持されるように互いに働きかけあっている結果だったりすることに目を向けておかないと、人間関係を見誤るんじゃないかなぁ。
 
 「あの夫婦は、諍いが無くて楽でいいわね」なんて言う人は、潮目が一カ所に留まっているなら海流は静かで何も動いていないって言う人と同じぐらいヤバい。なんというか、みえてない。その夫婦が水面下で足をバタつかせている事・僅かなりとも関係がダイナミックに震動している事・その関係を安定させる為に大量のエネルギーを(片方が、ではなく)双方が消費している事etcは、ただ水面上の現象だけを眺めているうちは気づきにくい。だけどこの水面下のバタつきに気付かない限り、人間関係を意図的に動かすことはおろか、関係を意図的に維持することすらままならない。
 
 人間関係が醒めたり熱くなったりという変化だけでなく、安定しているという状態も、実は極めて“熱い現象”なんだという考え方*2。これって、観念遊びの世界だけじゃなくて実地の生活にも十分応用可能な考え方だと考えて、実戦投入するに値するんじゃないかなぁ。この考え方に基づいて考えるなら、「安定志向」に必要なのは“何もしない”ことじゃないってすぐ気づける筈だし、「安定志向」が案外欲深くて満たしにくいことにも気づく筈だ。今が安定しているからと言って、コミュニケーションを疎かにし、相手におんぶにだっこの日々を過ごしていれば、二者関係はあらぬ方向に迷走しはじめるだろう。こういった予期しない迷走を避けたいという人は、“人間関係という名の潮目”が自分にとって*3適切な位置と強度に留まるよう、常に働きかけなきゃまずいだろうし、自分一人だけじゃなくて相手の協力を乞わなければならないはずだ。え?面倒?確かに面倒かもしれない。だけど逆に考えれば、本来移ろいやすい梅雨前線の如き「人間関係」なるものが、安定した状態を維持出来るというのはそれぐらい有り難い事で、コストのかかるものなんだと理解するのが筋なんじゃないかなぁ。時々、安定した人間関係の維持をローコストローリターンな営みだと言う人がいるけど、そんな油断をしている人の人間関係は、無常の風が一吹きしただけで駄目になっちゃうと思う。
 
 あと、「安定した人間関係」の当事者同士が、実はそれぞれバラバラに人生行路を歩いている事を思い起こすにつけても、「安定した人間関係」の動的っぷりが一層気にかかる。お互い歳をとっていくし、お互い職場や体調もコロコロ変わるし、気分に至っては一瞬たりとも同じじゃない。そんな二人が*4、一定の安定した関係を続けるというのは、どれほど珍しく、なんて有り難いことだろうか!もし、あなたと相方(や友人)との間に望ましくて長続きしたほうが良さげな関係が続いているなら、これはもう、存分に感謝しながらしっかり関係維持・改善に努めるってもんじゃないか*5変化に原因があるのと同様、変化がなく一定である事にも常に原因があるって事を肝に銘じておけば、「今安定しているから手ぇ抜いていいや」などという判断がいかに愚かなものか、おそらく気付けるんじゃないかと思う。
 
【追記】2006-09-06 - すべての夢のたび。をみて
 
 印鑑とか契約とか環境固定とか、そういう外枠を用いて関係を維持するのは上手い方法だと思うけど、そこそこの湯加減で人間関係を維持するには不向きだとは思う。確かに、契約や環境の固定といった外枠を枠付けすれば、二者関係の安定は成し遂げやすくなると思う(し、だからこそ例えば結婚指輪などという枠付けも無意味じゃないんだろう)けど、外枠に頼りすぎた関係は、情緒面において一定以上の温度を保つことが出来なくなってしまわないか心配だ。いや、それで構わないという低温男女関係が本当に成立し得るならそれはそれで凄く気楽で良いことのような気がするんだけど、それを許容し得る人間というのはなかなかいなそうだし、第一低温過ぎると関係そのものが壊死してしまいかねない。一定以上の湯加減を保ち、なおかつ安定の関係を維持したいと思うなら、契約などの外枠に頼りすぎることなくコミュニケーションをとりながら間合いを保っていくってもんじゃないかなぁ。
 

*1:それどころか、万事が万事そうだという視点もあるけど、今回は人間関係だけに話を限定するので。

*2:ただし、安定していて熱くない関係も世の中には一種類だけ存在する。それは、無関係という関係だ。

*3:または、自分と相手にとって

*4:または三人以上のグループが

*5:ただし、必要に応じて関係を弱めたり強めたり、フレキシブルに対応しなきゃいかん事があるのは言うまでもなく。