シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

マイナーな日本語文化圏・日本語思想体系を敢えて精錬してみたい

 英語と中国語が世界共通の単語としてますます幅を利かせる今日この頃、英語力が貧困な私は「この程度の語学力で俺って大丈夫かなぁ」と思うことがしばしばある。英会話そのものはもとより、英語の文献を読むのさえグズグズ覚束ない自分を情けなく思うとともに、「英語をもっと使わなければならなくなったらどうしよう、立ち行かなくなるんじゃないかな」なんて不安をしばしば感じる。
 
 だけれど、私は敢えて日本語の習熟に今後も力を入れ、英語の水準は現在程度に留めておこうと思っている。大体、日本語そのもの私のレベルもまだまだ修行が足らん。将来、グーグルあたりが簡易汎用翻訳装置を出してくれると信じて(もし出てこなかったら僕の負け)、日本語の習熟と、日本語による思考体系に益々目を向けてみよう。将来そこそこの翻訳装置が出てきた時、英語はおろか母国語ですらマトモな思考を組めないようでは惨めな思いをしそうだし、何より、日本語(と日本語と密接にかかわりを持つ思想体系や文化体系)を熟知しておくことも、ひょっとして面白い恩恵をもたらしてくれるかもしれないからだ。 
 

  • 鎖国好きの、小さな島国の変人達が取り扱う、独自の思想体系

 
 グローバルな英語圏・中国語圏に比べると、日本語は小さな島国の限られた人間しか用いない、ヘンテコな言語に過ぎない。八百万の神々の住まうこの小さな国は、平安時代や江戸時代に比較的長くて堅い鎖国をやっていたこともあって、言語・文化・思想・宗教にそれなりの特異性を持っているように思う。このことは、英語・中国語を習得するうえで障壁になっている一方、日本人と日本語圏の思想体系や文化の独自性を保障してもくれている。サンスクリット語圏が0の概念をはじめとする独特の思想体系を構築したように、あるいはギリシア・ラテン語文化圏が(中世以降はキリスト教の影響下)特有の哲学体系を構築したように、日本人は、日本人なりの、特有の思想体系や文化体系を育んできていると思う*1。鎖国の合間に入ってくる舶来文化を取り込みつつも、概ね独自の「進化」を遂げた過去を持つ日本語と日本文化、日本語思考体系。モノに魂を見出す姿勢にせよ、漫画にせよ、短歌にせよ、日本語を駆使した先人が日本の風土・歴史のなかで作り上げたユニークな文化・様式なわけで、このようなモノは英語圏などでは生まれてくることは無かっただろう。今挙げたものはいずれも文化方面のモノばかりだが、実際は科学や哲学の面でも、日本語に属する思想体系と、(良くも悪くも)日本的な風土がなければ生まれ得なかった発想なりくみ上げ方なりが存在していると予想する。きっと国産車やパナソニックの商品なんかにも、そういうのが染み込んでいるんだろうな、と。
 
 

  • 日本語文化圏・日本語思想体系が産出する、英語圏にはない発想への期待

 
 だとすれば、日本語文化圏・日本語思考体系を特にクオリティ高く保有している者は、英語文化圏・英語思考体系を保有している者には思いつけないアイデアやコンテンツを産出するチャンスを有していると言えるのでは?もちろん、英語文化圏やフランス語文化圏でなければ思いつき得ないアイデアや体系・文化というものは確かにあるだろうし、メジャー言語圏は流通範囲が広いので拡散スピードも素早い。中国語文化圏からの産出も、やがてこれに倣うだろう。対して、日本語文化圏・日本語思想体系が生み出し得るコンテンツは、日本語ユーザーが比較的されているため、それらに比べれば拡散の速度が遅く、世界規模で認知される可能性自体低そうだ*2。そのかわり、日本語文化圏・日本語思想体系からは、文化は他所の文化圏所属者にはとうてい真似できないモノが生まれてくるかもしれない。オタクな話をすれば、「とらぶるういんどうず」や、アスキーアートの発展、ジャパニメーションといった作品群は、かな文字と八百万の神々を有する日本文化だからこそ沸いてきたコンテンツに違いなく、かな文字や八百万の神々を背景として持っていなかった場合、あんなものは生まれて来なかったか、相当違った形で生まれてくることになっただろう。英語文化圏でも、確かにアニメや同人誌は書けるかもしれない。だが、それはジャパニメーションでもないし、日本人の書いた同人誌でもない別物だ。ゲームにしても同様で、日本人の創るゲームと西洋人の創るゲームでは、「面白さ」の思考体系やアングルがかなり異なっている*3。もし、東亜プランの製作者がアメリカ人で全員英語を使っていたら、シューティングゲームはあんな進化を遂げなかっただろう(逆に、日本ではディアブロやUOは生まれなかっただろう)。
 

 エロゲーも、カフェならぬ喫茶店も、色んな神社も、日本語文化圏にいる人がつくったからこそあんな“日本的な”ユニークさを持つに至った。他所の文化圏に属し、他所の思考体系を持ち、他所の風土に馴染んだ人間にはとても作れるもんじゃない。文化コンテンツに限らない諸分野・やりとりにおいても、日本語文化圏と日本語思考体系の影響が確実に刻み込まれていると私は確信している。思考体系や言語を日本語に固定することは、グローバルでメジャーな文化圏の成員との相互誤解が生まれやすくなる一方、マイナー文化圏に所属しユニークな思想体系を保有することによるメリットを生じる可能性にも私は着目したい。特に、簡便でそこそこ使える翻訳ツールが出回った時、(言語・文化・宗教に由来する)マイナー言語圏由来のユニークさは、必ずしもハンディばかりになるとは限らないのでは?そんな風に思った時、高コストを払い、日本語を疎かにしてまで英語習得に拘泥するばかりが上手い方法とは限らないように思えるのだ。特に、やたら高コストを投入して英語をマスターしたはいいけれど、母国語でも英語でも貧困なセンテンスやコンテンツしか提供出来ないほど頭空っぽってぐらいなら、せめて自国語・自国文化だけでも堪能になっておいたほうがマシだろう。
 

  • 実際にはマイナー文化圏に属するメリットは享受しにくいにせよ

 

 将来、そこそこ便利な翻訳ツールが出たとしても、実際には殆どの人は文化コンテンツを海外に発信しないだろうし、日本的着想を生かした“創造的な仕事”をするに至る人は選ばれた一握りなんだろう。第一、英語文化圏・思考体系を微塵も意識しないでただ単に日本語文化圏・思考体系をぶつけるようでは、ディスコミュニケーションは避けられない。だとしても、折角日本語文化圏に属し、日本語思考体系を幼い頃から埋め込まれた身としては、それをディスアドバンテージとだけ捉えたり、マイナー文化圏としてコンプレックスを抱える思う以外の何かを模索したい。海外の文化や思考体系が生み出すものに着目しつつも、折角日本人として育ち埋め込まれた文化・思考体系を守り生かす可能性に執着したい。
 

  • マイナー文化圏・思考体系を持ったミームが持つ可能性

 
 以上は、私個人レベルの愛着と適応にまつわる話だったが、最後に、個人レベルの適応を超えた話題について考えてみる。メジャーな英語と中国語が世界を席巻し、マイナーな言語とマイナーな文化が“絶滅”または希薄化しつつある。日本語文化圏もまた、英語文化圏や中国語文化圏からの文化的・思考体系的影響をたっぷりと受けつつある。だが、これって考えようによっては勿体ない事ではないか?文化圏・言語圏の多様性は、思考体系の多様性、アイデアの多様性を包含する。少なくともその可能性を孕んでいる。種の多様性がgeneの生み出す生成物の多様性を期待し得るのと同様、言語思考体系の多様性がミームの生み出す生成物の多様性を期待し得るものとしたら?グローバル化・自由化とともに現在、言語的・思考体系的多様性は急激に喪われつつある。これってひょっとすると、種の減少に伴うgene(とその生成物)の減少と同じくらい勿体ないことではないか?日本語文化圏は十分な大きさを持っているので大丈夫だろうが、さらにマイナーな文化圏と言語思考体系は相当ヤバいことになっている。これは、知的ミームの多様性と創造性という視点からみると物凄く勿体ないことのような気がする。生物の多様性の保護と同じぐらい、言語・文化というミームの多様性の保護・育成も重要なことのように思えてくる。また、マイナー文化圏・思考体系を保有する者が特別のアドバンテージを確保するような状況も生まれてくるかもしれない*4
 
 [参考:ミームとは]http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%A0
 
 ※人種の多様性、というものは私はあまり考えない。だけど、言語・文化・思考体系の多様性については、色々考えちゃう次第です。
 

*1:それが西洋や中華の文化・思考体系と比べて優れているとか劣っているとかいった議論はひとまず置いておく。私個人としては、西洋文化に比べて日本文化が際立って劣っているとはあまり考えたくないし、同様に、ニューギニアの一部族の文化が日本文化に劣っているともあまり考えたくない、特に言語や宗教と関連した思想体系というレベルでは。というか優劣や善悪という視点を、言語と宗教に起因する一連の文化・思考体系に持ってくることを好まないらしい、私は

*2:ただし、言語の制約を受けにくい領域ではこの限りではない

*3:かつて、アメリカ製の某ゲームのModづくりで海外の人と意見交換する機会があった時、ああ、日本のオタクたる俺と西洋のnerdたる彼らは、着眼・面白いと思う所において様々な違いがある事に気付いた。また同様に、創るModの「面白さのコク」もぜんぜん違うんだなと思ったものだ。俺は英語がへたくそだったし、Modを組む際の技術そのものは拙劣だったが、「ははぁ、じゃあ俺は俺で言語だけじゃなくてもテイストも日本人オタク然としたModを製作出来そうだぞ」と思うことはできていた

*4:だとしても、メジャー言語との最低限度の疎通性というか、やりとりというかは要請されそうだけれど