シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

対象ブロガーのベタ視点を徹底的に探る作業(メタ・ネタという防衛も観察対象)

 
 自分の心情や葛藤や惨めさや喜びや優越感に直球勝負なベタ視点。だけど、人間が何かを喋ったり書いたりする時、感情や動機が純粋にexpressされることはそう多くはない。特にblog上なんかだと、メタ視点を展開したり、ネタとして娯楽化する手法が頻繁に混入されているわけだし、一般に、文章が完全なるベタ視点orメタ視点orネタ視点だったりすることはあり得ない。程度や用途に応じてこれらの微妙な混交がみられるのが常だとは思う。
 
 とはいえ、実際に個々の人間の感情や動機(恥ずかしいものやみっともないものも含む)を最も反映しやすい部分はベタ視点の成分に違いないわけで、私はそれぞれのテキストからベタ視点を抽出して、どのような心的背景をもとにテキストが制作されたかを忖度するのが大好きだったりする。私達が『客観的なコンピュータ』たり得ない以上、完全なるメタ視点やネタ視点は滅多に存立しないので、ベタ視点の枝は殆ど必ずついているし、そこにハックするチャンスが殆ど全てのテキストに存在している*1
 
 blogやwebsiteにおいて提示されるテキストのなかに、メタ視点・ネタ視点として消費することによって最高の面白さが得られるものが沢山あることを私は決して否定しない。とはいっても、もし、blogを書いている主(ブロガーってやつですか)の為人を知ったり、その人を動かしている駆動力を検討したうえで交渉を行う際には、やはりベタ視点を徹底的に洗い出す必要がある。古参のブロガーや老練なwebsite管理者は、えてしてベタ視点を提示してくれないものだが、お互い人間なんだからゼロというわけにはいかない。ベタ視点から得られる情報は、対象ブロガーを検討しコミュニケーションを行ううえで有用だから私はベタ視点の分析にいつも必死である。無視するにしても、攻撃するにしても、友誼を結ぶにしても、(ベタ視点を通して推測される)対象ブロガーの文脈なり動機なりを出来るだけ知っておくにこしたことはない。友好的でありたい者には礼を尽くし、排他的でありたい者をスルーしたり砲撃したりするには、対象の情報を出来る限り知らなければならない*2わけだし、そのなかでも対象の動機・情動・インセンティブは最重要情報に違いないと私は考えている。
 

 故にこそ、私は対象ブロガーのベタ視点を抽出する活動を軽視するわけにはいかないわけだ。時には揺さぶりをかけてでも、知ろうとするだろう。私は古い時代の人間なので、ブログの個々のテキストだけに惹かれることは少なく、むしろブログそのものや人間に惹かれることが多い*3。逆に、私は個々のテキストを嫌悪することもあんまりなくて、ブロガーそのものを嫌悪することが多い。そんな私なので、対象人物とどのようなコミュニケーションをとるのかを常に意識せざるを得ないし、だからこそのベタ視点抽出というわけだ。このような私の指向を前時代的ポンコツとして小馬鹿にする向きもあるかもしれないが、ともかく私はそんな具合なので、「このブロガーさんはどんな人なんだろう?」と思っちゃうし、しばしばテキストではなく人間に好悪を抱きやすい。そして個々のブロガーさんなりwebsite管理者なりを知るには、やっぱり継続的にベタ視点を観察する/されるしながらおつきあいするしかないと思っている、らしい。
 
 なお、ベタ視点を極端なまでに除外して、メタ視点とネタ視点に特化したテキストをみかけた場合、それはそれで重要なベタ情報を含んでいることは言うまでもない。即ち、「ベタを表に出すわけにはいかんのです」という情報が得られるわけである。ベタがどんなものなのかまでは読み切れなくても、「みせるわけにはいかないベタ情報」なり「ベタ情報をみせることが利益にそぐわないと判断している」という所までははっきりと理解出来るわけだ。*4。論文の類ならともかく、情念や利害がいかにもこもっていそうなテキストにおいて、メタ視点/ネタ視点がやたらと徹底されている時、その所以について考えを巡らせたことぐらいはあなただってある筈だ。隠さなければならないベタ視点は何か?それを推測するのはとても楽しいし、そうした“ベタの忌避”という情報もまた、対象ブロガーと相対するにあたって無視できない情報と言える。だから、私はカーテンの向こう側を覗くのにいつも一生懸命だ。いやー、嫌らしいですね〜!
 

 ベタ視点には、それぞれの個人の動機や情感のコンテキストがたんまりと含まれているので、対象との関係を適正化するうえで重要な情報だと思う(←対象との関係の適正化=コミュニケーション、ですよね?)。相手の気分を逆撫でするにも、逆に心象を悪化しないようにするにも、自分がこれからも一緒にいて居心地の良い相手を探すにも、こうしたベタ視点分析は絶対に不可欠だし、事実誰もが無意識のうちにやっている。私もまた、そうした情報戦を行う一戦士として、全コミュニケーション対象のベタ視点を探ろうとし続けるし、必要なベタ視点を提示し不必要なベタ視点を隠蔽しようとあがき続けるだろう。メタ視点やネタ視点は、純粋培養のdiscussionには向いているし事実必要だけど、娑婆で人間関係を構築して「仲良しグループ」なり「区別」なりを行うにはちょっと心許ないところがあると、私は感じている*5。私は一人でいるとおっかなくて寂しく、道連れを求めて策動するような卑しい人間なので、これからもベタ視点をしっかり重視していく。そうやって、ありとあらゆる人間やブロガーなどなどを嗅ぎ分け、「コミュニケーションの適正化」に全力を尽くしていこう。邪悪な奴と蔑まれるかもしれない。だけど実際にはそれが私の社会適応ってやつなのだ。自分にとって大切な人を探して嗅ぎ分けてどうでも良い人と区別しようとする、一介の畜生の生き方。そうやって大切にすべき人間を捜し出して、そこにアプローチしようとすることを罪と呼ぶのなら、その言葉、甘んじて受けよう。
 
 (※ところで、あなたは清廉潔白な“理性的人間”なんでしょうか?もし本当にそうだとしたら、大したものです。あなたに対して私は、本気で畏敬の眼差しを向けることでしょう。)
 

*1:むろん、私の書く全テキストについても言えることだ。興味ある者は、汎用適応技術研究のテキストなり、この屑籠なりのベタ視点をハックして私の為人なりインセンティブなりをデバガメすればいいし、その権利は全ての読者に存すると私は理解している。優越感ゲームなり、くだらない見栄なり、色々を丹念に拾い集めればいいと思う。そしてその下劣さにあきれ果てるがいい。そこの君、勿論気付いているだろうけど、このパラグラフそのものも無視し得ないベタ視点を含んでいるし、このセンテンスだってベタベタだ。こうやってしっかり検討するのを勧める、という私の嫌らしさにも、君はいちいち辟易するのが適当だろう

*2:また、その対象に対して自分自身がどのような文脈や動機をもって関わっているのかについての情報も同じく必要だ。対象と自分との関係を適正化するにあたって、対象の情報だけけを収集するなど狂気の沙汰でしかない。天秤を釣り合わせるにあたって片方だけを注目するのと同じぐらい無茶だ。

*3:だからこそ、私はオフ会をとても大切なものだと思っているし、オフ会に行きにくい地方出身である事が疎ましい!

*4:ある種の視点においては、こういう態度を『防衛が強い』と呼称し得るかもしれない。

*5:こう書くと、メタ視点の冷静さをもって人間関係を構築しきれると豪語する者が必ず出てくるが、私はそういう宣言からもベタな動機・情動を抽出しようとするに違いない。あるいは、先に述べたように“こいつ、メタとネタでマスクしてやがるぜ!でもプンプンにおうよなーマスクの向こうに何があるんだろうなー”と推測するわけだ