シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

御返事for環石館さん

 
http://cyclolith.moe-nifty.com/misc/2006/04/post_c432.html
 
 御返事です。
 
 人間の第一原理演算への野心。確かにそれは私にはある。だけど、それを如来や菩薩の如くこなしてみせることは私には決して不可能だろう。仮に十分に高性能なコンピュータを与えたって、私は十分馬鹿だから決して完璧な演算を成し遂げられない。そこで、私は以下の三方向のアプローチを実際には展開するんだろう。
 
・抽象的な原則論の記述
 
 完璧は無理にせよ、数式の性質と原理については記述出来るかもしれない。リンク先でありがたい数式が展開されているが、多分それに近い記述になるような気がする。ただ、私はこの手の原理や抽象を考えるのが凄く苦手なので、ろくなもんにならないだろうな。
 
・近似式または レーティングスケールの記述
 完璧な数式が記述出来ないにしても、各世代・各性別ごとに別々の包括的な社会適応度を算出する近似式またはスケールを用意することは、実際可能かもしれない。っていうかCGIをいじれるなら即刻試作し始めると思う。私はオタクの社会適応向上に血道をあげるので、まずはオタクを対象としたレーティングスケールの作成が第一の課題か。
 
・適応に影響を与え得る各ファクターの抽出
 個人の社会適応に影響するファクター(コミュニケーションに直接または間接的に影響する諸ファクター)を各論的に抽出し、汎適の博物館に展示する活動。嘘、ファッション、骨格、所属文化ニッチ、富、などなどありとあらゆるものを書くことになるだろう。とうてい書き尽くす事は出来ないにしても、時間があれば死ぬまで書き続けたい。
 
 ちなみに、これらの記述の不完全さと不十分さは人間故に不可避のもの。そこで私個人は、神学レベルにおいては仏教の空だの因果だのにお任せにしたいと思ってます、が、仏教の学習も不十分なのでやっぱり駄目駄目です。
 
 また、愛だの信仰だの美学だのをこうした視点で解体したからと言って、愛だの信仰だのが色あせるわけではありませんし、仮に愛情を解体しつくしたとしてもやはり私はソレを有り難いものとして珍重し続けるでしょう。解体は解体、愛は愛、信仰は信仰、です。もちろん、私個人の仏教的包括と、この議論の是非と広がりは、別個の命題として取り扱うつもりです。どーせ私は頭が悪いので、いまわの際には阿弥陀様かお大師様にお任せって感じです。