シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

DQNや自信過剰男性を選ぶ女性もまた、男性側の諸シグナルに反応している

 
 最後はこちら。
 
はてな
 
 私はリンク先のテキストの見解を、否定せざるを得ない。DQNに身体を許す女性達をもって、「彼女達は男を選んでいない」と考えるのは、今少し軽率ではないだろうか。男性を評価する尺度なり基準なりが女性達に無いとすれば、もうちょっと(能動性が欠如した)オタク達も選ばれて良いだろうし、『電車男』がシンデレラストーリーとして消費される可能性も生まれなかった筈だ。また、DQNに若くて思慮の無い女性が群がる構造も謎のままになってしまう。私は、女性達は評価尺度こそ様々ではあっても、男性達を何らかの形で選別していると考える。
 

恋愛は男のコミュニケーション能力のテストではないし、女は審査員なんかではない、ということは、「だめんず・うぉーかー」読んだらよく分かる。そういうセンサーが全然働いてない女だって結構いるってこと。

その辺のオタクなんて目じゃないくらいに自分の都合しか見えてない、空気読まない、相手のことを見ていない、ついでにいうと自分のことも客観視出来ていない、無駄に自信満々などうしょうもないだめんずが、むしろそれだからこそ、ちゃんとモテてるから。それも、美男子ばかりじゃない。絵で描写されているのを信じるならなかなかキッツい感じのもいる。

 
 この提案に、二カ所の問題点を提示してみよう。
 
 まず一点は、男性を選別する女性側の審査員としての能力・尺度にムラがあるという点に注目したい。男性側に、女性の利害に疎い者から敏感な者まで存在するのと同様、女性側にもセンサーの敏感な者からぼんやりした者まで様々に存在している。男性を嗅ぎ分けるセンサーの質と多角性は、恋愛経験、学習能力、文化ニッチなどによって多岐にわたるだろうが、未熟で頭が悪くて情動を判断基準にしている女性は、男性側の簡単な撒き餌*1によって「釣られる」だろう。こうした女性達は、一見すると“DQNにすぐに身体を許す女”とみられるかもしれないが、逆に言えば少なくともDQNの撒き餌に特異的に反応する程度の選別が、そこに存在していると言える。彼女達は、アキバ系nerdはお好みではないようだし。また、DQNの撒き餌が偽物に過ぎないことを聡く見抜いたうえで男性の選別を行う女性も、ごまんといる(特にある程度の恋愛経験を積んでいて、学習能力にも恵まれた女性達は)。DQNにたかる若い女性達も、玉の輿を狙って虎視眈々と男漁りを営む女性達も、異なる評価尺度とはいえ、男性に対して何らかの審査眼を投げかけているのではないだろうか。よって、“野獣”のような男性が女性のハートを射止めている時にも、女性が男性を審査していないと考えるのは迂闊に過ぎず、その男性は、女性側の評価基準をクリアーするような何か*2の提示に成功しているだろうというのが、私の推測になる。
 
 二点目は、「なんか馬鹿みたいな自信」そのものが、女性が男性を評価する際の主要な尺度になっている可能性である。「自信を持った男性は、自信の無い男性に比べてリソース獲得の可能性・健康の可能性・社会的ステータスでアドバンテージを持っている可能性が高い」という女性側のバイアスの存在を私は強く疑う。自信の無い男が自信のある男性に比べて女性にリソース・保護・ステータスを提供しやすい立場にある確率は低い…こうした推測は、ある程度までは通文化的に当てはまりそうな推測なわけだし、多分動物レベルでさえある程度当てはまるだろう。よほど類い希な素養を持っていて女性のお眼鏡にかなったわけでもない限り、自信の無い男性というのは自信のある男性に比べて「ハズレ」である可能性は高い。まして、文化ニッチが細切れになって何でどう男性を評価して良いのかわからない現代日本においては、こうした通文化的指標を(主としてスクリーニングの段階で)女性達が用いるのは、至極合理的な戦略のように思えてならない。こうした状況において、男性側提出する“自信”は、もはやコミュニケーション上有意味なシグナルとしての機能を獲得している。自信の有無に男性評価を頼り切っているような女性のセキュリティホールを突くには、こうした自信の提示は大変効果的な手法と言えるのではないだろうか?
 
 以上のような私見をベースにして

空気の読めるコミュニケーション能力の高い人間になることを目指すよりも、むしろ逆、尊大になって、現実などには目もくれず、冷たい空気にもめげない鉄のように分厚い心と面の皮を身に着けて、強気強気で手当たり次第に声掛けまくり、だめんず・うぉーかーを引き当てるまでがんばったほうがいいのではないか。

を再検討してみると、現象こそ同じでも全く異なった解釈が導かれる。つまり、こうした自信提示戦略もまた、「自信をプレゼントする」というコミュニケーションとして成立しちゃっていて、自信の有無を男性評価尺度として重視する女性を引っかけるにはおあつらえ向きになっているんじゃないだろうか、というものである。自信が、それ自体が女性を惹きつける一要素になっているのなら(そして私はそうだと確信している)、根拠の有無に関わらず自信満々の男性は、一定の割合の女性を惹きつけてしまうのではないだろうか。“自信ある態度をとる”男性は、自信を男性測定のモノサシとして重視している女性には「でかい獲物」として映るだろう。女性のなかには、自信の有無ばかりを男性評価尺度として用いていて、なおかつブラフにも簡単に瞞される程度の未熟者や愚か者も混じっているだろうから、自信ある態度を提示し続けることによってそうした女性達を獲得するチャンスはあるとは思う。だが、そのことをもって女性達が男性を選択していないと結論づけるわけにはいかない。ましてや、ある程度以上の経験と知恵を身につけた女性達は、そのブラフを簡単に見破ったり、自信以外の評価尺度も含めた多角的判断によって「駄目出し」をするに違いない。おそらくだが、自信提示戦略のみで股を開いてくれるのは、かなり未熟な女性・愚かな女性、そうでなければセックスの段階で(ようやく)男性を値踏みすることに長けた女性、ぐらいということになるだろう。そして、女性を自信でアトラクトした男性は、今後あらゆる場面で女性を自信で惹きつけなければならないだろう――もし、ちょっとしたことでビビッたりしようものなら、女性を惹きつけていた魔法は解けてしまう。
 
※ただし、自信シグナルだけで引っかけられる女性を引っかけることが自己実現なり自己侮蔑なりに効果があるとすれば、それはそれで良いのかもしれない。尤も、ニーチェ曰く『男性の自己侮蔑に効くのは賢い女に愛されること』とか言ってたりするので、はてさて。それと、能力を磨かずに自信ばかり肥大化させていけば、これはもう、逆に一定以上の判断力を持った女性に警戒を促す逆シグナルになる点も考慮しなければならないだろう。他方、男性評価尺度が多角的な女性達といえども、男性側の自信の有無を幾らかは考慮に入れていることには留意しなければならない。
 
[関連]:gƒXƒLƒ‹h‚©‚çgƒXƒyƒbƒNh‚ց\\ƒRƒ~ƒ ƒjƒP[ƒVƒ‡ƒ“ƒXƒLƒ‹‚Æ‚¢‚¤Œêœb‚Ì–â‘è(”Ä“KŠ‘®)
 

*1:DQNやギャル男は非常にコミュニケーション的なシグナルを非言語レベルにおいて女性達にプレゼントしている点を見落とすわけにはいかない。がなりたてる重低音、やたらピカピカしたアクセサリー、中古の高級車、蛮勇、などは、その辺りを評価尺度にしている女性達を惹きつけている。あるいは、そういった非言語レベルでプリミティブなシグナルに反応するような女性達に対する適切な魅力を提示することによって、コミュニケーションに成功している、と言うべきか。勿論、こうしたシグナルは、そのシグナルを評価尺度にしていない女性には通じないか、むしろ嫌悪感すら催すかもしれない。

*2:それが何かは個々の女性の文化ニッチや能力や生活史によって千差万別だろうが