シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

患者さんは、ダーティーでもいいから一歩でも生に近い担当医を選ぶ

 
 今日はまるでブログのように、リンクを貼ってそこについてあれやこれや書いてみよう。んでもって一件目。
 
http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2006/04/post_343.html
 
 ここには、二つの対照的な医師像が描かれている。一人目は、ICUのスタッフや家族を掌握して(つまり空気を読んでそれを操縦し)、政治的ソリューションをも含んで担当患者に有利な環境を提供する医師。二人目は、その医師に「汚いやり方」と非難する女医である。
 
 さて、あなたがその患者の家族だとしたら、どちらの医師を担当医として選びたいと思うだろうか?もし、私の家族が死に瀕したなら、一人目のダーティーで政治的な医師を迷わず指定する。多分、あなたもそうだろう*1。危地に瀕した患者と患者家族が期待する医師像というのは、「社会的公平に拘る医師」ではなく「一歩でも生に近く、治癒に近い医師」でしかない。マクロな視点で視たときに前者が望ましい医師像にみえるか否かなど、親兄弟の死に瀕した患者家族はまず考えない。ICUにおける政治的ドロドロにしても、その時排除される新生児なり何なりは、縁もゆかりもない他人でしかない。自らの利害と感情的揺さぶりに直面した時、人間は社会的公正感よりも利害や感情的インセンティブを常に優先する。それが人間だし、それが(信頼する)家族に対するリアルな人間の在り方だろう。リアルではあっても「正しくはない」かもしれないが。
 
 臨床医は、患者さんの利益と安全を最大化する為に全力を注ぐことを第一の使命としている。感冒程度なら、マクロにおける影響を考えているゆとりもあるだろう。だが緊急性の高い病態に際してそんなものを考えている余裕などあるわけがなく、件の女医の発言も所詮は負け惜しみに過ぎない。彼女もまた、自分の受け持ち患者の為に最善を尽くしていたのだろう。だが、彼女は“患者を生かす為のリソース確保”が有限であるという問題点への着目が不十分だったか、そのリソースへのアクセス方法に非力だったからこそ、リソースにたどり着けなかった。もし、女医にそれらの視点とパワーが存在していたら、彼女もまた、おそらく自分の患者の為にICUを最大限に確保しようと努力していたに違いない。ある種の臨床場面では、ネタだのマクロだのを論議する猶予は、個々のDr.に殆ど存在しない。よって、政治的手腕も含めたありとあらゆる総体としての力量がガチンコで問われ続けることになるのだから。
 
 少なくとも、私はそういう理解のもと、患者さんの利益と治療に様々な次元からアプローチするだけである。患者さん達は、主治医に「いかに社会に公正であるか」よりも「いかに自分を治療してくれるか」を期待しているし、個々の臨床医はそのような期待に応える立場にあるに過ぎない。こうしたガチンコに伴うリソース食い合いは、確かに問題には違いないけれど、リソースが有限で個々の臨床医が全能力をあげて患者さんを何とかしようと思い続ける限り、残り続けるだろう。あるいは、患者さん達が主治医に全能力をあげて助けて欲しいと願う限りにおいて、避けては通れない問題なのだろう。
 
 ※だからだろうか、私が敬愛するおじいちゃん医師は、何度も何度も私に「精神科医は、本ばかり読んでいては駄目だ。政治なセンスを身につけて、臨床現場で応用する術をマスターしたほうがいい」とアドバイスしてくれたものである。実際、そういう政治的判断の成功に何度も救われたと思うし、そういう政治的判断の不備によって涙をのんできた。きれい事を言う医師は、それ以外の必死な医師達によって押しのけられるだろう。医療技術・知識そのものの研鑽は当然としても、その技術・知識を生かす場をキープ出来なければ、それらを提供する事すらかなわないのが臨床現場なんだから。
 

*1:あなたは私よりは“優しい”かもしれないから躊躇いはするだろうけれど、最後の最後にはそうするだろう。否、救急車の中で選択しなきゃいけないような場面なら、案外あなたも迷わず選ぶかもしれませんね