脱オタ五カ年計画(1)開戦 - シロクマの屑籠
脱オタ五カ年計画(2)初年 - シロクマの屑籠
脱オタ五ヵ年計画(3)二年目 - シロクマの屑籠
脱オタ五カ年計画(4)三年目 - シロクマの屑籠
脱オタ五カ年計画(5)四年目 - シロクマの屑籠
脱オタ五カ年計画(6)五年目以降 - シロクマの屑籠
随分と恥ずかしい文章を書いたもんだ。まぁいいや、こういう文章を書くというのが俺なり僕なり私なりなんだろうし。改めて回想してみると、ともかくやれるだけの事を精一杯頑張った記憶ばかり浮かんでくる。五年間の脱オタ計画は、私を大きくのばしてくれるとともに、限界も指し示した。確かに変化したし成長したけれど、もうこれ以上伸びないというか、伸長速度の限界がある程度わかったというか、“この俺様が本気を出せば、こんなもんじゃねーぜ!”と夢想する余地がなくなってしまった。少なくとも、昔に比べれば夢想範囲は遙かに狭くなった。万能感を妄想することは、もう不可能に近い。
ひょっとして、この限界規定を人は“大人になる”と呼ぶのだろうか?だとしたら、私は脱オタ五カ年計画を通してかなり大人に近づいたということになる。私は将来に向けてのレールを敷くことが出来た一方で、将来に向かうレールを敷いてしまったわけか。それはちょっと寂しいことだけど、何時かくぐり抜けなければならないプロセスだったんだと思う。
寂しい寂しくないに関わらず、それでもこの作戦は私に必要なものだった筈だし、必要だったからこそ断行出来たんだろう。もし脱オタ五カ年計画を実行しなければ、24歳まで放置していた私自身の宿題――自分自身を苦しめる劣等感の克服と、将来生きていく為の技術蓄積――は片付かないままだっただろうし、私は永遠の思春期を徘徊し続けていたに違いない。私の場合、年齢的にも才能的にも、あれ以上純モラトリアムを続けることは困難だったんじゃないかと思う。とにかく自分の仕事はやった、将来の自分の為に頑張って道を開拓した、だから十分満足だし、あの頃の自分自身には感謝している。