シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

転叫院さんのお題目は優秀だけど、若いモンにも消化出来るカナ?

 
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 流石転叫院さんだ。上手くて痛いところを突いてくる。
 

こういった項目の順列組み合わせを考えてもらえれば、そのテーブルのそれぞれの升目に「バカにされないファッション」というのがあることが分かる。

自意識の臭いを周囲にさとられることというのを敗北条件とし、自己主張しない、無難に溶け込めるファッションを目標とするのならば、自分自身を上記の階級と文化圏に照らし合わせて、そこの典型から逸脱しないファッションを適切に選ぶというのが正解である。そしてファッションを変えるというのは、適切な階級と文化圏のターゲッティングを行ったうえでの、ある意味で転職のための投資なのだということを自覚する必要があるだろう。投資である以上は、コスト・リスクとリターン、それに償却年数を想定しておかなくてはならない。

 
 ここに書いてあることに則るように、脱オタ者は「転職」するということだろうか。勿論この「転職」は、ファッションだけ変えては意味がないしみっともなくすらあるかもしれない。SEやっててオタク趣味の人が、服装だけハイファッションしちゃっても意味が無い、という事だろうか。
 
 ただし。こうした升目の考え方が日本の十代〜二十代についてどこまで当てはめられるのか、ちょっと疑問を感じなくもない。確かに幾つかの升目は存在する。なかにはオタク趣味オタク職業の人に似つかわしい升目だってあるかもしれないが、その升目升目の間にも格差があるという事、そもそも一定以上の審美的ステータスの提示が(職業やらなにやらに関わらず)要請される雰囲気が存在している事、を私は忘れることが出来ない。ある種のオタク業界関連職についているからといって、オタク業界関連職に相応しい格好をすればOKかというと、そうでないのが現在の日本の状況だと思う。30代を超えてくれば転叫院さんの仰る事はかなり適用出来るとは思うが、10代〜20代の激しい差異化ゲーム(勿論これは思春期的な自意識によって誘導される)においてはどうだろうか?例えばSEやってて趣味はフィギュア集めの人に相応の升目とは、まなざしの針がグサグサと突き刺さる、針の筵ではないかと思うのだが…。升目に相応しいか否かは、思春期の大局的差異化ゲームにおいて有利か否かとは別個の命題で、その升目が低くみられやすければどれほど升目に相応な格好であっても侮蔑されるリスクを負うと考える。
 
 また不幸な事に、第三世代オタク達は自分たちをプレゼントする固有のファッション文化を所有していない。受動的にオタク界隈に流れ、他者性に欠け動物化した彼らには、自らのアイデンティティを込めたファッションを創造する意図も能力も無い。オタク達に相応の升目は、現在空欄(あるいは負の値)になっている。これからも空欄(または負の値)のままだろう。
 

 じゃあ努力すればバカにされなくなるのかというと、そんなことはない。差別の階梯は幾らでも上の方まで続いていて、どこかのレベルまで登ればそれで安心なんてことはない。一度登り始めてしまったら二通りの道しかなくて、

・際限のないハイセンスバトルを続ける
・どこかで安心した振りをして、上は見ないで下を見下す
しかない。

というわけで初めから降りておく。もしくは経済原理に殉じるってのが、せいぜいのオルタナティブなのではないだろうか。

 
 うんうん、転叫院さんのスペックなら、この手が正解だと思う(見た目の事は知らないが、こうした考えを支えるだけのリソースを転叫院さんは保有しているっぽい)。しかしなぁ…十代二十代の多くの男性達は、果たしてこのお題目を呑みこむ事が出来るのかなぁ。ゴクリと飲み干して昇華消化出来るのかなぁ…。いや、勿論こうしたお題目を十分に奉じる事が出来れば問題ナッシングだと思うけれど、そうするにはそうするで別の色々が求められることだろう。少なくとも、20代前半の私には、これは呑み込めなかったなぁ。努力すれば馬鹿にされないことがなくなるかと言えばそうじゃないけど、努力を降りれば馬鹿にされずに済むわけでもない。むしろ必ず差異化の波に晒される。強い精神力バリアを持たなければ…防衛機制ですかねぇ…、容赦ない差異化の波にモミモミされちゃうだろう。いや、どんどん防衛して自分自身が差異化に気付かぬふりをすればそれでいいんだけどね。