シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

オタク小集団のなかでは、誰もがナンバーワンになれる

 
 ポストモダン的状況下でライバル達に差をつける記号は何? - シロクマの屑籠
 
 以上のテキストで指摘した通り、昨今の日本では、音楽でライバルに差をつけるのはあまり効果的ではないと思う。果てしなく細分化された文化ニッチ内でどれほど高位を得たところで、同好の士以外にはたいした感銘を与えない。むしろ音楽なり文学なりに時間・金銭などのリソースを集中させてしまった事の裏返しとして、色々なことが疎かになってしまい、キモいだとか世間ズレしているだとか後ろ指を指される確率が高いかもしれない。特定のhobbyに対する高い造詣を持ちながらも仕事・恋愛・その他の文化などへの適応力を十分維持し出来ている男性は、いかにも女の子受けがよさそうだが、そんなスーパーマンはそういるものではないし、凡人には出来るものではない。たいていの人は、趣味への資源配分を減らすか、趣味の代償として生活や適応力を犠牲にするしかない。
 
 この傾向は、オタク趣味世界に関してもほぼ当てはまる。以前脱オタと引き替えにオタクが失いがちなもの(汎適所属)でも少し触れたが、オタク趣味に全リソースを投入するという事は、凡人の場合、オタク趣味以外の分野(もちろん恋愛も含みますよ!)の衰退とトレードオフの関係にある。オタクとしてメキメキ頭角を現しオタクコンテンツを貪るという事は、そのほかのものに割り当てられた筈の時間・金銭・体力が喪われる事に他ならない。よって、オタク趣味に傾倒すればするほど、自己の限界ぎりぎりまでリソースを投入すればするほど、あなたはオタクとしての高みに達すると同時に社会適応能力の低下に喘ぐことになるだろう。オタクである事に全力を尽くした分だけ、女の子の視線は冷ややかになりやすいことは覚悟せざるを得ない。
 
 そのかわり、あなたは自分の専攻するオタク界隈におけるオピニオンリーダーとして君臨する可能性を手にする事が出来る*1。自尊心を満たす手段や自己実現に飢えている思春期のまっただ中であっても、オタク界隈の内側でライバル達に差をつける事で、あなたは心のバランスを維持しやすくなるだろうし、向上心をもって切磋琢磨することも出来る。オンラインゲームならば廃人中の廃人になることで、アーケードゲームオタクなら実績を示すことで、アニオタや漫画オタならば知識や理解を通して、あなたは優越感に舌なめずりすることが出来る。勿論他のオタク達もやられっぱなしではなく、同じ分野のオタク同士で差異化ゲームは熾烈を極めるだろう。知識の集積、腕前の向上、コレクションの披瀝…。オタク界隈という狭いニッチのなかであっても自尊心とまなざしの快楽を巡って争う事は十分可能で、優越感を誇る相手は幾らだって存在する。大都市においては当然としても、田舎のオタクコミュニティにおいても同様の傾向は存在する。地方のゲームセンターで、コミケに出陣する田舎オタクグループで、FF11やラグナロクオンラインにログインするMMO愛好家のなかで、差異化の営みは常に存在している。それぞれのオタク分野におけるオピニオンリーダーを巡って、オタク達は水面下の競争を続けている。
 

  • オタク小集団のなかで第一人者になるのも悪くないんじゃないのか?

 
 しかし、オタク達のオタク達によるオタク達のための差異化ゲームは、(例えば異性獲得競争や運動競技の世界のような)ギスギスさを呈さないと私は考えている。特に、地方のオタクや(大都市在住ではあっても)数人〜十数人程度のオタクコミュニティを形成しているオタク達にとって、このような状況はストレスよりもむしろ個々人のメンタリティとアイデンティティを補強する肯定的な心理効果を与えるものだと思えるのだ。
 
 なぜなら、オタク界隈という文化ニッチそのものがさらに細かく細分化されているので、数人〜十数人程度の集団内であれば、構成員それぞれが各オタク文化ニッチのスペシャリストになる事が可能だからである。具体的には、A氏はエロゲー専門家、B氏はPC自作のプロ、C氏はポップンミュージックの達人、D氏は格闘ゲーマーといった具合に、各人の得意分野がバラけることによってそれぞれの分野で自尊心を獲得しあう事が可能になるのではないか?オタク文化ニッチは十分すぎるほど細分化されているので、数人〜十数人程度からなるオタクコミュニティにおいては、誰もが何かのNo.1になる事が出来る*2。もちろん、全国規模の集会においてはこの限りではないけれど、地方都市レベル・大学のサークルレベルなどであれば、このような“自尊心の共有”は十分可能だろう。少なくとも、全国大会レベルで凹まされたとしても、身内のオタク仲間の間では一定の地位は保証され続ける。
 
 実際、オタク分野があまりにも細分化しているので、ある分野のスペシャリストでありながら他の分野においても優越するのは本当に困難である*3。よって、オタク小集団内においては、わざわざ譲り合うまでもなく、何らかの分野におけるオピニオンリーダーになる機会が巡ってくる。凡庸な能力しかない人間にも、小集団内におけるアイデンティティをほぼ確実に確保出来るというのは、オタク趣味世界の気安く優しいところだと思う。
 

  • まとめと考察

 こう考えると、オタクとして特化していく生き方は、オタク界隈においてほぼ確実に(小集団の)第一人者になるチャンスが巡ってくる一方、非オタク界隈に適合するリソースがろくすっぽない状態に放り出されるという事を意味しそうである。だが、オタク界以外における社会適応状況がもともと困難な人の場合、オタク界隈に特化するのは生きやすさのメリットこそあれ、失うものはあまりない。しかも、恋愛などと違ってイケメンだのキモメンだのといった先天的・遺伝的・環境的ディスアドバンテージに悩む必要もないし、嫌いな努力ではなく好きな努力だけしていればほぼ確実に報われるという所もおいしい。あなたはほぼ確実に、オタク小集団内において何らかの“担当大臣”のポストを獲得出来るし、それに伴って自尊心も満たされるだろう。MMO担当大臣、なんていうポストも素敵だ。極限まで廃人になれば、コミュニティのなかで誰よりもMMOに詳しくなることが出来るし、これならどれほどの凡人でも努力さえすれば必ずなれるってものである。あわよくば全国レベルの技能・知識を身につけてしまえば、オタクにありがちな自信の無さすら克服出来るかもしれない。
 
 よって、オタク界隈における差異化ゲームはとても優しいもの私は考える。オタク文化圏はポストモダン的文化ニッチ細分化の最たる例と言えるので、小集団内の各員は誰もが何かの分野を独占的に究めることが出来る。オタク小集団においては、コミュニケーションスキルだの経済力だのといった普遍的な評価尺度で競争相手と衝突することはなく、各人各様に第一人者になれるのだ。これはスポーツや仕事や異性獲得競争に比べれば随分優しいルールであり、比較的誰もが自尊心と評価を獲得しやすいような“特異な差異化ゲーム”と言えるだろう。(通常の男性コミュニティのそれとは違い)この小さな集団においては、オタク達は自尊心やアイデンティティを分配することが出来るのだ、これはある種驚きである。
 
 さて、このことを、あなたは肯定的にとるだろうか?否定的にとるだろうか?
肯定的にとる人は、誰もが違いを尊重されること・誰もが自尊心あるスペシャリストになれる事に着眼しているかもしれない。逆に否定的にとる人は、大した刻苦なくスペシャリストになれてしまう事・それだけで自尊心を満たされてしまっては(もっと苛烈な)娑婆世界の競争に耐えられないかもしれない事あたりを懸念しているかもしれない。なお私個人は、若くて切磋琢磨しなければならない&出来る年齢の人に対しては、ぬるオタコミュニティで自尊心を貪り尽くす生き方を勧めない。そんな事をしている暇があったら、もっと自分自身をbrush upするチャンスを探したほうが、きっと後々生きていくのがラクになりそうだから。一方、一定の年齢を超えたオタクさん達にはこれを大いに勧める。現代社会は人間疎外が強く、自己実現の機会に乏しい。そんな中、オタク趣味はかなり高い確率で自尊心・自己実現を提供してくれるだろうし、それっていうのはメンタルのバランスを保つうえで十分有用なツールと言えるだろう。まぁ、これは私見なので、メリットデメリットを実際に勘定するのはあなたがたひとりひとりという事になるんだろうけど。
 

*1:勿論、音楽界隈には音楽界隈の、映画界隈には映画界隈において同様の可能性が存在する。

*2:或いは、No.1を分業化し譲り合う事でお互いのメンタリティが保たれるような微妙な均衡関係を形成している可能性もあるかもしれない。なお、こういう集団に全分野で優越するスーパーマンは馴染まないし、うざったい存在とうつるだろうと推測。スーパーマン以外の全員が揃って鼻をへし折られるんだから、そんなの受け入れられるわけがない。流石にそんなオタクは滅多にいないと思うけど、ひょっとすると都会のオタクが田舎のオタクコミュニティに引っ越してきた時に類似現象が起こるかもしれない

*3:特に、ドングリの背比べなオタク小集団内では。