シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

 
 【わぁい&謝辞】
 
 先日のオタク関連の文章にいっぱいトラックバックがきた。色々な意見や反応を頂き、それを読み比べて再考するのが楽しいことだと知りました。勉強になりましたです。
 
 そうそう、ブロイラーだっていいじゃないですか。周りの人がギャーギャー言おうが、森へおかえり(コミケの腐海こそ我が故郷!) - シロクマの屑籠に書いたみたく、楽しんだ者勝ちなんじゃないかな、と思う。私は不満足なソクラテスでいるよりは満足な豚でいたい類の人間なので、(例えばシューターとしての私がブロイラーの域を出ないとて)別に構わないと思う。神経質な汗をかきながら、そうですね、全国25位ぐらいの順位のスコアを出している人よりも自分が劣っているとは思わないし、劣っているとされそうな価値体系の座標系にどうプロットされようが痛くも痒くもない*1。私はゲームとオタク仲間が好きなのだ、それでいいし文句は無い。多分、げんしけんのキャラクター達もそんなものはお構いなしなんだろう。
 
 とはいえ、このような価値体系プロットから逃れられないオタクは沢山いる。ブロイラー=劣っている、エリート技能=優れているという価値体系とは別に、例えばだが、楽しんだ奴=勝ち、楽しくない奴=負けという価値体系に則って動けるオタクも沢山いるし、多分私もその価値体系を大切にしているわけだ*2。でも案外と、「技能優劣の価値体系」を毛嫌いしつつも思いっきりその価値体系に準じた自己判断をする人がいたりするのだ。もちろん、その場合には自分を「技能のない劣等」とみなしていたりする。劣等とみなさない価値体系を持つでもなく、かと言ってその価値体系をはい上がろうとするでもなく、「旧い価値体系に基づいて自分を劣等とみなしてしょんぼりする」というこの構造――果たして“純消費型オタク”だけにみられる現象だろうか?私は、他の幾つかの現代若年男性のカテゴリにもみられる現象だと考えている。例えば…。
 

*1:もちろん、痛かったり痒かったりする人がいるのは重々承知ですが。後述

*2:ただ、シューターとして育ったためか、ヌルいヌルくないという価値体系でも評価するのは事実だ