シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

エヴァンゲリオンを久しぶりに見始めることにした

 
 31歳になった今日、物凄く久しぶりにエヴァンゲリオンを一話から見始めることにした。今見ると色々とノスタルジックな気持ちになる描写がちらほらあって歳を感じざるを得ない。携帯電話・公衆電話・ノートパソコンの描写が、まさにWINDOWS95を使っていた頃のまんまな感じがする。あと、シンジ君の気持ちに関する記述(例えばリツコさんの、「〜それがあの子の処世術なのよ」とか、ミサトの「ああいう形でしか自分の気持ちを伝えられない云々」)をみると、へぇー確かに95年前後のテイストだなと思った。女性のあるタイプの過剰適応(例えばアスカのborder line personarlity disorderっぽさとか、リスカとかODとか)は、当時と比べて今現在は間違いなく後退しはじめているし、シンジのような適応パターンも、引きこもりやニート(特に、そのことに居直っているような連中)とは大分異なっている。ましてネット上で非モテ議論をしている人たちとも違っている*1。もちろん今でもかなり通ずるものはあると思うし、シンジ君やアスカに示されるステロタイプは、例えばアムロ・レイに示されるステロタイプなんかよりは現代の社会病理に近い描写だとは思うけれど、やっぱりエヴァが切り取った「旬」は90年代後半であって、00年代後半ではないんだと感じた。
 
 今でもシンジ君やアスカにみられるような精神病理はどこにでも見かけるし十分通じるとは思うけど、社会病理は既にそこから少しづつ遠ざかり、また違った方向に向かっている。なんか歳を感じます。
 
追記:第七話で時田シロウさんが、リツコさんにこう言い放っている。「人の心などという曖昧なものに頼るから、ネルフは先のような暴走を許すのです。」という台詞が身に染みる。当時はそういう視点はなかったから素通りしていた台詞だが、今聞くと随分な台詞に聞こえる。全く持って正論だ。

*1:シンジ君には、討論は不可能だし、居直りも不可能なことを忘れないで欲しい