シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

 
 今日は柄にも無く、blogっぽい使い方をしてみよう。脱オタに関していただいた問いかけや、他の脱オタ関連のblogの記事をちょっととりあげて、議論を拡散させて困っちゃおうという趣向です。

 まずは、id:kiya2014さんから頂いた、受験イデオロギーと恋愛イデオロギーの相違についてのご意見について。

受験イデオロギーと恋愛イデオロギーとの対比において、”マニュアル”に対する考え方の相違には興味深いものがあります。
というのも、受験(大学以後も同じですが)を勝ち抜く一番の近道かつ王道は、「(教科書なり参考書なり問題集なり)一冊の書籍の内容を徹底的に理解し体得する」ことに集約されるのに対し、マーケティングリサーチや流行というファクターが絡むファッションの言説においては、「できるだけ多くの書籍なり視覚情報なりを、深入りせず、批判的態度をとらずに斜め読みする」ことが重要だとされているような印象を受けるからです。

もちろん、教科書=脱オタクファッションガイド、参考書=ファッション板、問題集=男性雑誌、というふうなカテゴライズをとれば、この相違は表面的なものだと言えるのかもしれませんが。

 
  こっちのミスを的確に突き、なおかつ適切で興味深いご指摘だと思った。線形代数学や微分積分にしても、一冊の書籍内容を徹底的にマスターするのが王道というのは全くもってそうだと思う。国語や英語ですら、やたらめったら手を出すとろくなことが無い。逆に、ファッションに関しては雑誌を流し読みすること、雑誌をfeelする(するは余計?)ことが重要だというのは確かにうなずける。面白い違いですね。
 
  ここで、受験勉強とファッション強化・脱オタ推進との相違と相似をちょっと考えてみて箇条書きにしてみた。もっと考えればいろいろあるかもしれない。

相違点:
1.受験の王道は一冊の本。ファッションは一冊の本では駄目。脱オタは本の存在すら怪しい。
→受験の内容は年単位の変化も僅かで、一冊の問題集のマスタリーは同レベルの他の問題集のマスタリーとほぼ同じ効果を持ち、全国の大学受験に使用可能。4月に学んだことが12月に使えなくなることも、H16年の内容がH17年に時代遅れになることも(相対的に)少ない。
→ファッションに関しては年単位の変化が大きく、一冊の雑誌のマスタリーはその時点での点観測以上のものを与えてくれないし、それでは季節の変化にすらついていけない。むしろ、一冊の雑誌内における月ごと・年ごとの変遷を追って、「変化しない何か」「移ろいゆく何か」を捉えなければならない。点の深い理解よりも、線の比較と理解と追跡。年月に伴う流れを捉えることが要求されるという点でも、受験と一線を画する。

2.受験は範囲がきっちり決まっている。ファッションや脱オタには無い。
→また、受験の範囲はかなりしっかり規定されているので応用性と理解が十分ならば受験範囲内の全問題に対処可能。
→ファッションや脱オタには、範囲の規定などは存在しない。ここだけ勉強せよとか、理解すべき公式というものも明確ではない。

3.受験の一部分野には理論の追及と理解が有効な場面がある。ファッションや脱オタには無い。
→受験では公式や原理をいかに理解し、いかに各命題に適用していくのかがしばしば重要。
→ファッションに関しては、理論を追求すればそりゃ立派なものもあるにはあるにせよ、(私の知る限りにおいては)それは個人の実地の服選びにフィードバックできるものではない。少なくとも、服選びの上手い女性達がモード論を理解したうえで服を選んでいるわけではない*1。直感的・感覚的に何かを把握しているとしかいいようがない。

4.受験勉強には終わりがある。ファッションには終わりが無い。
→勉強に終わりは無いが、受験勉強には明確な終戦が存在する。
→ファッションや脱オタには終わりが無い。ことにファッションには終わりが無い。

5.受験勉強は浪人生しか参入しない。ファッションには参入制限が無い。
→受験勉強は大学進学を志す人だけが戦うので、いかない人や大学に合格した人はもう戦いに参入してこない。
→ファッションは、そんな制限は無い。老いも若いも、既婚者も未婚者も、D.T.もナンパの鬼も、いやおう無く参入させられる。参入を拒否することは個人レベルでは可能だが、そうした個人もファッションという次元に基づく他人からの評価には曝されることになる。

 

相似:
1.どちらも素養や環境の影響を受けやすい。求められる素養や環境は異なれど、スタートラインや遺伝的有利不利は厳然として存在する。
2.にも関わらず、多かれ少なかれの努力を必要条件とする。先天的に三角関数が使いこなせる受験生などいないし、先天的にエチケットやファッションセンスが身につく者もいない。やはり、程度の差こそあれ、努力なり資源投下なりが要求されている。
3.優勝劣敗(に若干の運)という一般的傾向。
4.自分のレベル(ファッションなら志向や年齢とかもかな)にあわせたものを選ばないとうまくいきにくいという点。そしてその選択自体がかなり難しい。
5.がんばっても出来ない人と、がんばって出来た人の間の意識の違い
6.天才的プレイヤーの混入
7.努力や資源は成功の期待値を上昇させるが、期待値を1(100%OK)にはしない。
8.まぁ、結果もプロセスもスタートラインも、万事不平等で階層的っぺぇ。

 先日の私のコミュニケーション競争は受験戦争の如く - シロクマの屑籠は、このうち相似ばかりに眼が行っていて不行き届きだったかもしれない(まぁあれはコミュニケーション、としてあるけど似ているところ多い)。今回、相違についても着目できたことは退屈しない体験だった。ありがとうkiyaさん。
 

*1:なんかこの辺、受験は結晶性知能(言語性IQ)が要求され、ファッションは流動性知能(動作性IQ)が要求されるのかなと思ったり。