シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

女性へのpresent

 
 物質的なものであれ、コミュニケーション的なものであれ。
 論理的なものであれ、情緒的なものであれ。
 
 とにかく女性は自分自身に対してたくさんなものをプレゼントしてくれる男性を、そうでない男性よりも好む傾向がある。あるいは自分自身のために様々のものを提供したり犠牲にしたりしてくれる男性を好む傾向があるが、男性側がどれだけ献身に必死だったかではなく、どれだけ女性側がプレゼントを受け取ったかによって決定されがちである。さらに、(一部の間抜けを除いた)彼女達は勘が鋭いので、ケチケチしていたり表面的なものだったり嘘偽りだったりすると素早く探知することも出来る。
 
 異性獲得競争においては、どれだけ自分が献身に必死だったかという尺度ではなく、どれだけ実際に女性を喜ばせたかによって評価されるという事実を踏まえておかないと素敵な勘違いをしてしまいそうだ。もちろん献身に必死だったという事そのものがプレゼントとして評価される場合もあるけれど、そうでない場合があったり、時にはネガティブファクターとさえされかねない事に留意しなければならない。
 
 だが、だからと言って女性側の戦略を非難するつもりも無い。結婚し子を育て扶養されていく立場にある彼女達は、伴侶を選ぶにあたって最善の選択をしなければならないし、伴侶を誤って選択してしまうのは絶対に避けたいだろうから、そういう評価軸で男性を値踏みしておく必要があるだろうし。そういう視点のいい加減な女性達は、安定した男女交際を続けることが出来なかったり、ろくでなしにひっかかったりする可能性が高いだろうし。
 
 逆に、上記条件を満たしているっぽい男性は、女性側からみると非常に価値の高い存在ということになる。プレゼントの内容や需要には個人差はあるものの、ともかく物質的・精神的・その他色々をプレゼント出来ている男性や、その潜在性を秘めた男性は、(少なくとも統計的では)彼女達を強く惹きつけることだろう(そういう擬態を展開する男性もいるので看破しなければならないけどね)。
 
 こうした前提で男女交際を再考察すると*1、色々なことを再認識できるような気がする。また、こうした前提を無視して男女交際を考察するとおかしなことになるような気もする。例えば、相手の異性に自分が何をプレゼントする&できるかという気持ちも確認も無しじゃ、まずいんじゃないかなぁ。
 

*1:あるいはモテだの何だのといったぐだぐだを再考察すると