シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

『惑星開発委員会』の善良な市民さんは、極めて強大である

 
 私の手元に、『惑星開発委員会』の同人誌が二冊ある。『http://www.geocities.jp/wakusei2nd/p01.html』『第二次惑星開発委員会 PLANETS Vol.2』。オタク作品評論が好きなオタク達にとって、この二冊の挑発はとても手強いんじゃないかと思う。副題として『大衆を挑発するお茶の間襲撃マガジン』と書いてあるが、内容を読んでみると『安いオタ/サブカル野郎を挑発するオタ部屋襲撃マガジン』と表現するのが適切そうにみえる。だが、少し読んでみれば分かる通り、『惑星開発委員会』のメンバーは強力で、彼らと正面から議論するのは非常に困難である。まず、このテキストでは、『惑星開発委員会』の中心人物と目される善良な市民さんがいかに手強いのかに焦点をあててみる。
 

【善良な市民さんの手強さをご紹介】
 
 善良な市民さんの“挑発”にトサカに来ちゃったオタクはどうすればいいのか。議論に参加し、善良な市民さん達の問題点を突き詰め、論破すれば良いじゃないか。全くその通り。むしろ善良な市民さんは、真正面から議論に立ち向かってくる者をいつも待っていることだろう。だが、私の知る限り、『惑星開発委員会』を正面突破したオタクはあまりいない(論点がズレているのに論点が合っているように錯覚したオタクや、論点をズラして葛藤を防衛したオタクなら、これまで数限りなく存在するが)。そりゃそうだ、あれだけの出来のモノが創れる同世代オタクってみたことが無い。善良な市民さんは、
 
1.文化人のおっかけを一時期やっていたお陰で、ある程度までだが「現場」をおさえている*1。そのような努力も怠らない
2.(オタク分野で言えば)アニメを中心に、中学生ぐらいの頃から作品をきっちり追いかけている。
3.1970年代後半生まれで、第三世代オタク達の現場の手触りをじかに知っている
4.哲学分野やら文学分野やらにある程度通じている。議論に際して参照できる各分野の教養を相当確保している。
5.地頭がいい(これはもうどうしようもない)
6.オタク趣味やサブカル趣味しかアイデンティティを支えるものが無い、というわけではない。或いは、オタク/サブカル趣味で欲求不満や優越感の補償をしなくても大丈夫な部分を確保している、と言うべきか
 
 といったアドバンテージを保有したうえで議論を展開している。これだけの条件をそれぞれある程度の水準で満たしたオタク論者*2は、果たしてオタク文化を議論する論者にどれだけいるだろうか?私の知る限り、そんな奴はみたことがない。仮にいたとしても、極めて少数だろう。
 

 「別に、1.〜6.まですべて確保していなくったっていいじゃないか。俺は彼よりゲーム分野は詳しいから、そこで殴り込みをかけてやればいい」と仰る人もいるかもしれない。確かに、善良な市民さんとてオタク文化の津々浦々まで知っているわけではなく、彼の知らない所から切り込めば面白い議論が成立する可能性は十分ある。だが、幾ら2.においてアドバンテージを持っていたところで、(例えば)4.5.6.あたりがダメダメではお互いにとって有益なdiscussionが成立しがたいような気がする。まして、“正面から論破”なんて不可能に近い。しかも善良な市民さんのこれまでの傾向として、6.を満たしていないとすぐにそこを素早く突いてくる可能性が高く、6.を満たさずに防衛機制丸出しの論者は、痛いところを突かれて足元がぐらつき、“転進”を余儀なくされてしまうリスクを負うことになる。その手のツッコミでスゴスゴ引き下がるようでは、門前払いされてしまうだろう。
 
【実際に善良な市民さんを正面突破する為に必要な“想定戦力”】
 以上を踏まえると、もし善良な市民さんを正面突破しようと思ったなら(またはある種のヒエラルキーのなかで対等の目線で戦おうと思うなら、と言い換えるべきか?)、私は以下のポテンシャルを満たせるだけ満たしておいたほうが良い、と考える。
 
1.東京の偉い人のお話の現場を押さえていたほうが有利。ただし、これは必ずしも押さえておかなければならないという事は無いかもしれない。
 
2.該当オタク分野に関する作品の知識。善良な市民さんと同じ視点でなければならない、というわけでは無いにせよ、自分なりに作品の系譜なり歴史なりに通じている必要はある。他のオタク分野や、非オタク分野との関係などについても知っておかないとやばげ。もちろん台詞をいっぱい暗記していればいいなどというのは論外。
 
3.最近のオタク事情にタイムリーな話題を展開しようと思ったら、1970年代後半生まれとまではいかないにせよ、十分に現代オタク事情に通暁しておく必要はありそうだ。出来れば1980年代以降の動向に通じているとすごくよさげ。
 
4.議論のなかにしばしばモダン・ポストモダンの概念や語彙が登場するので、それらに関して知識があったほうが議論の障害が少なそうに思える、最低限なんとなく意味が通じるぐらいのほうが良い。なお、善良な市民さんの哲学的知識がどの程度のものかは不明にせよ、構造主義以降の本だけを読んでいるなんて事はまずあり得ない。東洋思想に関しては不明だが、西洋思想に関しては一通りの“流れ”くらいは把握していると思っておいたほうが無難。同様に、文学作品に関しても新しい時代の作品だけ読んでいるなんて思いこみは捨てたほうがいい。彼の指すところの教養は、1960年以降だけ読んでいれば良しなんていうものでない筈だ。参照できる作品の幅と数(と系譜についての知識)は、善良な市民さんとの正面議論を行なうなら用意したほうが良いと推測される。ただ、教養腕相撲をやるわけではない以上、そういう分野の知識をひけらかせば勝てるなどといった非生産的なことは考えないほうがいい。*3
 
5.頭は、出来るだけ良いほうがいい。じゃあどれぐらいが良いのかと訊かれると困るけど、出来るだけよく回るCPUで議論に臨みたい。こればかりはどうにも出来ないが。
 
6.オタク趣味の狭い井戸のなかだけで優越感ゲームを展開していて、その一環として善良な市民さんにつっかかる人は、絶対に足元を掬われる。『サブカル・オタク趣味のなかでヒエラルキーを想定して自分を高い位置に置かなければ劣等感を補償できない』なんて人を、善良な市民さんが見逃す筈が無い。そこの所を突かれて撃沈するか、完全にスルーされてしまうか。
 この同人誌がターゲットにしているであろう層が挑発された時、新しい考えを巡らせたり対等の議論を試みるというよりも、おそらくは指摘された痛いところに首を引っ込めてしまう*4傾向にあることぐらい、『惑星開発委員会』は織り込み済みだ。
 
 
【ほら、手強いでしょう?】
 
 さてどうだろう?こんな化け物絶対無理!って思った人も多いんではないだろうか。少なくとも、私はこのリストを満たしていないしこれからも満たせない。善良な市民さんを真正面から(=同じ次元から)論破する為に要求されるものは、善良な市民さん自身の運用する教養なり何なりを考慮すれば極めてレベルの高いものとならざるを得ない。昨今のオタク界隈で文芸論をぶっている人達をみていると、2.を満たしているけれども6.満たさない人とか、6.を満たしているけれども5.があまりにお粗末な人というも多く、善良な市民さんほどのカードを同程度の豊富さで取り揃えた人というのはまずいないようにみえる。オタク界隈の外にはそういう人もいるようだが(ただし、2.3.を満たしていない人が多いかもしれない)、オタク界隈のなかには絶無に等しいように思える。少なくとも私はみたことがない。
 
【まとめ:彼の視点で彼を正面突破出来る者はいないと認めてしまえ】
 
 このテキストにおける結論を言っちゃおう。
 オタク界隈でオタクコンテンツについて議論を行う人は、安易に善良な市民さんと正面決戦をしないほうがいい。前項1.〜6.を満たす人なら効果的な議論が可能かもしれないが、あのモンスターと正面決戦が可能な教養・オタク史観・経験・地頭・葛藤解消を確保している第三世代オタクは、(今現在)おそらく日本全国を探しても数えるほどしかいない。ひょっとしたら絶無かもしれない。2006年現在の第三世代オタク文芸論者達は、善良な市民さんと正面決戦を企図したとしても、噛み合っていてなおかつ有意義な議論が可能かというといささか怪しい。どうせ善良な市民さんの独壇場になるのがオチなんじゃないかと思う。*5とりわけ、6.を満たさない人達・オタクコンテンツを文芸的論壇的サブカル的に消費しヒエラルキーを想定して優越感を備給する人達には勧められない。善良な市民さん達の圧倒的な戦力の前に、優越感ゲームに「負けて」べそをかくのが目に見えている。*6
 
 1970年代後半生まれのオタク論者としての善良な市民さんは、このように、極めて強大な論者である。おそらくだが、彼が望むと望まざるとに関わらず、善良な市民さんはオタク界隈の文芸的食物連鎖のてっぺんに位置していて*7追随出来る者は未だいない。しかも、単に議論に隙が無いとか頭が良いというだけでなく、やっていることと活動スタンスがクールなんだからたまらない。同世代のオタク論者に、1.〜6.において彼を凌駕する人物は存在しない(か、殆ど存在しない)し、彼をしのぐ文化的格好よさを確保している論者も稀だと思う。善良な市民さんと同じレイヤーで建設的な議論を行いたい人は、まず彼の強大さを十分に承知したうえで議論を行ったほうが良いと思う。また、『惑星開発委員会』を読んで何か学び取ろうとか考えようと思う人も、そこの所を承知したうえでで眺めたり運用したりしたほうがいいと思う。彼らは強くて格好よい。
 
 ところで、私はなぜ、わざわざ善良な市民さんの手強さを紹介するのだろうか?
 私個人の僻み根性を適度に発散させる為か?
 
 もちろんそれもあるが、それだけの為に紙幅を割いても面白くない。
 それよりも、彼がいかに重武装の論者であるかをはっきり意識することが、治療薬としての『惑星開発委員会』を考察する際の手助けになるんじゃないかと思ったからである。また、善良な市民さんがかくも重武装の論者として『惑星開発委員会』を進行させていった時の副作用を考察するうえで、彼の強大さ加減を思い知っておくと色々と都合がよさそうだからである。この副作用は、『惑星開発委員会』というテキストを適応向上の為の治療薬として消費する層にとって(つまり、善良な市民さんが言うところの挑発される大衆側にとって)決して無視できないファクターだと私は考えている。以後のテキストでは、そこら辺について触れてみたい。
 
↓つづく

*1:関連:ARTIFACT ―人工事実― : メディア経験主義のオタク、現場主義のサブカル−アキバにオタクを代表させることはオタクを現場主義にさせてしまうだろう−

*2:善良な市民さんを、オタク論者という枠でくくるのは間違っている。だがさしあたり、私のテキストはあくまでオタクコンテンツとオタク自身を論じる彼にのみ注目する

*3:そもそも、勝つ負けるという考え方自体が修羅界のモノの考え方で、建設的ではない

*4:ここで言う“首を引っ込めてしまう”とは、防衛機制を発動させて指摘から遠ざかってしまう、という意味である

*5:私個人は、仮にそうだとしても善良な市民さんのポケットの中身をかいま見れるかもしれない、という誘惑に抗しきれないような気がする。己の内に生じる幾ばくかの劣等感と引き替えに、彼の手の内や幅広い考察に触れる機会を与えられるなら、御の字というところだ

*6:まぁ、私が警告するまでもなく、『惑星開発委員会』に噛みつくオタク論者、とりわけ文芸的論壇的サブカル的ヒエラルキーごっこに悦楽しちゃっている人達は、真正面から噛みつこうとしせずに善良な市民さんの“圧力”をすり抜けようと側面に逸れているように見受けられるが。ただし私は、そうした側背攻撃が卑怯だとかいうつもりも無い。建設的な議論とは正直言いがたいが、それが当人の適応を守るなら、まぁいいんじゃないかと。

*7:『惑星開発委員会』が優越感ゲームをしている、という難癖をしばしば見かけるが、それは彼ら自身が実際に優越感に舌鼓を打っている為かもしれないが、それ以上に、彼らを優越感ゲームにおいてやっつけられないが故の僻み根性にも由来していると私は推測する

甘えずに社会復帰しろ、という『惑星開発委員会』の呼びかけの届かぬオタク達

 
 ↑このテキストは、『惑星開発委員会』の善良な市民さんは、極めて強大である - シロクマの屑籠の続きです。
 
 一つ前のテキストでは、『惑星開発委員会』、とりわけ主催者の善良な市民さんがいかに重武装の論者なのかについて記述してみた。以下そこの所を踏まえた上で、『惑星開発委員会』という“オタにつける薬”が医薬品としてどの程度有用なものなのか順を追って考察してみたいと思う*1。このテキストでは、『惑星開発委員会』の治療薬としての作用機序と、呼びかけの届かぬオタク達の姿について描写してみたいと思う。
 
 なお、『惑星開発委員会』は、オタク/サブカル信者達の痛々しい優越感ゲームや防衛機制に依った迂回に対して手厳しいほどの挑発を行っているだけでなく、オタク文化/サブカル文化の評論・新しい歴史観の呈示・現状の考察といった分野において(1970年代後半生まれという出自・経験も含めた)重要な視点を提供している事は断っておこう。仮に、これから先のテキストを読んであなた自身の適応があまり向上させられないと判ったとしても、『惑星開発委員会』を脱価値化するのは適当ではない。治療薬としてのご利益を失ったとて、『惑星開発委員会』は輝きを失わない。
 
【現在の『惑星開発委員会』の治療的作用機序】
 
 まず、『惑星開発委員会』という、対オタク治療薬の作用機序について考えてみよう。彼らは動物化したオタクをdisり、(オタク作品を)論壇ごっこ的に批評して優越感ゲームを堪能するオタクをdisる。代用品の二次元美少女に萌え、狭い井戸のなかで内弁慶に終始する彼ら*2に対して、容赦の無い直面化を迫る『惑星開発委員会』。“気づき”を通してオタク達に現実回帰を訴え、念には念を押して「俺達はわかっている」というメタ視点ごまかしにすら釘をうつ手法を通して、彼らは“大衆”を挑発する。挑発された側が何か考えてくれるように、という思いが背景にはあるのではないかと私は推測している。これが、惑星開発委員会がオタにつける薬として作用するメカニズムとして、最も大きいものだと思う。*3
 
 また、もう一つ忘れてはならない作用機序として、“生き方指南などという思想が有効性を持たない以上、個人個人が教養を集めて色々やっていく土台を用意すればいいんじゃないか”という指摘がある。確かに、サブカル“信者”や狭いオタク趣味のなかでウーウー唸っている人達に対して、この指摘は妥当なものだと思う。狭いオタク井戸や、その他各種文化圏なり各価値観なりの井戸に引きこもり、井戸内部のヒエラルキーと優越感ゲームの虜になっている人達に対して、広い視野を勧めるのは好ましいことに違いない。文化ニッチ細切れの状況下で世間知らずの袋小路に迷い込まぬようにするためにも、善良な市民さんの言う“社会復帰”を進行させるうえでも。
 
 しかし真に問題にすべきは、こうした作用機序を持った『惑星開発委員会』がどんなオタクに対してどんな効果(作用と副作用)を実際にもたらすか、という所である。これですべてのオタクが恋愛するように頑張ったり、狭小で独善的な世界観から脱却したりすれば万々歳だが、実際にはそうはいかないと思うわけである。作用機序が幾ら素晴らしくても、in vivoできちんと働かなければ薬は薬ではない。以下に、『惑星開発委員会』を実際のオタク達に与えた時の反応について予想または記述してみようと思う。
 
例1:中学二年生男子のA君の場合(14歳)
 
 スクールカースト低位で自信喪失気味なA君は、趣味の選択肢が他に無かったので、アニメと漫画ばかり眺めるようになった(次世代を担う)オタク予備軍だ。Zガンダムでググって惑星開発委員会を発見し、レビューを読む。読んだけれども、なんだか意味がわからない。さらにググって調べると、安保とかセクトとか言葉の意味は読んでわかったものの、いまいち実感が湧かない。偶々、おねえさんが持っていた『惑星開発委員会』の配本を発見して目を通す幸運に恵まれるが、「大塚」「宮台」「東」とか何とか、聴いたことの無い人名が沢山載っていて理解が出来ない。何か恰好良いことが書いてあるような気はする。この魅力は何なんだろう?
→わかんないから素通りしてしまう
→後日、惑星開発委員会のスタンスを“恰好良い”と思うようになって、田舎のオタクコミュニティのなかで優越感ゲームのダシにする
 
例2:大学院生男子Bさんの場合(27歳)
 
 デリダやラカンという言葉を口にすればオーラがわき出ると勘違いしているBさんは、文化系大学院生。趣味はブログでアニメを論評することである。論評に際しては偉い人の“言説”を出来るだけ引用するのが重要なポイントだ。味の素、みたいなものである。時々、引用ミスを指摘される事もあるが、ご愛敬ということで。惑星開発委員会を読んでいるとわけもなく苛立ち、何とか罵倒してやろうとあれこれ考える。結局、自分の教養ではdisりきれないと悟り、この野郎と思いつつもどうしてくれようかあれこれ思案しはじめる。
 →「楽しんだもの勝ち」という視点をとるには少々理屈倒れ過ぎるBさんの場合、スルーするというわけにはいかない。
 →「これは奴らが優越感ゲームを楽しんでいるに違いない。なぜなら俺がこんなに劣等感を刺激されるからだ。」
 →惑星開発委員会のスタンスに“服従”する。または惑星開発委員会信者になる。今までの狭い井戸を脱出し、今度は“惑星開発委員会の視点の井戸”に飛び込み、頭が良くなったと勘違いする。恨みの混じった畏敬を善良な市民さんに向けつつ、やってる事は今までの繰り返し。
 

例3:プログラマー男性Cさんの場合(25歳)
 
 童貞年齢も高くなってきたCさんは、焦りを感じながら日々を過ごしている。オタク趣味にどっぷり漬かっているうち、自分のコミュニケーションスキル/スペックが世渡りや男女交際にあまりにも不十分である事に気づき始めたからである。「脱オタクファッションガイド」を購入し、脱オタ作戦進行中。そんなとき、オタ仲間から『惑星開発委員会』を借りてきて、読み、うなだれる。
→確かにダメなんだよ。俺達はオタク界隈に引きこもっている駄目な奴なんだ。本当は女の子の髪を梳いてみたいと思ってるんだ。だけど意気地なしなんだ!
→くそっ!むかつく!この本破いてやりたい!でも破ったところで何も変わらない!
→教養を集めるったって、25歳だもんなぁ。俺、プログラムとエロゲー攻略以外は能がないからなぁ。
→女の子と付き合え、社会復帰を促す?ああ、そんなの百も承知だよ!だけどね、こちとらその方法がわかんねぇんだ!あーわかっているさ!方法を教えろ方法を!目標は分かっていてもたどり着く手段が見つからないんだよ!
→俺が世界で一番駄目なんだとか思っているうちに、なんだかきもちよくなってきたぞ?!(自笑行為)
 

例4:地方工員Dさんの場合(35歳)
 
 親から結婚の話を振られるのが苦痛だと感じているDさんは、カードゲームとギャルゲーが専門。オフタイムはすべて趣味に、給料の大半はオタク趣味につぎ込むという、業の深いオタクさんだ。夏と冬にコミケまで遠征するが、一回あたり二十万円程度買い物をするというオタっぷりである。意地の悪いオタ仲間が「これ読んでみろよ」と手渡した『惑星開発委員会』を読み、流す。
→「まー俺達はわかっているんだけどね」「こういう意見があってもいいんじゃない?」
→“メタに逃げてんじゃねーよ!”という善良な市民さんの声には馬耳東風
→ハルヒが高く評価されていることにホッとする。貸してくれたオタ仲間に対しては、「SEEDはやっぱりダメだよね、宇宙世紀ガンダムだよね、富野節だよね」と感想を述べる
 

例5:就職したけれども三ヶ月で“鬱状態”になり休職中のEさんの場合(23歳)
 オタク仲間のなかでオピニオンリーダーたるべくEさんはいつも頑張っている。職場同僚の“イジワル”によってやむを得ず休職を余儀なくされているEさんだが、セイヨウオトギリソウを呑みながらココログに毎晩投稿し、エロゲーの作品論を展開する。優れた作品論があると聞いて『惑星開発委員会』を読むことになるが、読んでいるうちにイライラしてきた。
→「これはひどい本だ。見下している。オタク文化を馬鹿にしている。世界に冠たるOTAKUについて何も触れてないし、萌え文化を評価しようとしていないね。」
→「僕らをゴミ屑みたいに呼ばわって。僕はこんなに仕事に頑張って社会に揉まれているんだ。現実に帰れったって、現実は鬱なんだよ!」
→鬱にもならずに彼女もいる人には、どうせ僕の気持ちなんかわかっちゃくれないんだ!
→ひとしきり怒ったり不安になったりしたので、To heart2をやって一服。その後、「エロゲー作品がいかに現代恋愛事情をトレースしているか」についてブログに考察をアップ。
 

【大衆オタ達の受信機と、『惑星開発委員会』の発信機の隙間】
 
 『惑星開発委員会』が挑発し、現実に帰れと呼びかけるべき“大衆オタ達”の反応というのは、概ねこんなものではないだろうか。反省せず、考えず、防衛機制で自分をごまかし、教養という名の落ち穂拾いなんて夢のまた夢、といった各々のweak pointを抱えた(大多数の)第三世代オタク達が『惑星開発委員会』を読んだところで、それできっちり現実回帰してくれるだろうか?私は、『惑星開発委員会』という“治療薬”が何%のオタク達の中枢神経にきちんと届いて治療薬として機能するのかに疑問を感じている。臨床では、どれほど強力で作用機序が明確な薬物でも、“標的臓器の標的細胞のレセプター”まで吸収→運搬→結合しなければ効果が無いし、副作用が強すぎても好ましくない。“脱オタ”という、限定的とはいえオタにつける薬を長年追いかけ続けている私からみると、こうした“創薬上の問題”を『惑星開発委員会』は解決していないようにみえてならない、ちょうど1999年頃の脱オタサイト達がそうであったかのように。
 
 続くテキストでは、治療薬としての『惑星開発委員会』の問題点や副作用について列挙していきたいと思う。
 ↓つづく
 

*1:ちなみに、善良な市民さんと転叫院さん自身も、第一回配本P22〜P23において“オタにつける薬が必要”“社会復帰のマニュアルが必要”という事を述べている。実際、『惑星開発委員会』のネット上・同人誌上の文章のなかには、それを匂わせる記述があちこちに散見される

*2:ここら辺の認識は、私の認識と似ているところもある:オタクにみられる防衛機制(汎適所属)参照

*3:“現実回帰”“お前らが欲しいものをダイレクトに追いかけろ”という視点は、なにげに脱オタ議論に近い部分もあってか、私はこの視点についつい目がいってしまうほうだ。

オタにつける薬としての惑星開発委員会の問題点と、副作用情報

 
 こちらのテキストでは、治療薬としての『惑星開発委員会』が、標的オタクの中枢神経に適切にdeliveryされにくいであろう要因や、副作用について考察してみる。また、可能な範囲で、それらの弱点に対してどのような対策が可能なのかも提案してみる。
 

1.中学二年生のオタクが読むには難しすぎる
 彼らの想定する“中学二年生”とは、どのような人達なのだろうか?豊富な注釈があるから大丈夫、というわけにはいくまい。あの内容で果たしてどれだけの中学二年生が読みこなすことが出来るのか?エリート中学生ならともかく、並みの中学二年生はもちろん、凡百の動物化した大人のオタク達にとって『惑星開発委員会』は読みやすい読み物だろうか?(後述する)優越感ゲームの材料として誤読消費される可能性云々以前として、『惑星開発委員会』の挑発は本当に“中二並みの脳みその大衆”に飲みこなせる難度設定なのか、私は疑問に感じている。どうなんでしょうか?もし「中学二年生にも読めるように」と真顔で考えてあの文章構成と内容だとしたら、ちょっとなぁと思わずにはいられない。
 

 →対策
 読解の難度を下げる。お手本として挙げたいのは、『脱オタクファッションガイド』ぐらいの難度。あれぐらいの難度なら、治療薬としての『惑星開発委員会』は本当の意味で中学二年生でもラノベしか読めないお友達にも内服可能になるのではないだろうか。そこまで易しくしないにしても、難しいタームを他の表現で言い換えるだとか、幾ばくかのリスクを冒しつつも大衆向けにやれる事はある筈。難度を下げるにあたっては、秀逸なオタク文芸論のクオリティを維持する為に、オタク作品のレビューなんかの部門と治療薬の部門を(本単位か章単位で)はっきり分割する事をお勧めしたい。または、「この治療薬は、頭の良い中学二年生なら飲みこなすことが出来ると思いますが、頭の悪い子や心の悪い子は適用外です。」と、はっきり注意書きをしておく。そこまでいくと拙いというなら、せめて自分の創った薬の適用がどの辺りの層で、どの辺りに大して“無効または有害”なのか明記しておく、というのはどうでしょうか。
 
2.“教養という環境”を取り揃えることが可能なオタクが限られている。
 教養という環境を整備する方法論に関しても、読み手の能力的な問題が障害となりやすい点に注目しておきたい。世のオタク達のなかに、(オタク趣味の教養化という意味でも、非オタク分野にも目を向けるという意味でも、教養という言葉が期待され得る一連の分野に目を通すという意味でも)“教養という環境”を整備出来る人間というのは実は限定されていると思う。“教養という環境”を整備するには、それなりの脳味噌の性能が必要かもしれないし、それなりの時間が必要かもしれない。動物化したオタクという揶揄の似合う人達は、そもそもこうした教養を蓄積させるポテンシャルを持ち合わせていないのではないかと私は疑う。平均的な大衆は、教養などというものを蓄積させられるほどには賢くないし、消費は知っていても蓄積を知ることはない。よもや、「人間は賢い」などという素朴な信仰を持っているほど世間知らずというわけでもない以上、これはどういうことなのかな、と思う。(『惑星開発委員会』の説くところの)教養を蓄積させられる人間って、どれぐらいいるんだろうか?
 
→対策
 “教養という環境”を整備する事自体は好ましいことで、狭いオタク井戸のなかで「誰が一番高く跳べるのか」という蛙達の優越感ゲームに気づきを与える良い方法だと思う。とりわけ高く飛べる蛙さんならば、教養を蓄積させることによって判断の幅を広げて井戸のなかを外からまなざす事も成功するやもしれない。だがいかんせん、『惑星』が提唱する教養解毒剤を飲み込めるオタクは、素養なり環境なりに相当恵まれた存在に違いない。または、オタク井戸にすがりつかずにはいられない心的傾向の束縛からある程度フリーな存在に違いない。残念ながら、素養・環境・心的傾向の故に教養にアクセス出来ない“大衆”は数多い。というかそういう“大衆”こそが“大衆”を“大衆”たらしめている多数派だと私は思う。だとしたら、“教養という環境”を整えることで自ずと井戸から抜け出るという方法論が“大衆”のなかのどの辺りのレイヤーまで適用可能なのか、研究したり開示したりしていくのが望ましいのではないだろか。望ましい作用が期待できる層と、“幾ら頑張っても無駄/そもそも頑張れない”層を場合分けすることによって、治療薬としての安全性と有効性を明確にすることは出来ないだろうか、と思う。
 

3.現在の『惑星開発委員会』のままでは、防衛機制に弾かれるリスクが高すぎる
 一方、オタクコンテンツに対する論壇ごっこに興じている人達のなかには、教養をかき集める頭の良さと環境は持っているけれども、オタク界隈で優越感ゲームに興じなければ自分を保てない気の毒な人達も少なくない。こうした人達こそが、まさに『惑星開発委員会』が蒙を啓かんとターゲットにしている層だと私は推定しているが、彼らは心的スペック上の制約から、オタク界隈で優越感を備給せずにはいられない日々に雁字搦めになっている。挑発的な『惑星開発委員会』という治療薬は、果たして彼らの中枢神経に的確に配達され得るのだろうか?否。直面化に対して、さらなる防衛を展開するだけ*1ではないだろうか?
 
 →対策
 臨床レベルの話としては「事実を突きつけりゃ“気づき”に繋がって治療になる」という考え方はあまり現実的ではない。厳しい言葉で直面化を迫ったところで、どうせ防衛を一層強固にしてしまうだけだ。もしも直面化技法を通して彼らの行動に影響を与えようと思うなら、まず直面化をクライアントが受け容れるだけの下地作り(苦い薬でも飲んでくれそうな良好な関係性の確保、などなど)が必要だし、防衛によって回避されている葛藤に当人が耐え得るのかどうかの推定も出来るだけ行わなければならないと思う。
 
 喩えるなら、「プールの嫌いな子をプールに誘うにあたって、十分仲良くなっておく事・プールに入って心臓発作起こさない子か確かめておく事」という事になるだろうか。もし、善良な市民さんが“彼ら”を“社会復帰”させようとまともに考えているなら、北風戦術よりも太陽戦術をとったほうが良いと思う。少なくとも、自説をより多くのオタク(少なくともターゲットとするオタク)が吸収しやすいよう、もっと工夫出来るんじゃないかな、と。
 
 なお、北風戦術、という私の表現に万が一にもピンと来ない程度に鈍感なんだとしたら、治療薬の開発はもうやめたほうがいいと思う。もしそうだとしたら、言葉で施術を志す人間としてはセンスが無さ過ぎる。けれど、多分そんなことは無いのだろうと私は疑っている。あの高圧的で見下ろすような直面化も、“修辞上の戦術”ですよね、善良な市民さん?
 

4.『惑星開発委員会』そのものがオタク達の優越感ゲームを牽引する番長として機能してしまう
 『惑星開発委員会』の善良な市民さんは、極めて強大である - シロクマの屑籠で記した通り、『惑星開発委員会』の批評活動はとても質が高く、善良な市民さんの論評テキストはどれもこれも素晴らしいクオリティを誇っている。1970年代後半生世代からの発信という視点からみて、文句なしに喜ばしいことであり、『惑星開発委員会』と善良な市民さんの今後の活躍に私は期待しまくっている。彼らの主張は優れた洞察に満ちているだけでなく、なんというか、恰好良い
 
 しかし、この、アニメ(とサブカル)評論としての『惑星開発委員会』の凄さと魅力は、治療薬としては好ましいことではないように感じられる。なんというか、副作用が強いというか。とりわけ、『惑星開発委員会』という一冊の本に強力且つ恰好良い*2評論と、治療薬がごたまぜになっているのはまずいんじゃないだろうか。
 
 何が言いたいかというと、善良な市民さん達が望むと望まざると『惑星開発委員会』の評論が恰好良くて読み応えがありすぎて、アニメをしたり顔で評論する人達の優越感ゲームの具として消費されちゃうんじゃないかな?と懸念するわけである。クールなオタク評論を前にした時、サブカル的ヒエラルキーのなかで優越感ゲームをやらずにはいられない人達は、防衛機制を解こうとする代わりに、自分のステータスや優越感ゲームの材料として消費しはじめちゃうんじゃないだろうか(もし、強烈な同族嫌悪を呈するのでなければ)。具体的には“『惑星』読んでないなんて遅れてるぅ!”とか、『富野ガンダムはVが最高傑作だねw』みたいな。『惑星開発委員会』をバイブルにした信者達が、界隈のなかで優越感ゲームを続ける可能性を私は警戒する。
 
 『惑星開発委員会』の高圧的な論調が、こうしたサブカルヒエラルキー連をアトラクトする為の意図的な小細工なんだとしたら、そうした恰好良さと引き替えに『惑星開発委員会』の治療薬としての副作用は増大せざるを得ない*3。いや、意図的に小細工していなくても、結果としてそうなっている。皮肉なことに、『惑星開発委員会』がオタク評論として秀逸であるが故に、オタク評論に引きこもる中途半端に濃いオタ達の優越感ゲームの素材として消費される可能性が高くなっているって事はないものか。防衛機制を固める材料として消費される事は、善良な市民さんの望むところではあるまい。しかし、あなたのスタンスと供給コンテンツは、或る種の人達の脳みそを空っぽにしてしまう程度には恰好良すぎる*4。自意識過剰と言われるリスクを冒してでも、そこの所に言及してみて欲しいなぁと思う。今更、自意識過剰って言われてどうこうって事もないでしょ?
 
 →対策:
 オタク/サブカルチャーに関するdiscussionと治療薬部門を別々にし、後者に関してはわかりやすくて副作用の少ない創薬を計画する。治療薬部門では高圧的なレトリックや引用を控え、それこそ大衆書らしい仕上がりを目指す。た、オタク評論部門における自分達の恰好良さを確認したうえで、自分達の座標系が(動員の有無に関わらず)ある種の優越感ゲームプレイヤー達に与える影響について意識的かつ明示的であって欲しい。
 
 個人的には、オタク作品論評部門に関しては尖って恰好良い『惑星開発委員会』で有り続けて欲しいので、こういう分業をはっきりさせて、治療薬部門の副作用の軽減とdiscussionの恰好良さを両立させて欲しいと切に願う次第。
 

5.具体的にどうやってオタク井戸の優越感ゲームから脱出するのか書いてない 
 紙幅の都合を考えれば無いものねだりも同然なんだけど、『惑星開発委員会』には現実回帰に際しての具体的アドバイスが載っていない。善良な市民さん達は、狭いオタク井戸(やサブカル井戸)のなかでヒエラルキーごっこと補償行為に明け暮れている人達に対して「やばいやばい現実に帰れ」と呼びかけてはいるものの、“やむにやまれず現実逃避している人達”を帰りやすくする為の具体的技術論は展開していない。また、やむにやまれず現実逃避している事情なり何なりについて配慮や考慮しているかというと、ちょっと怪しい。こうした道筋の不足なり配慮の不足なりは、治療薬としての『惑星開発委員会』を受け取る側の危機感と不安感だけ煽るだけで、むしろ一層安易な抗不安サプリメントに逃避させる契機にすらなりかねない(参照:「ゲーム脳」と類似の構造式の抗不安サプリメント達 - シロクマの屑籠)。もしそうだとしたら、いつまでたっても防衛機制の縦深陣を突破することが出来ない。
 
 →対策
 心的葛藤を緩和する方法や、「彼らが現実に帰るにあたって不足しているもの」を補う方法について、何らかの考察を展開する(もしかしたら、既に 企画してたりして)。また、逃避している人達をこき下ろすだけでなく、彼らが逃避せざるを得なかった事情や理由について検討し、彼らが直面化に際して他の防衛機制に逃げずに不安少なく受け容れられる方法を考える。
 
 ちなみに私個人は、ルサンチマーンなオタが教養を蓄積させたところで結局オタク論評エリートが一人誕生するだけで、オタクの自己実現を恋愛や仕事に向けさせるには至らないと考えている。井戸のなかの優越感ゲームに魂を奪われ十分に堕落した人達は、その延長として今度は教養を優越感ゲームの具にして、オタク/サブカル界隈で番長−舎弟ごっこに興じるんじゃないかと危惧している。それじゃあ善良な市民さん達の提言とは正反対の結果を招来しちゃうんじゃないかな、と。彼らはきっと教養をも防衛の具にしかねないし、教養の蓄積にあたって葛藤を回避するようなチョイスを働かせるものと推測される。
 
 案外、技術論などという工学的営みはほっちらかしてこちらに任せてしまってもいいのかも、と思うこともある。そこまでいかなくても、自分の手法が届かない人達について明示しておくのもいいかもしれない。
 

【治療薬としての『惑星開発委員会』は副作用が多く適用症のレンジも狭い】
 
 少なくとも以上のような制約を『惑星開発委員会』は抱えており、そのことが治療薬としての利便性に大きな影を落としていると私は考える。読者の知的/心的スペックを過大評価している部分や、『惑星開発委員会』のオタク論評部門が恰好良すぎる為に発生する副作用の部分、そして技術論の不足などなどを解決するか切り離すかすれば、『惑星開発委員会』はより有用性の高いツールとして推奨されることになるだろう。
 
 一方で、『惑星開発委員会』は当世オタク事情考察やオタク作品論評においてめざましい活躍を示しており、そちらのほうでは益々の飛躍が期待される。治療薬部門に配慮するあまり、論調が萎えてしまったり、“恰好良さ保持スタンス”に翳りがみえたりしてはつまらない。なので、オタにつける薬としての『惑星開発委員会』と部門を別にしてでも、今後も尖った主張を続けていって欲しい。
 
 現在の『惑星開発委員会』は、オタにつける治療薬としては問題だらけでろくに内服できっこない状態だ。だとしたら、治療薬という看板を降ろしてしまうのも悪くない。オタにつける薬は『惑星開発委員会』以外でも創薬出来るかもしれないが、『惑星開発委員会』には、他の誰にも真似出来ないことがある。だとしたら、治療薬部門をいっそすっぱり諦めてしまうのも手かもしれない。少なくとも、上に挙げた問題点にパッチをあてる目処がたたないとすれば、『惑星開発委員会』という治療薬は飲み下すのも大変なうえに副作用(例えば『惑星開発委員会』などを頂点とする教養サブカルヒエラルキーへの編入も含めた、防衛機制の上塗りや強化)も強く適用症もはっきりしないままという事になってしまう。これは、治療薬としては大変勿体無いことだ。今回私なりに、問題点を抽出して対策を考察してみたわけだけど、もしこれらの具申が『惑星開発委員会』の創薬部門に僅かなりとも貢献できるとしたら嬉しいなと思うし、それによってオタ達の社会的予後に好影響を与えやすくなるならもっと嬉しい。
 
 まぁいいや、とにかく書いた。疲れた。がんばった。
 今の私が善良な市民さんに何か出来るとしたら、こんなところだろう。
 読んでもらえるかは分からないけど、多分気づいてもらえるだろう。
 

*1:とりわけ、防衛機制のなかでも合理化が発生しやすいと私は推測する→オタクにみられる防衛機制、合理化・知性化(汎適所属)。 善良な市民さんがvol.02で繰り返し指摘している、「オタ達が直面化を喰らった時に承知済みという言い訳をする」現象も、合理化のカテゴリに分類可能だと思う

*2:ちなみに、動物化したオタクほかをこき下ろすスタイルや色々ない引用などは、敷居の高さ・治療薬としての『惑星開発委員会』のコンプライアンス低下etcと引き替えに、善良な市民さん達の恰好良さに貢献していると思う。単に論評が優れているばかりでなく、つっけんどんで“可哀想な連中は可哀想だ”と言い放つ姿勢は、『惑星開発委員会』の御利益にすがりながら優越感ゲームを展開しようなどと考えるさもしい連中を惹きつけかねない。

*3:また、前項の通り、直面化技法としても上手くない

*4:だから、たとい動員をかけなくても、善良な市民さんと『惑星開発委員会』の周りには有象無象の動員兵が群がってきて、粗悪なコピーロボットごっこをやらかすんじゃないかと懸念する。[参考:惑星開発委員会vol.02、P228-229]意図的に動員をかける事と、存在が結果として動員しちゃうのではまたニュアンスが違うことは承知しつつも、自分達の存在が発信するだけで、既にある種の人達を舞い上がらせちゃっている事には自覚的かつ明示的であって欲しいなと私は思う。