シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「釣りの終焉」と「フェイクの時代」

 

 
インターネットスラングに「釣り」というものがあった。たとえば00年代の2ちゃんねるでは、「釣り」「釣り乙」という言葉がしばしば用いられた。釣りを釣りだと理解していることは、ちょっとしたネットのリテラシーだったものだ。昔の2ちゃんねるの管理人が言っていた、「ウソをウソだと見抜ける人でないと(インターネットは)難しい」という言葉が支持されていた時代でもあった。
 
はてなダイアリー(現はてなブログ)やはてなブックマークでもそれは同じで、「釣り記事」「釣りエントリ」といった言葉が並んでいたものである。わざと突っ込みどころのあるブログ記事を書いたり、たくさんの人の反応を集めるための仕掛けをほどこされたブログ記事などに、そうした言葉があてがわれていた。「大きな釣り針」「錆びた釣り針」といった派生語を用いている人もいた。本人は大真面目にブログ記事を書いたつもりが、「釣り」扱いされて、憤慨している人もいた。
 
なんにせよ「釣り」という言葉があって、皆がそれを共有していた。
 
twitterでも、00年代までは釣りという言葉はそれほどレアではなかった、はずだ。「はずだ」と書くのは、2009年まで私はtwitterを非公開運用しかしていなかったからだが、2010年前半のtwitterでは、まだ「釣り」という言葉が視界に入ったように思う。
 
 

「ウソをウソだと見抜ける人でないと(インターネットは)難しい」の終焉

 
しかし、今日では「釣り」という言葉を用いるネットユーザーは非常に少なくなった。古参のネットユーザーでも、「釣り」という言葉を積極的に選び続けている人は少ない。私だって、「釣り」という言葉をネットスラングとして用いるのは久しぶりである。というか普段は意識にのぼらない。 
 
いっぽう世間では、フェイクニュースなるものが取り沙汰されるようになった。事実に基づいたメンションを侵食するようにフェイクのメンションが流通し、そのフェイクが影響力を獲得して事実を食い荒らすようになると、フェイクに皆が真剣になって、フェイクに気をつけろ、フェイクに対策しろと言うようになった。
 
フェイクに気をつけろ、という時の皆の口調は真剣で、「釣り」という言葉を応酬していた頃ののどかさ、おおらかさは無い。「釣り」という言葉にはどこか遊び心があったが、フェイクに関しては、それを流布する側もそれをフェイクだと看破し注意を呼び掛ける側も真剣になっている。
 
昔、インターネットには「ネタにマジレスカコワルイ (現代訳:ネタに対して本気になって反応しているのは格好が悪い) 」というフレーズがあったけれども、ネタや「釣り」に相当するものがフェイクになってしまった今、このフレーズも通用しなくなったと言える。
 
伴って、昔の2ちゃんねる管理人が述べていた「『ウソをウソだと見抜ける人でないと(インターネットは)難しい』も終わりを告げた。ウソをウソと見抜けない人がいて、ウソをウソと知りながら流布し、影響力を獲得する人もいるようになった今は、ウソをウソだと見抜けない人がインターネットには満ちている、というのが本当のところだろう。そして私たちは意外に簡単にウソに騙されてしまう。
 
[参考]:「『ウソをウソだと見抜ける人でないと難しい』という格言はもう賞味期限切れ」という意見に同意の声 - Togetter
 
今にして思えば、「釣り」という言葉に遊び心が宿り、遊び心のある言葉が流通する程度には、インターネットは遊び場だったのだろう。現実とシームレスではなく、現実と少し距離感をもって付き合う場でもあり、マジになり過ぎたらカコワルイものでもあったのかもしれない。だが、現実とインターネットがシームレスになり、そこでお金や影響力が動くことが皆に意識されるようになるにつれて、インターネットは単なる遊び場ではなく、ビジネスや政治の場になった。
 
ビジネスや政治の場では、「ネタにマジレスカコワルイ」などと言えたものではあるまい。
「釣り」という言葉が廃れていったのは、時代の必然だったのだろう。
 

新型コロナウイルスと、呪術で戦っていませんでしたか

※今日、書くことはエビデンスを踏まえたものではありません。感染対策に貢献するものでもありません。私のエッセイ、いや思いつきでしかないことをあらかじめ断っておきます。※
 
 

(※出典:『肥後国海中の怪』(京都大学附属図書館所蔵))
 
 
人々は、新型コロナウイルス感染症と「呪術」や「アニミズム」で戦っていたのではないだろうか。
 
 
外出自粛やマスク、手洗い、医療機関や行政機関の努力の甲斐もあって、5月27日現在、この感染症は下火に向かっているようにみえる。実際にウイルスの拡散を防いだのは医療や防疫のテクノロジーであり、そうしたテクノロジーにもとづいて専門家が助言を行い、施政が行われたからだろう。
 
 
そのことを踏まえたうえで、専門家ではない私たちの大半がどのように感染対策を"体験"したのか、あるいは"解釈"したのかについて、所感を書いてみたい。
 
専門家ではない私たちのなかには、この、新型コロナウイルス感染症との戦いを「呪術」として、「アニミズム」の一環として戦っていた人はいませんでしたか。
 
医療機関や行政機関は、サイエンスやエビデンスに基づいたかたちで「不要不急の外出をひかえてください」「マスクをしてください」「ソーシャルディスタンスを保ってください」とアナウンスしていた。そこに呪術やアニミズムが入り込む余地はほとんど無かったように思う。
 
だけど、そうしたアナウンスを受け取る私たちは、サイエンスやエビデンスに基づいたかたちで受け取っていただけでなく、むしろ同時に、「穢れを払う」「清める」「物忌みをする」といったかたちで受け取り、実践してはいなかっただろうか。
 
いわば、私たちは医療機関や行政機関のアナウンスするとおりに感染対策を実践すると同時に、「穢れを払う」「清める」「物忌みをする」といった日本人に古くから伝わる呪術をも実践していたのではないだろうか。
 
感染対策が叫ばれていた頃、人々は、争うようにマスクや消毒液を買い求め、驚くほど従順に外出自粛を成し遂げ、進んでソーシャルディスタンスを守ろうとした。もともと日本にはきれい好きな習慣があり、手を洗ったりマスクをしたりすることに抵抗の無かったとはいえ、諸外国と比較しても素早く、徹底的にそうした感染対策が実践に移された。
 
命が惜しいから感染対策?
そういう人は大勢いたはずだ。
 
なんだか不安だったから?
もちろん不安は私たちを強力に動機づけたことだろう。
 
サイエンスやエビデンスを理解していたから?
うん、日本にもそういう人はいたに違いない。
 
でも、そういった常識的な動機だけでなく、私たちは*1アニミズムな魂の命じるまま、「穢れを払う」「清める」「物忌みをする」ことに熱中してもいなかっただろうか。
 
たとえばマスク。マスクが売り切れはじめ、ドラッグストアに行列をなして買い求めていた頃、マスク着用をサイエンスやエビデンスに基づいた感染対策として実践していた人はいったいどれぐらいいたのだろう?
 
とりあえずマスクをしてさえいれば、鼻がマスクからはみ出していても、裏返しに装着していても平気な顔をしている人がたくさんいた。あと、空気を清めるだとか、手を洗うだとかに関して、サイエンスやエビデンスを度外視した、気休めというより有害な行動を繰り返していた人々も多かった。外出自粛に関しても、どうしてあんなに人々は熱心で忠実だったのか? よもや、ときの政権に人々が忠誠を誓っていたから、ではあるまい。
 
思い出せば思い出すほど、あの頃の私たちは感染対策に熱心だった。サイエンスやエビデンスを度外視している人も多かったはずなのに、感染対策は熱気に包まれていた。あの熱気はいったいなんだったのか?
 
サイエンスやエビデンスを皆が理解していたからではあるまい。そもそも、サイエンスやエビデンスを動機としていたなら、あれほどの熱気は生じなかったのではないか。3月の半ばから5月上旬にかけての、物忌みカーニバルとでもいうべき、異様な熱心さで行われた感染対策は、私たちの習慣や伝統に練り込まれた、無意識のうちに駆動する壮大な呪術でもあったのではないだろうか。
 


 
この二つのツイートは4月3日時点のものだが、形式主義的なマスク着用が横行しているのを見ているうちに、私はマスク着用には感染予防の役割と同じかそれ以上に、社会的・心理的な役割が宿っていると思うようになっていった。
 
それに伴って、人々の着用しているマスクが「注連縄(しめなわ)」に、コンビニのレジに設置されたビニールシートが「鳥居」のようなものに思えてきた。人々は、マスクをしたりビニールシートを敷いたりソーシャルディスタンスを保ったりして、いわば、「結界」を作っている、といったイメージだ。
 
そういうイメージを持っている日本人が私以外にたくさんいても、サイエンスやエビデンスにもとづいた感染対策と矛盾していなければ、呪術とて咎められることはない。
 
ネットの賢い人たちのなかには、実のところ感染対策を呪術のように実践している人々、形式はなぞっていてもサイエンスやエビデンスへの理解が欠如している人々に勘付き、警告を発する者もいた。けれどもそれは少数派で、結構な数の人々は、メディアからの情報をサイエンスやエビデンスにもとづいて理解し実践したと同時に「穢れを祓う」呪術にもとづいて解釈し実践していた、ように私にはみえた。それどころか、サイエンスやエビデンスにはほとんど無頓着に、感染対策を専ら呪術ベースで解釈し実践していた人も、本当は少なくなかったのではないか。
 
もともと日本ではトイレの後に手を洗う人がたくさんいるが、たとえば新宿駅のトイレの手洗いコーナーなどを見ていればわかるように、トイレの後の手洗いをキチンと実践している人は思うほどにはいない。しかし、ともあれ手を洗うこと・手を清めることを習慣にもとづいて(形式的に)実践している人はかなりいる。あるいは、サイエンスやエビデンスにもとづいた手洗いが実践できなくても、習慣にもとづいて(形式的に)手を洗えればとりあえず気が済む人々が存在している。
 
サイエンスやエビデンスに基づいて感染対策を推し進めていた人々の思惑とは別に、アニミズムや呪術に基づいた動機がドライブしていて人々が異様な熱心さでマスクや外出自粛やソーシャルディスタンスをやっていたのではないか?……と考えてみたとしても、特段、役に立つ知見が得られるとは思えない。かりにそのような動機が今回の騒動でドライブしていて人々を躍起にさせていたのだとしても、それが感染を実際に防いだと考えるのは正しくないだろう。感染対策の効果は、あくまでサイエンスやエビデンスに基づいて分析されなければならない。
 
しかし、そうした真面目な話とは別の与太として、この数か月にわたって異様なまでに忠実に行われた感染対策のうちに、私は、熱気を、熱情を、動機を、モチベーションを見てしまった気がした。命が惜しいから・不安だからといった一般的な動機に加えて、なんらか、お祭りやお祀りのごときエネルギーが宿っているように感じた。
 
もちろんこれは、私の主観に基づいた心象風景に過ぎないのだけど、こういう心象風景ができあがったのは久しぶりだったので、ここに書き残しておくことにした。他意は無い。
 
 
 
 
 
 
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6月に現代社会の健康や清潔や秩序について新著を出します。
こちらは社会の秩序と自由と不自由についてがテーマです。よかったらどうぞ。
 
健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

  • 作者:熊代 亨
  • 発売日: 2020/06/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
[関連]:熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』第一章(上)を公開します - シロクマの屑籠
[関連]:熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』第一章(下)を公開します - シロクマの屑籠

 
*2020/05/27の15:40に、アマビエさまの画像を貼り付け。

*1:いや、もうこの際、私はと言ってしまったほうがスッキリするか

親が教師のかわりに教えることと、親子のソーシャルディスタンス

 
今が人生でいちばんハッピーなんじゃ。|こゆるぎさん|note
 
リンク先のnoteには、在宅勤務になって子どもと過ごす時間が増え、コミュニケーションがたくさんできるようになった喜びが記されている。こうした在宅勤務がなくなって元の勤務体制が戻ってくるのか、それとも在宅勤務が一般化していくのかは、わからない。でも、学校はもうじき再開されるだろうから、こんな風に親子が一緒に過ごす時間は稀になっていくのかもしれない。
 
私は在宅勤務ではないので、子どもと一緒に過ごす時間が圧倒的に増えたわけではなかった。それでも、学校や習い事が休みになり、外出や出張も減ったおかげで子どもと過ごす時間はだいぶ増えたと思う。
 
学校や習い事や出張が減って再認識したのだけど、現代の(核)家族は、普段、一緒に住んでいても時間や空間をあまり共有していないんだなと気づいた。寝泊りするのは同じ家でも、別々の時間割、別々のスケジュールに沿って暮らしている私たち。なるほど現代人は、こうやって子ども時代から生活もプライバシーも個人化した individual として規律訓練されていくわけか。
 
親は親の時間、子は子の時間をセパレートして過ごすことが絶対必要不可欠な家庭にとって、今回のような、親子のソーシャルディスタンスが急変した状況は苦しいだろうなと思った。
 
それと授業の難しさ。
 
学校が授業をやってくれない間、私が子どもに授業をしようと頑張っているが、想像していた以上に難しい。
 
今まで、子どもに勉強を教えることはあっても、それは先生が教えてくれることの復習が中心だった。「先生があらかじめ教えてくれている」前提で「先生が出した課題に沿って」勉強を教えていた。予習をしなければならない場合も、いずれ先生が教えてくれるから・学校できっちりやってくれるからという期待があった。
 
ところが今年の3月からこのかた、学校がいつ再開するのかもわからないまま教えなえればならなくなった。途中からは動画やzoomを活用することにもなったけれども、特に3月~4月はじめにかけてはほとんど独力でやるしかなかった。前年度の三学期の終盤のカリキュラムと今年度の一学期の序盤のカリキュラムには、なかなか重要そうな内容も含まれていて、おろそかにしてはいけない雰囲気が漂っていた。せめて、重要そうな内容だけでも使いこなせるようになってもらいたかった。
 
子どもにとって何がわかりやすく、何がわかりにくいのか。
どこで躓きやすいのか、どこが応用をきかせやすいのか。
 
親と子どもは別の人間だから、わかりやすいところも、躓きやすいところもまちまちだ。もちろん、子どもそれぞれによって学習の手癖も違っている。そういう違いを意識しながら各教科を順番に教え、理解の程度もはかりながら進むのは骨のおれることだった。教えている間、脳が酸素と糖分をすごい勢いで消費していると感じた。
 
どうやったら肌に吸い付くように理解してもらえるか?
どうやったら子どもの負担を最小化し、理解を最大化できるのか?
そういうノウハウの乏しさを、よくよく思い知ることになった。
 
教えていて、もうひとつ気づいたことがある。
自分が教師の代わりとして教えているつもりでも、子どもは親をまず親として認識する。「うまく解けたね」「ここで見落としがあったみたいだ」「来週もう一度復習してみよう」といった言葉のひとつひとつを、子どもは教師からの言葉ではなく、親からの言葉として受け取る
 
少しニュアンスが欠落してしまうおそれを冒して言い換えると、親の一言一言から子どもは承認欲求や所属欲求を充たされたとか充たされないと感じ、そうした充足(や不充足)を親子関係の一部に組み込んでしまう、ということだ。
 
子どもが教師に褒められたり注意されたりしても、それは子どもと教師の関係のなかで起こることで、親子関係には直接的には影響を及ぼさない。たとえば教師が子どもに「ここで見落としがあったみたいだ」「ここはまだわかってないみたいだな」と言ったとしても、それで直接的に親子関係に影響が及ぶわけではない。
 
でも、親が教師のかわりに教える場合、そうした一言一言が親子関係になんらかの影響を与えてしまう。親は、子どもにとってあくまで親だから、一言一言が与える影響は教師からのソレとは異なっていて、もちろん親子関係への影響も大きい。だから授業をやっている最中に間違いを指摘したり注意をしたりするときには、いつも以上に注意深くならなければならないと感じた。
 
教師の存在意義は、教育のプロフェッショナルであるだけでなく、教えるプロセスについてまわる心理学的な困難を肩代わりしてくれる点にもあるわけか。
 
精神医療の世界では身内が身内を診るのは非常に難しいといわれ、身内の治療は第三者に委ねるのが一般的だけれど、教育の世界も、身内を身内が教えるのはあんまり楽ではないのかもしれない。教えるという行為をとおして、親子関係や親子のソーシャルディスタンスも変わり得るとするなら、教育のプロフェッショナルとて、自分の子どもを教えるのは苦手というのは十分にあり得るだろうし、教師とよその子どもというソーシャルディスタンスのおかげで教師としての腕前を維持できている教師だっているんじゃないかと推察したりもした。
 
 

それでも実りの多い時間だった

 
それでも、冒頭リンク先でこゆるぎ岬さんがおっしゃっているように、親子で時間や空間を共有できたこの一時期は、滅多に経験できないものだった。子育てをやっている、いや、子どもと同じ時間を過ごしているという手ごたえを実感できて、いろいろなことを考えさせられた。平日は仕事、休日は授業という状況で疲れた部分もあったとはいえ、お金ではなかなか買えない経験だったと思う。
 
 

現代人の超自我と、逃れられない「こころ」の問題

 
最近は見かけることも少なくなったが、かつては神経症とかノイローゼとかいった「こころ」の病名をよく見かけた。
 
これらはフロイト以来の精神分析にかかわる「こころ」の病名で、おおざっぱにいえば「こころ」の内面の葛藤やこじれに関するものだった。1990年代に目立った境界性パーソナリティや自己愛パーソナリティなども、「こころ」の成熟を問題としていたから、「こころ」の病名の一部とクローズアップされたとみていい。
 
しかし現在は違う。
 
精神医療の診断の多くは、アメリカ精神医学会の診断基準(DSM)に基づいて行われるようになり、その診断基準には、神経症やノイローゼといった病名は存在しない。現代の精神医療は、患者さんの「こころ」に関して病名をつけるのでなく、第三者にも観察可能な振る舞いを診断基準としている。「こころ」に深入りしなくなったからといって、精神医療が衰退したわけではない。むしろ逆で、「こころ」にこだわらず、エビデンスに基づいた診断と治療を心がけるようになったことで、精神医療はテクノロジーとしてますます強力になり、より信頼できるものとなった。
 

 二〇世紀の終わりには、精神科医は「こころ」を司る者だったし、世間の人々も精神科医にそのような役割を期待していた。ところがこのように、現代の精神科医はもう「こころ」を診ていないし、司ってもいないのである 。
健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』より

 
 

病名が消えても「こころ」の葛藤やこじれは無くならない

 
では、神経症やノイローゼといった病名がなくなったことによって、「こころ」の葛藤やこじれは消滅したのか?
 
そんなことはない。
現代でも、「こころ」の葛藤やこじれを抱えている人は珍しくないはずだ。少なくとも世間には、「こころ」の葛藤やこじれを思わせる呪詛や嘆きが遍在している。
 
たとえば、少し前に流行った漫画『東京タラレバ娘』で描かれた葛藤やこじれにしても、多かれ少なかれ心当たりのある人がいるからこそ、人々のリアクションを呼び起こし、話題となったのではなかったか。
 

東京タラレバ娘(1) (Kissコミックス)

東京タラレバ娘(1) (Kissコミックス)

 

かつて、(古典)神経症と呼ばれる「こころ」の病、いや葛藤状態がありふれていた時代があった。
 
古典的な神経症とは、家父長的な抑圧に基づいた「かくあるべし」をタイトに内面化し過ぎて、それに束縛されるあまり、人生の生き幅が狭められたりメンタルヘルス上のトラブルが生じたりする状態だった。
 
……彼女達は、古典的な神経症には該当しない。だが、「少女としての正解」「自立した都会の女性」といった「かくあるべし」を強固に内面化し、それに束縛されているさまは、東京というフリーダムな街ならではの神経症的葛藤のようにみえて仕方ない。さしずめ、彼女達は“少女神経症”といったところか。
 
昔の人は、「家父長的抑圧がなくなれば子ども達は自由になれる」と考えたらしく、実際、家父長的抑圧が緩和されて古典的な神経症が減ったのは事実である。だが、今にしてみれば呑気な考え方だったと言わざるを得ない。父がいなくなっても、よしんば母がいなくなってさえ、なにかが強固に内面化されれば人間はそれに束縛されるし、状況に合わせて人生のギアチェンジをし損ねれば、神経症的葛藤は顕れるのである。
 
私は、『東京タラレバ娘』に「少女」や「自立した都会の女性」にまつわる自縄自縛をみずにいられない。本作品が示唆しているように、たとえ自由な街に住んでいても、価値観や人生観の融通が利かないのなら、その人は不自由な人である。
『東京タラレバ娘』という神経症的葛藤 - シロクマの屑籠より

 
『東京タラレバ娘』で描かれていたのは、自立した都会の女性にありがちな「かくあるべし」「かくあらねばならない」だった。マスメディアが女性に吹聴しつづけてきた「かくあるべし」「かくあらねばならない」でもあるだろう。とはいえ、これはメディア漬けの東京女性が陥りそうな「こころ」の葛藤やこじれではあって、現代人の大半に当てはまるほど幅広いものではない。
 
世間には、もっと幅広く皆に受け入れられ、常識のように思われている「かくあらねばならない」「かくあるべし」が存在している。
 

・清潔であれ。無臭であれ。
・他人に迷惑をかけたり不審感や威圧感を与えない個人であれ。
・誰ともコミュニケーションできる個人であれ。
・できるだけ健康であれ。できるだけ不健康を避けるべし。
・経済的に自立した個人であれ。

 
現代社会は多様なライフスタイルを許す、といわれているが、その多様なライフスタイルの大前提として、私たちには無数の「かくあらねばならない」「かくあるべし」が課されていて、それが私たちの「こころ」に内面化されている。上で箇条書きにしたものは、現代人の超自我のリストである、と言っても差支えないだろう。
  
このリストを苦も無く守れる人々は、こうした一つ一つの「かくあらねばならない」「かくあるべし」が葛藤の源になることなどなく、むしろ現代社会を颯爽と生きていける。フロイトが活躍した社会*1も現在もそうだが、その時代の「かくあらねばならない」「かくあるべし」を難なくこなしてみせる人を、超自我は祝福してやまない。
 
一方、ここに挙げた「かくあらねばならない」「かくあるべし」が簡単にはこなせない人、現代人の超自我のリストの命ずるとおりに生きられない人にとって、このリストは束縛、劣等感、罪悪感、不全感、コンプレックスの源たりえる。フロイト時代と同様の「こころ」の葛藤やこじれを抱える人は珍しくなったが、キモいか否か、コミュニケーションできるか否か、経済的に自立しているか否か、そういった現代人の超自我のリストに妥当せずに悩んでいる人・葛藤している人・過敏になっている人はとても多い。
 
「清潔であれ。」
「迷惑や不審感を与えない個人であれ。」
「コミュニケーション可能な個人であれ。」
「健康であれ。」
「経済的に自立した個人であれ。」

こうしたメッセージは街にもテレビにもインターネットにも溢れていて、誰もが常識だと思っていて、幼い頃から家庭でも学校でも「かくあらねばならない」「かくあるべし」として教えられるから、逃げ場所が無い。逃げ場所がなく、おのずとインストールされ、社会全体でも常識とみなされている「かくあらねばならない」「かくあるべし」から「こころ」を自由にするのはとても難しい。
 
 

精神医療は、超自我リストのオルタナティブというより推進者では?

 
ところで、精神医療はこうした現代の神経症的葛藤から私たちを自由にしてくれるだろうか。
 
私には、あまりそう思えない。ひとつひとつの精神疾患の症状についてはよく治療してくれるが、診断基準に記されていない「こころ」の葛藤やこじれ、現代の超自我にまつわる問題に真正面から取り扱ってくれるとは考えにくい。
 
むしろ、清潔ではない者をより清潔に、コミュニケーションが困難な者をよりコミュニケーション可能な者に、不健康な者を健康に、経済的に自立できていない個人を経済的に自立した個人へと変えていくのが、精神医療が担っている事実上の役割ではないか。入院治療にせよ、外来での認知行動療法にせよ、それらは現代人の超自我のリストのオルタナティブではなく、被-支援者を現代人の超自我のリストのほうへと招き入れる営みではないだろうか。
 
そうした現代の「かくあらねばならない」や「かくあるべし」の中心には、「経済的自立」という金科玉条が居座っている。
 

沖縄県の民間セラピーをルポルタージュした心理学者の東畑開人は、著書『野の医者は笑う』のなかで、民間セラピーの治療効果のうちに「セラピストとしての起業」という、一事業者としての自立までもが含まれていることを指摘している。ブルジョワ的な考え方 が浸透した社会環境では個人の経済的自立が強く要請されるのだから、セラピーに経済的自立の方法が含まれているのは、とても理に適っている。
健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』より

拙著でも引用した東畑さんの著作では、セラピーと資本主義、精神医療とお金の問題について、鋭い意識が投げかけられている。お金という問題系は、患者さんやセラピストや医療機関も捉えて離さない (このあたりについては、東畑さんのご著書をお読みいただくのが一番だと思う)。
 

野の医者は笑う: 心の治療とは何か?

野の医者は笑う: 心の治療とは何か?

 
経済的自立が困難な人に経済的自立のすべを提供するのは、ともあれ、重要に違いない。ただ、そうやって現代社会の「かくあらねばならない」「かくあるべし」に寄り添うからこそ、民間療法も正統な精神医療も、現代人に課せられた「かくあらねばならない」「かくあるべし」から私たちを自由にしてはくれない。もちろん、そうした超自我のリストによる締め付けを緩和してくれることならあるだろう。だが、緩和してくれても自由にしてくれるわけではないし、むしろ「かくあらねばならない」「かくあるべし」から遠いところで暮らしていた精神的マイノリティまで、現代人の超自我リストの傘下へと招き寄せるきらいがある。
 

いわばこの、お金によって傷つき、お金によって癒やされ、家庭でも学校でも医療機関でも資本主義と個人主義と社会契約がついてまわる社会のなかで、精神科医もカウンセラーもソーシャルワーカーも、この壮大なシステムと思想を当然のものとみなし、日常業務のなかでは意識すらしない。彼らは、いや私たちは、そうしたシステムにそぐわない思想、システムからはみ出した言動に出くわした時、それらもまた多様性の範疇とみなすことができるものだろうか?
それともやはり、秩序からのはみ出しとして、つまり症状や疾患として取り扱わずにはいられなくなるのだろうか?
※『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』より

 
もし21世紀に神経症的葛藤があるとしたら(いや、あるに決まっているのだが)、その葛藤から自由になれる場所はいったいどこだろう? 少なくとも、精神医療や福祉の現場ではあるまい。もちろん、ここで挙げた「かくあらねばならない」や「かくあるべし」は現代人の超自我であるだけでなく、現代社会の常識であり通念でもあるから、"長い物には巻かれろ"というか、馴れてしまったほうが生きやすくはあるし、馴れるよう援助すべきニーズが存在するのは理解しているのだけれど。
 
私は、そういった援助のニーズとは別に、現代の「かくあらねばならない」や「かくあるべし」から距離を置ける場所、「こころ」の葛藤や束縛から自由なライフスタイルがあっても良いように思う。ところが昭和から平成、平成から令和へと時代が変わるにつれて、人々は行儀良くなり、社会は清潔になり、コスパ主義や効率主義はますます私たちの「こころ」に刻み付けられてしまったから、どこに行けば現代人の超自我のリストの彼岸にたどり着けるのか、さっぱりわからなくなってしまった。
 
"そんなリスト、気にせずに生きたって構わないんだよ"と言ってくれる人は、今、いったいどこにいるだろう? 清潔でもなく、コミュニケーションが得手なわけでもなく、不健康で、不経済で、それでいて葛藤せずに生きる人・生きていける境地は令和の日本にも残っているのだろうか?
 
清潔であるよう、コミュニケーション可能であるよう、健康であるよう、経済的であるよう命じる「こころ」の声に服従しながら暮らしている私には、それがわからない。少なくとも全部わかったとは到底言えないから、もっと知りたいと思いながら本を書いている。
 

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

  • 作者:熊代 亨
  • 発売日: 2020/06/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
 

*1:ここでいうフロイトが活躍した社会とは、ヴィクトリア朝時代、とりわけフロイトが診療や研究の対象とした中~上流階級の子女の社会を指す。そこでの「かくあらねばならない」や「かくあるべし」は現在よりもずっと家父長的制度の力が強く、性規範も厳しく、それらが社会全体、階級全体に浸透していて逃れがたいものだった

あの頃のネットは貧しい土地で、俺らは火事花みたいなものだった

 
パイオニア樹種、という言葉をご存じだろうか。
パイオニア樹種とは、まだ植物が地面を覆っていない空き地や荒地にいち早く適応する、そういう樹木のことだという。火事の跡地などをいち早く緑で覆うのはこのタイプの植物だ。しかし、土地が緑でいっぱいになり、もっと多様な植物が入ってくるようになると、パイオニア樹種はほかの植物との競争力を失い、いなくなっていく<参考:こちら>。
 
ところで最近、以下のようなツイートを見かけた。
 


 
同感だ。
私も、「インターネットらしいインターネットをやった」という手ごたえを失ってだいぶ経つ。ブログもSNSもそれなりやっているけれども、自分がインターネットと呼んで愛したネットライフがここにあるとは感じない。上掲ツイートの人と同じかはわからないが、とにかく、2010年代の中頃あたりから、私は自分が愛したインターネットが失われつつあると感じはじめ、過去に郷愁を感じるようになっていった。
 
ネットは“コミケ”から"“テレビ”になった。 - シロクマの屑籠
「俺は2010年代のブロガーになれない」 - シロクマの屑籠
インターネットの自由と世間様 - シロクマの屑籠
コピーのはびこるインターネットで、個人ブログにできること - シロクマの屑籠
ネットの炎上火力が強くなった話と、ネットが狭くなった話 - シロクマの屑籠
あなたの文章を真剣に読んでいた人は、今はガチャを回すのに忙しい - シロクマの屑籠
 
現在のインターネットを上下水道や電気と同じ感覚で利用している人々に、私の郷愁が伝わるのかよくわからない。が、インターネットはアンダーグラウンドなものからパブリックでフォーマルなものに近づいた。あのtwitterでさえ、気が付けば企業がアカウントを所有しているのが当たり前で、国会議員や市会議員もアカウントを運営していて、さまざまな職業の人々が「フェイスブックとは違った、けれども結局フェイスブックと地続きのような」投稿を心がける場に変わっていった。
 
いまでもインターネットやSNSに仄暗い投稿、00年代以前に見かけた暗い情熱をみる場所はいちおう残っているけれども、圧倒的に強まったパブリックの光、フォーマルな光、マジョリティの光によって暗がりの占める割合は小さくなった。それだけではない。インターネット上でどのような暗さが許容される/許容されないのかの線引きが、それまでのインターネットの通念によってではなく、パブリックやフォーマルやマジョリティの基準によって、もっといえば【世間の基準】によって線引きされるようになった。それだけではない。何が楽しいのか、何がウケるのか、何が癒しになるのかも、世間の基準によって線引きされる。それは、00年代以前の決まりかたとは大きく異なっている。
 
そうだ、私にとって「ご無沙汰になって久しいインターネット」とは、世間とは異なった投稿や表現が、世間とは異なった価値基準や評価軸にもとづいて見定められ、自分も周りもその異なった価値基準や評価軸の一部であると感じている、そういうインターネットだったのだと思う。世間とギャップがあり、世間と異なった投稿や表現があり、世間と異なった受け止められ方をしていて、世間と異なった時間が流れている──「ご無沙汰になって久しいインターネット」というフレーズから私は、そういったインターネットの過去を連想する。
 
もちろん過去のインターネットでも、世間と同じ話題が流通することはあった。ただ、そのような場合でも、世間の世論とインターネットの世論には断層があり、世間での語り口とインターネットでの語り口にも違いがあった。

たとえばもし、2003年にトランプ大統領が当選したら。たとえばもし、2005年に新型コロナウイルス感染症と同等の感染症が起こったら。そのときのインターネットでの語り口は、世間での語り口とかなりの距離があっただろう。少なくとも2020年のような、インターネットが世間とシームレスになった……というよりインターネットが世間を引っ張っていくような社会状況とは異なったかたちで、種々のニュースは取り扱われていただろう。
 
その世間とインターネットの間にあったギャップを、私のような旧式のネットユーザーは愛していて、そのギャップのおかげで、世間との距離を保ったコミュニケーションがあったことを懐かしんだりする。この懐古は、インターネットと世間がシームレスになってから・世間の一部としてインターネットを利用しはじめた人にはわからないものだろう。そのような人々にとって、インターネットとは世間であり、インターネットとは世間でやるべきことをやるべき場所であり、「世間と距離があるから、世間とギャップがあるからインターネットはいい」などというセンスは理解できないし合理的でも効率的でもない。
 
こうした、世間とマジョリティに理解されそうにない過去のインターネットの話をすると、私は興奮してくる。今も、キーボードを打ちながら鼻息が荒くなって、はじめに考えていた文章の構成のこととか、過去の似たような投稿記事とどう違いをつくるのかとか、どうでもよくなってきた。過去のインターネットを懐古するのは、今の私には自己セラピーの一種なのかもしれない。口の悪い人は、自慰的だと言ってのけるだろう。ちっ。うっせーな。
 
そうだパイオニア樹種の話をしていた。
 
私たち旧式のネットユーザーはパイオニア樹種のようなものだったのかもしれない。
 
私たちはインターネットという更地に草木が生え始めた頃にやってきて、成熟しきっていない土地を愛し、成熟していない土地に我が物顔で繁栄していた。成熟した土地で栄えている者たちが侵入してくる気になるまでの、つかの間の繁栄。しかし、インターネットが豊かな土地へと変わり、成熟した土地で栄えている者たちが押し寄せ、根付くようになればつかの間の繁栄は終わる。森が豊かになるにつれてパイオニア樹種が衰退していくのと同じように、インターネットが豊かになるにつれ、旧式のネットユーザーはマジョリティからマイノリティへ、繁栄するものから衰退するものへと変わった。
 
これは、"旧式ネットユーザー史観"とでもいうべきものであることはわかっている。ほとんど詩のようなものに近い。や、詩としての体裁も技量も伴っていないから、これを詩と呼ぶのは失礼かもしれないが、ともかく、主観的な文章であることは心得ている。
 
それでも、世間とシームレスになってからインターネットを使い始めた人々とは異なった思い出を持っている者として、この史観はおりにふれて思い出しておきたいと思う。「こんな時代があって、こんな風にネットのことを覚えている人々がいた記憶」を蒸し返しておきたいとも思う。たとえ、「おかしな史観を壊れたスピーカーのように繰り返す人」と後ろ指をさされたとしてもだ。よろしい、ならば私は壊れたスピーカーであり続けよう。
 
私たちはパイオニア樹種のようなもの、火事花のようなものだった。マジョリティが栄え、切磋琢磨している土地では生きづらいと感じる私たちは、土地が豊かになれば次の新天地を求めて旅ただなければならない、のだろう。それか、マジョリティのあいだに入って、マジョリティの作法にのっとって同じ土地に暮らし続けるか。
 
一時期、マストドンというサービスが次なる新天地を予感させてくれた時期があったけれども、私はマストドンに居着くことができなかった。年を取って動けなくなったからかもしれないし、私も少しは世間というものに馴れてしまったからかもしれない。どうあれ私は、ときどき「ご無沙汰になって久しいインターネット」のことを思い出す。そして壊れたスピーカーのように、それについての郷愁やエモーションについて文章にする。世間からネットを取り戻そうとか、世間に抵抗しようとは、もう思わなくなった。