シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「その日、自分は何を思い、何をしたか」

 


 
 上掲ツイートがたまたま目に飛び込んできて、ああ、そういえば意外と覚えているなぁと思い、書きたくなったのでブログにメモっておく。
 
 
【911が起こった時】
 
 この頃の私は、夜の10時までに帰宅できていればテレビ朝日の『ニュースステーション』を観ているることが多かった。唐突に「ビルに飛行機が衝突した」というニュースが報じられて、はて、変な事故もあるものだなぁと思っているうちに二機目衝突が報じられて驚き、テレビに釘付けになっているうちにビルがガラガラと崩れ落ちていくのを信じられない光景として眺めていた。ニュースの最中にも「テロではないか」というコメントが流れていたような気はするが、当時の私には、イスラム勢力がアメリカの中心部大規模なテロをやるということがさっぱり信じられなかった。
 
 約18年経った今から思い返せば、00年代~10年代を象徴する出来事であったのだけど、もちろん私はそのようには捉えていなかった。他の人々もたぶんそうだっただろう。その後、世界じゅうでテロが起こり、中東情勢が“混迷をきわめる”と、あの時に見通していた人なんていたのだろうか。
 
 
 【松本サリン事件が起こった時】
 
 地下鉄サリン事件が起こった時の印象は、あまり覚えていない。自分にとってインパクトが大きかったのは、ごく近くで起こった松本サリン事件のほうで、地下鉄サリン事件のニュースを観て最初に思ったのは「これでやっと松本サリン事件の犯人がわかる」だった。当時は、河野さんという近隣に住んでいる人を容疑者のように見る向きもあったが、自分には、河野さんのような人物に有機リン系の有毒ガスが作れるとは思えなかった。地下鉄サリン事件が起きて、ああ、やっぱり河野さんではなかったんだなと確信した。
 
 松本サリン事件が起こった時、私は信州大学の2年生で、早朝にかかってきた親族からの電話で事件を知った。「信州大学の近くで毒ガス事件があったけど、大丈夫け?」
 
 テレビをつけてみると、当時の私の住まいから2kmほどの場所で7名の死者が出ていると報じられていた。そのなかには、信州大学医学部の5年生も混じっていた。同級生は誰も被害に遭わなかったが、非常に近い場所に住んでいた者もいて、その日はその話題で持ちきりだった。やがて、信州大学附属病院のドクターが「有機リン系の薬物中毒、ちょっと考えられない」と言っていた話が流れてきて、実際、そのとおりの報道が流れた。
 
 ただ、事件があまりにも唐突過ぎて、不可解な出来事だったので、じきに私達はこの事件のことを忘れていった。地下鉄サリン事件が発生する、その時まで。
 
 
 【東日本大震災が起こった時】
 
 東日本大震災が起こった瞬間のことは、非常にはっきり覚えている。
 
 その日私は、いつものように精神科の外来診療を行っていた。地震が起こった午後2時過ぎは少し難しい診療面接をやっていて、私も患者さんも楽な気分ではなかった。気の乗らない面接をどうしようか、と思っていた時に私はめまいを覚えた。
 
 「すみません、ちょっとクラクラして」「今、めまいが……」
 
 私と患者さん、めまいを訴えたのはほとんど同時だった。同時だったから、めまいではないことを知った。地面が、大きく揺れている。
 
 大きな船にでも乗っているような、うねりがいつまでもいつまでも続いた。これは絶対に大きな地震に違いない。こういうのはtwitterが一番速いと思ってタイムラインを覗くと、東北で巨大地震が起こったと誰かがつぶやいていた。患者さんとの話し合いは有耶無耶に終わって、その日はそれでお開きになった。
 
 自宅に帰る途中、珍しくカーナビでニュースが見たくなった。コンビニの駐車場で津波の映像を見て、すぐさま気分が悪くなった。福島県の海岸沿いを上空のヘリコプターが映した映像で、今まで見たこともない、日本の風景とは思えない、焦げ茶色の海岸線だった。なぜ気分が悪くなったのかはわからないが、ニュース報道を見てこれほど気分が悪くなったことは前にも後にも無い。あれは何だったんだろう?
 
 
 【「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」を観た時】
 
 1997年7月19日は、惣流アスカラングレーの命日である。他にも、葛城ミサト、赤木リツコそのほか多くの人が死んだ。いや、死んだと言って良いのだろうか? さしあたり、その後、惣流アスカラングレーが蘇ったのは間違いない。
 
 これに先だって公開された『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』で、テンションは十分に高まっていた。そのラストシーンから、惣流アスカラングレーが危機的状態に置かれていることも承知していた。で、『まごころを、君に』を観て、私の頭のなかはゴチャゴチャになった。私達のよく知っている惣流アスカラングレーは死んだ。ストーリーの必然として死んだようだった。たが、赤く染まった海岸線のラストシーンで蘇った、ようにみえた。到底元気の出る終劇ではなかったけれども、ともかく、惣流アスカラングレーは蘇って「気持ち悪い」と言い残した。
 
 当時、エヴァンゲリオンに熱狂していた人のなかには、いわゆる「謎解き」に夢中なタイプもたくさんいた。人類補完計画、セフィロトの木、最後の使徒、サードインパクト、そういったボキャブラリーを舐め回して、その意味を深読みするようなタイプだ。時の風化を経た今になってみると、1997年のサブカルチャー作品には、そういう深読みがいかにも似合うように見えてしまう。
 
 いっぽう私は、碇シンジ、惣流アスカラングレー、綾波レイといった、キャラクターそれぞれの行く末に関心のウエイトを置いていた。アニメに出てくる個別のキャラクターに対して、これほど身を案じていたことはそれまで無かった。無かったからこそ、『まごころを、君に』の結末を気にしていた。
 
 『まごころを、君に』を見終わった瞬間は、なかば茫然自失だった。一緒に映画を観に来ていたオタク仲間は、お気の毒に、といった表情を浮かべていた。そのとき私は、クックックと反動形成的な笑みを浮かべていた。まあ、ショックだった。
 
 それでも、惣流アスカラングレーは死んで蘇ったのである。そのことに重大な意味があるように私には思えた。庵野監督がどのような意図であのようなストーリーにしたのかはわからないし、別に、わかりたいとも思わなかった。だが、さしあたって私に重要だったのは惣流アスカラングレーが死んで蘇ったという、公式作品内での事実だった。
 
 私の人生にとって、惣流アスカラングレーが死んで蘇ったという作品内事実はひとつの転帰だった。現在の私の社会適応、その相当部分は惣流アスカラングレーの死と再生から始まったと割と本気で思う。おかしな話に聞こえるかもしれないが、死んで蘇った惣流アスカラングレーを観た時、私もそのようでありたいと思ったからだ。
 
 『まごころを、君に』のことを書いたらおなかが減ってきたので、このお題について書くのはこれでおしまいにします。
 

ネットの正論や世論に包囲されても、言いたいことは言うべきだと思い出した。

 


 
 かわんごさん(ここでは、かわんごさんという呼び名で通す)の上掲ツイートには、例によってはてなブックマークコメントが沢山くっついていた。私も含め、「それは時代錯誤だ」「立場というものを考えろ」的なコメントが多い。
 
 しかし以降のツイートを読んでみると、かわんごさんは「ネットを公共の場として責任を求める風潮」が既にできあがっていることを知悉したうえで、それでも「ネットでは自分の言いたいことを言いたいように言っていく」というスタンスを考えている様子だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 かわんごさんは、「今日のインターネットは正論の巨大な同調圧力の場と化している」と記している。そのうえで、そのような正論の同調圧力の場、あるいは公共空間へとネットが変容していくことは、私達の生活空間(あるいはコミュニケーション)全般がそれらに呑みこまれていくことである、とも危惧している。
 
 こうした変化は、インターネットを長くやっている人なら肌で感じ取っているだろうし、私も例えばこのブログ記事で所感を書いたことはある。メイロウィッツ『場所感の喪失』に書いてあることがインターネットで起こっている、と言い直すこともできるだろう。
 
場所感の喪失〈上〉電子メディアが社会的行動に及ぼす影響

場所感の喪失〈上〉電子メディアが社会的行動に及ぼす影響

  • 作者: ジョシュアメイロウィッツ,Joshua Meyrowitz,安川一,上谷香陽,高山啓子
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 だから、今回のかわんごさんの話自体はそれほど目新しいものではない。
 
 

「もうそうなってしまったから」で何もしないのはどうなのか

 
 しかし私は、一連の文章を読んで割とハッとさせられた。ここ十数年のインターネットの変化を踏まえて、もう変わってしまったのだから何もしない・みんながそうだと決めているとおりに唯々諾々と従うしかないのは、本当に良いことなのか?
 
 インターネットが公共空間寄りのメディアに変容し、21世紀の権力分配のシステムの一翼として機能しはじめている現状のなかで、その現状を追認する行為に終始して、それで私は満足なのか。
 
 「現在の世の中がこうである」「現在のインターネットはこうである」という命題と、「世の中にはこうであって欲しい」「インターネットはこうであって欲しい」という命題には、何かしらのズレがある。そして現状のなかで最大のベネフィットを得たいなら、こうであるべきは引っ込めて、現状追認に徹するのが利口だろう。そして私自身も含めて、インターネットで長く暮らしている人は多かれ少なかれ現状追認になびいていて、それで適応している。
 
 多かれ少なかれ現状追認になびくのは、適応していくための手段として仕方のないことだし、それを非難してもはじまらない。第一、私だってそうしている。
 
 しかし、もし本当に「世の中にはこうであって欲しい」「インターネットはこうであって欲しい」と願うのなら、現状追認に徹するのでなく、必要とあらば現状に抵抗する・現状とは違ったカラーを出していく姿勢があってもおかしくない……と、私はかわんごさんの文章を読んで思い出した。
 
 かわんごさんの“なかのひと”は、社会的には軽視されないポジションにいて、それゆえ、公共空間寄りになったインターネットにおいては相応の態度を期待されがちだ。少なくとも、そういう風に期待する向きは一定割合で存在する。
 
 にもかかわらず、かわんごさんは、損を承知のうえで、現状のインターネットの正論・定法に逆らうようなことを(今回に限らず)書き込むことがある。もしそれが乱心のたぐいでなく、かわんごさんなりのスタンスであるとするなら、私は「面白いな」と思う。
 
 本当は「面白いな」ではなく「素敵だな」とでも書きたいみたいが、私は臆病で、インターネットの正論に攻囲されるのがおっかないので、今回は「面白いな」という表現に留めておく。
 
 そういえば、かわんごさんは皆が正論や常識だと思っていることでも、自説を曲げずにぶつけてくることのある人だった。
 
 5年ほど前に、私が『"叩いて構わない奴はとことん叩く"空気と、いじめの共通点』というブログ記事を書き、はてなブックマークで割とバッシングされた時も、かわんごさんは「ブコメで普段から”正義の虐め”を実践しているひとたちが憤慨していて笑える。」と書いておられた。
 
 思えばこの時も、「正論や常識の名のもとに」がテーマだった。だから私は、かわんごさんのなかでは、正論や常識によって言説空間が窮屈になっていく問題に対して、首尾一貫した考え方があるのだろうと推測することにした。
 
 少し話が逸れたので戻るが、とにかく、今回のかわんごさんのツイートを観て、私は自分が忘れていた何かを思い出した気がした。自分自身の対外評価がいくらか下がるかもしれないけれども、自分が思っていることを思っているようにインターネットに書くということを忘れてしまったら、一体何のためにインターネットをやっているのかわからない。何のためにはてなブログを続けているのかもわからなくなってしまう。そういう根っこのところを、私は思い出すことができた。
 
 

どんなインターネットを自分がやりたいのか思い出した

 
 もちろん、既存のインターネットの正論や世論を無暗に逸脱してもしようがない。たとえば、自分があまり関心を持っていないジャンルの政治的正しさに対して、考えもなく逆らってみせたところで、無意味に政治的失点を重ねるだけだろう。
 
 けれども、政治的失点を回避することに汲々として、正論や世論からはみ出したものをバッシングしてまわって“得点稼ぎ”に満足するインターネットライフというのも、それはそれで虚しい。インターネットには、そうやって正論や世論からはみ出したものをバッシングし、得点稼ぎに明け暮れている人々が、それなりの割合で存在するけれども、彼らと同じようなマイクロ権力屋に成り下がった未来に、私がやりたいインターネットがあるとは思えない。
 
 たとえインターネットが、その正論や世論からはみ出した者に強い圧力をかける社会装置になったとしても、自分自身がその社会装置と同一化しなければならない道理はなかったのだ。そのような社会装置と同一化したくないなら、心のどこかでキチンと線引きはしておいて、本当に主張したいことがあったら主張すべきなのだった。
 
 そのような、当たり前だったはずのことを忘れてしまう程度には、私はインターネットの正論や世論におもねってしまっていた。そのことを恥じたい。と同時に、来るべき時に、インターネット正論や世論から攻囲されることを恐れずに主張していく勇気を養いたい。
 

私がガンパレードマーチの「発言力」から学んだこと

 
blog.tinect.jp
 
 リンク先の記事は、2000年の傑作ゲーム『ガンパレードマーチ』の「発言力」システムをお題にしたものです。「発言力(信頼)は溜めるだけではなく、投資してナンボ。投資してますます発言力を獲得しよう」という主旨は、社会適応の王道だと思われます。
 
 リンク先を書いたしんざきさんは、
 

それでも、「発言力 = 信頼を投資して、更に信頼や評価を稼ぐ」というサイクル、「発言力 = 信頼を稼げば稼ぐ程更に稼ぎやすくなる」というバランスについては、実生活でも応用出来る部分が大でして、あーやっぱこのゲームよく出来てたんだなーと感じ入った次第なわけです。人生で大事なことは全てゲームで学んだ。

 
 と書いています。ゲーミフィケートされた視点で世の中を眺め直すと実生活に直結したインスピレーションが得られがちですが、『ガンパレードマーチ』の「発言力」システムはその典型といえるでしょう。
 
 ところが、冒頭リンク先でしんざきさんが語った「発言力」システムの主旨と、私がゲームをとおして学び、現在も運用している「発言力」システムの運用は、ちょっと異なっていたりします。
 
 「発言力(信頼)は、人間関係の通貨である」という根っこの理解は同じなのですが、その運用方法や強調ポイントが違っているのです。前々から「発言力」システムについて書きたいと思っていたので、この機会に書いてみます。
 
 

「発言力(信頼)は溜めるばかりでは駄目だが、使うとすぐなくなる」

 
 私もプレステで『ガンパレードマーチ』をプレイし、「発言力」システムには感心したのですが、私自身は「稼いだ発言力(信頼)を投資し、もっと増やしていく」ことの難しさに着眼したのでした。
 
 『ガンパレードマーチ』を遊び慣れてくると、どれぐらい発言力が溜まっている時に、どれぐらい発言力を行使して構わないのかがおおよそ判って来ます。しかし初プレイの時はそれがわからず、私は、なけなしの発言力を不適切な提案で使い果たしていたのでした。
 
 こうした経験があったため、私は「発言力は、あるていど溜めない限り、行使すべきではない」という考えに辿り着きました。
 
 発言力(信頼)は、稼げば稼ぐほど稼ぎやすい。とはいえ、発言力(信頼)が乏しい状態では投資が難しい。まずは与えられた職務を地味にこなして、いつか本当に発言力を使わなければならない時に備えて貯蓄しておくべきだ──私が『ガンパレードマーチ』から学んだナンバーワンの教訓は、これです。
 
 当時の私は20代医師、つまり医療業界では若造のなかの若造だったので、こういうディフェンシブな「発言力」の発想がすぐさま役立ちました。初プレイ時の『ガンパレードマーチ』の状況と、若造医師の状況は、かなり似ていたのではないでしょうか。
 
 「キャリアの浅い人間は、慎重に発言力を行使するべき」
 「良い提言ができそうな時でさえ、ここぞという時のために、発言を見送ったほうが良い場合も多い」
 「当面は、発言力を行使することより、発言力の消耗を避けることを意識するべき」
 
 当時の私は、そんなことを考えながら会議に臨んでいました。いや、今も似たような考えで会議に臨んでいます。
 
 会議の席上などで、積極的に発言力(信頼)を投資し、発言力をますます獲得していくというモデルは、相当にデキる人が、実力本位な環境で活動するぶんには有効でしょう。しかし、そうでない場合、普段は発言力をケチっておいて、ここぞという時だけ行使するようなモデルのほうが危なくない気がするんですよ。私のような出しゃばりな人間の場合は、とりわけそうだと思います。
 
 そのうえ、現実世界にはキャリアの浅い人間が目立つのを忌避する人もいます。後輩や同僚が発言力をどんどん拡大させていき、自分自身の立場や存在感が相対的に薄まっていくのを平然と見ていられる人はけして多くはありません。積極的にサボタージュする人は稀だとしても、複雑な心境になる人は少なくないでしょう。
 
 

同じゲームでも、受け取るインスピレーションは人それぞれ

 
 しんざきさんと私で「発言力」システムの捉え方の重点が異なっているように、同じゲームを遊んでいても受け取るインスピレーションはプレイヤーによってさまざまです。誰かの捉え方が間違っていて、誰かの捉え方が正しいってわけではなく、プレイヤーの数だけインスピレーションが存在するのでしょう。
 
 それだけに、「人生の大切なことはゲームから学んだ」系の会話には話者の人生観やパーソナリティが反映されていて、多様性がありますよね。ゲームそのものが楽しいのは言うまでもありませんが、プレイヤー同士でゲームから何を汲み取ったのかを語り合うのも楽しいものです。いつか、麻雀でもしながらオフラインでお話ししたいものですね。
 
 

私は自分が中年になったことを発見し、驚いたのです

 


 
 こんにちは、Tanishiさん。若者ではなくなった境地に言及を繰り返しているシロクマです。
 
 せっかくご質問いただいたので、なぜ、「自分が中年になったこと」に盛んに言及しているのか、書いてみます。
 
 まず、単純な理由として『「若者」をやめて、「大人」を始める』を出版したからってのはありますよね。自分が書いた本を少しでも遠くまで届かせるべく、関連事項をブログに書くのは有意味なことだ思います。このタイプの書籍を作成する場合には、一冊の書籍の余剰生産物として「余りモノ」がたくさん発生しますから、それらをリサイクルしてブログ記事にするのは効率的です。
 
 しかし、そもそも、若者以後であるところの中年期や壮年期の境地について私が書きたい第一の理由は、それが驚きにみちた転回だったこと、やっとその転回に馴染んできたことによるかと思います。
 
 数年前に『「若作りうつ」社会』を作っていた頃の私は、まだ思春期心性や若者的な気持ちが残存していて、中年になった実感も、大人としてすべきことも、定着しきっていませんでした。知識としては中年期の発達課題や心境変化を知っているけれども、自分自身がまだ変わりきっておらず、中途半端な状態だったと言えます。
 
 ところが40代に入ってしばらく経ち、その間、麻布テーラーさんの「ぼくらのクローゼット」という中年を見据えた企画に参加させていただいたりするうちに、いよいよ心境が変わってきました。自分の心身に残っていた若者成分が抜けて、やっと自分が中年のおじさんになったという手応えを感じるようになったんですよね。
 
 それが無かったら、たとえば『四十才、夢から醒めて、逃げ場無し - シロクマの屑籠』などは書けなかったことでしょう。
 
 小学校に入学したての時や、第二次性徴が始まっている時には、当惑や驚きがあったかと思います。そこまで顕著ではないにせよ、私は自分の身体と心理的布置が中年に変わっていく際に当惑や驚きをおぼえました。と同時に、この新たに獲得した中年ボディと、これから20年近く続くであろう新しい境地に、関心を持つようになったのです。あれもこれも変わっていくのを凝視しているうちに、これは、面白がってみたほうが良さそうだぞと思えてきました。
 
 しかも、変わっていくのは自分だけではない。周りも変わっていきます。それこそ、はてなダイアリーやはてなブログをやっていた同世代の人々もどんどん変わっていく。しかも、これまでの人生経験から察するに、変化を面白がって眺めていられるのは多分今だけなんです。5年後の私は、中年になった自分についてこれほど熱意を込めて語ることなんてできないはずです。なぜなら、きっと中年の境地に慣れてしまうからです。慣れて間もない今のほうが、若者時代との違いを意識しながら書き残すには向いているはず。
 
 私は、この変化をゲームに喩えるなら、横スクロールのシューティングゲームをやっていて、途中で高速スクロールが始まるぐらいの変化じゃないかなぁ……と考えています。
 
 そして子育ては、「自分が勇者ではなくなったドラクエ」でしょうか。若者時代は、まさに自分自身が人生の冒険の主役だったけれども、子育てという要素が入ると「勝手に冒険していく勇者をメタ視点から眺めてサポートする」シミュレーションゲームっぽい要素に傾いてきて、人生のゲーム観に新しい視点が加わりました。これは、嫌いな人は嫌いでしょうし、好きになる確率を高くするためにはフラグを幾つか立てる必要もありそうなので万人に勧められるものではないのですけれども。
 
 ブログや書籍には、現在の自分の年齢や立場でしか書けない性質のものがあるように思います。もともと私は、ライフサイクルやライフコースに関心があるほうですが、そんな私でも、今書き綴っていることを5年後に同じように書くのはきっと不可能だから、今は伸び伸びと書きたいし、書くしかないんです。いつまでも、同じことを、同じように書くことはできないのだとしたら、今を、今として精一杯生きて、書いていくのがブロガー道ではないでしょうか。おじさんになった北極のシロクマは、そんなことを今は考えています。
 
 

どうして人は「きのこたけのこ戦争」に加わるのか

 
 
  
nlab.itmedia.co.jp
 
 
 インターネットの開闢よりも前から、「きのこたけのこ戦争」は繰り広げられてきた。その歴史はすっかり脚色され、ネタ化されているが、きのこの山とたけのこの里、どちらが美味しいのかを巡る論争が続いていたのは間違いない。
 
dic.nicovideo.jp
d.hatena.ne.jp
 
 インターネットが普及した今では、「きのこたけのこ戦争」は、便利な話題としてtwitter上で、LINE上で、動画上で、盛んに用いられている。みんな、それほどまでにきのこの山やたけのこの里が好きなのだろうか?
 
 そんなわけがあるまい。
 
 きのこの山もたけのこの里も、大変おいしいチョコレート菓子なのは間違いない。しかし日本には肩を並べる銘菓がたくさんある。ポッキー。ルマンド。キットカット。パイの実。ひしめきあう強豪勢に負けてはいないが、きのこの山とたけのこの里だけが特権的な中毒性を誇っているわけでもない。だというのに、きのこの山vsポッキー、たけのこの里vsルマンド といった対戦カードは誰も考えない。カードは決まって、きのこの山とたけのこの里なのである。
 
 どうして、人は「きのこたけのこ戦争」を繰り広げるのか?
 
 ひとつには、わかりやすい名前とかたち、同じ会社のお菓子ということで比較しやすいからなのだろう。それと抜群の知名度。ルマンドやキットカットやパイの実は、十分に知名度があるとはいえ、きのこの山やたけのこの里ほどではない。ルマンドなどは、「えっとー、あの、紫色っぽいパリパリしたお菓子?」としか出てこない人もいるだろう。だが、きのこの山とたけのこの里は違う。ほとんどの日本国民が「きのこ」「たけのこ」で話が通じてしまう。アレルギー等の理由を除けば、きのこの山とたけのこの里を食べた事のない日本人はほとんど存在しない、ということは「きのこ」「たけのこ」戦争に参加できない日本人はいない、ということだ。
 
 それともうひとつ。無難な話題としての有用性。
 
 人は論争が好きな生物だが、論争がもたらす結果までは好きではない。聖書の解釈、支持する政党、贔屓のプロ野球球団──そういったものの論争で人々は辛い思いをしてきた。辛い思いをしてきたからこそ、成長した大人の大半は、必要に迫られない限り“難しい論争”を避けようとする。少なくとも、初対面の相手に差し向けるのに適した話ではない。
 
 だが、きのこの山とたけのこの里のどちらが美味いのかを論争したところで、人間関係が破壊される心配はほとんど無い。プライドや虚栄心を賭けるには安価なチョコ菓子だから、どちらが好きか嫌いかを巡って刃物沙汰に発展するような要素はほとんどないだろう。ごく稀に、本気になっちゃって人間関係を壊してしまう人もいるかもしれないが、そういう人は、どのみち他の話題でも情緒を制御し損ねて人間関係を壊してしまう人だと思われるので、きのこの山とたけのこの里が悪いのではなく、その人自身が問題なのである。
 
 それでいて、きのこの山とたけのこの里は性質が大きく異なっている。きのこの山は、きのこ型のデザイン、少し塩味が効いてチョコとのメリハリのあるスナック、堅いチョコとスナック、その気になればチョコレートでできた笠の部分だけをいただくことも簡単だ。対して、たけのこの山は、丸々としたタケノコ型のデザイン、少し甘くてやわらかいクッキー、そのクッキーと一緒に食べられるために作られたかのようなチョコレートと、かたちもテイストもぜんぜん違っている。
 
 これほどチョコ菓子としての性質が違うのだから、きのこの山とたけのこの里、どちらかに肩入れしたくなるのはしようがないし、誰もがどちらかに肩入れするなら、そこに論争が生まれるのは必然だ。だが、しょせんはコンビニで売られているチョコ菓子の論争、しかも、甘くておいしいチョコ菓子についての論争なのだから、誰も傷つかないし、誰も呪わなくて済む。
 
 ほとんどの日本人と気楽に論争できて、しかも、誰も傷つかず、誰も呪わず、人間関係が壊れない話題は、そうザラにあるものじゃないので、きのこの山とたけのこの里は、これからも無難な話題として、オンラインとオフラインの両方で使われ続けるのだろう。
 
 [関連]:内容の無いコミュニケーションを馬鹿にしている人は、何もわかっていない - シロクマの屑籠
 
 

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