シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「異世界」の正体は「パン生地」だ。好きなように加工できる

 
 

コンテンツを最適化すると多様性は死ぬのか? | fladdict
 
 リンク先は、「コンテンツを最適化すると多様化が失われるのか?」というタイトルで「小説家になろう!」の異世界モノ寡占状態について触れている。
 
 なかなか読みごたえがあって、何かを言いたくなる文章だったと思う。そこで、私も日頃なんとなく異世界モノについて思っていることを言語化したくなったので、書いてみることにした。
 
 

読み手も書き手も「異世界」を必要としている

 
 思うのだが、「小説家になろう!」で異世界モノを求めているのは、ランキングの投票側である読者だけでなく、書き手のほうも同じではないだろうか。
 
 異世界は、上下水道完備で食糧問題も全くないシチュエーションが描かれても構わない。
 
 逆に、上下水道や食糧問題がぜんぜん遅れていて、そこに主人公が転生してきてインフラや食糧問題をどんどん改善していく異世界が描かれたって構わない。
 
 トマトやジャガイモといった、現実世界と同一の食べ物を、そのままの名前で描いても構わない。
 
 逆に、そういった食べ物が無い世界を描いて、主人公がそれらを持ち込んで無双する異世界を描いたって構わない。あるいは、ちょっとうるさがたの読者を意識して、トマトやジャガイモを違った名前にアレンジして登場させたって構わない。
 
 異世界とは、主人公に活躍させたい分野を都合の良いかたちで欠落させたり、気にしないで済ませたい枝葉末節を略記で済ませたりすることを許す、都合の良い空間、と言い直すこともできる。
 
 「小説家になろう!」の異世界モノとは、ジャンルであると同時にフォーマットの名前でもあるわけだ――読み手と書き手にとって一番都合の良いかたちで、欠けているものを欠けているとみなして描きだし、略記で済ませたいものを略記で済ませることを許す、パン生地のようなものだと私は連想する。
 
 パン生地のこね方やトッピング次第で、異世界モノというフォーマットはいかようにも変わる。美少年美少女が風呂やシャワーに不自由しない世界で、魔法や特殊スキルをガンガン使っていく物語に集中することもできれば、薄汚れた少年少女が、最低の衛生状態から現代知識を駆使して快適さを手に入れるまでの物語に集中することもできる。
 
 あるいは、現代社会からもたらされたテクノロジーや生活様式をあっという間に吸収する、やたらと進歩的な人々が住む異世界を描いても構わないし、正反対に、現代社会からもたらされたテクノロジーや生活様式に頑迷に抵抗する、中世の農民のような人々が住む異世界を描くこともできる。
 
 そのほか、法体系がどこまで進んでいるのかいないのか、封建制度がキツいのかキツくないのか、出生率がどの程度で、それを問題にするのかしないのか――そのあたりをどうとでも描ける(または省ける)のが「異世界」なのである。
 
 「小説家になろう!」で異世界モノが流行った理由はいくつもあるのだろうけど、私は、その理由の上位に、上述の「異世界モノはなんにでも加工できるパン生地みたいなもので、書き手も読み手も自分が集中したいことに集中できる」があるように思う。日本のサブカルチャー領域で一種のコンセンサスになっている「異世界らしさ」さえ受け容れられれば、そこで自由自在に戦記モノやラブロマンスや俺TUEEEEを書ける/読めるというのは、なかなか便利なことだ。
 
 もちろん、この「異世界らしさ」というコンセンサスにも不自由な面が無いわけではない。とはいえ、このコンセンサスさえ引き受けてしまえば後は何をやっても構わないし、どんなテーマに集中したって構わない異世界を、現在の書き手/読み手が存分に利用しているのは事実だろう。そして「小説家になろう!」やそれに類似したサービスを見渡すに、「異世界らしさ」というコンセンサスを共有できるユーザーの数は決して少なくない。
 
 そんな「異世界モノ」と「小説家になろう!」も、いつかは最盛期を過ぎて、下り坂の季節がやって来るのだろう。しかしそれまでは、この好きなように捏ねられるパン生地はたくさんの人に愛され、多産な時期を過ごすはずだ。まあ、どのジャンルの最盛期も10年も経てば懐かしく思えるものなので、好きな人は今のうちに精一杯楽しんでおくしかない。
 
 なお、「ライトノベル」も好きなように捏ねられるパン生地だったし、「エロゲ―」もある意味そうだった。後者はともかく、前者は今も一定の勢力を誇っているけれども、そろそろ時間切れなのでまた後日。
 

異世界はスマートフォンとともに。(1) (角川コミックス・エース)

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