シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「わかる」について――午前3時の自動筆記

  
 (DSMやICDといった)現代の精神医学の診断体系は、良い意味でも悪い意味でも「わかる」性が治療場面に与える影響を最小にする効果を持っている。
 
 すなわち、精神科医自身の病理性がクライアントのそれと共鳴しあう現象を最小限に留めるわけで、それは、人それぞれ固有のまなざしの尺度や精神性をクライアントの観察・操作になるべく反映させず、共通評価尺度やスケールに則った対象クライアントの観察・操作を心がける科学的な方法にほかならない。
 
 反対に、力動精神医学は、まさにこの「わかる」性をできるだけ有用に・できるだけ無害に役立てようとする方向性にあるのだと思う。スーパービジョンを介したトレーニングは、まさにその自らのなかの「わかる」を精査し、できるだけ有用で、できるだけ無害なかたちで人固有のまなざしの尺度・精神性を生かすための修練の方法なのだろう。
 
 尤も、ほうぼうの精神科医や自分自身を振り返るに、この「わかる」性のコントロールはたいへん難しく、自分自身の手癖と「灯台もと暗し」に振り回される部分はゼロにはならないのだろう、と思う。
 
 精神分析の大家も、それぞれの時代の「わかる」性を切り拓いたわけだけれど、彼らも全知全能だったわけではなく、自分自身の「わかる」性に縛られて、まさに自分自身の「わかる」性と時代性が共鳴したなかで活躍していったように見受けられる。
 
 だから、「わかる」のかたち、「わかる」が現れ出て記述されるという“出来事”は、それそのものが(1.クライアント、と、2.記述者たる精神科医やセラピストの双方の)精神病理を反映しているわけで、精神科医それぞれは「それが先生の病理ですね」と誰かに言ってもらったり、自分自身を振り返ったりできる場所と時間を必要としていると思う。私の場合、それが精神科医の集う場所であったり、あるいは、はてなダイアリー、はてなブックマーク、はてなグループといったものだったのだと思う。
 
 今、私はこうやって「わかる」を吐き出しているけれども、これもまた私の病理を反映したものであり、私自身なのだろう。何かに着眼し、何かを表現するということは、「わかる」の形を吐き出して言語化していることに他ならない。独りで投影法的心理テストをやっているようなものだから。
 
 これは、他の人達の「わかる」にしても同じだ。インターネット上では、そういう複数名の「わかる」が繋がり合って、いわゆる「バズる」や「炎上」が起こったりする。「大ヒット」もそうかもしれない。ひとつの「わかる」の周辺に、たくさんの人々の「わかる」が、すなわち個人精神病理を反映した個人性が重なり合っていって、何万何十万ものPVとなってインターネットの刹那を占拠していく。【人の気持ちが動く/人の気持ちを動かす】ということは、理屈以上に、こうした「わかる」性の連鎖や相互効果によるものだと、私は(大枠としては)理解している。
 
 この、まとまりのない「わかる」性についてのメモは午前3時に悪夢から醒めてそのまま書き綴ったものなので、ある程度、自動筆記に近いものだと思う。ということは、この文章の「わかる」性は私の無意識や個人精神病理を反映した、「p_shirokuma」に近いものだと思うので、誤字や重複を訂正したうえでアップロードしてみた。