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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「来週のアニメを観るまでは生きろ」

執着 オタク趣味

 
menhera.jp
 
 リンク先の文章を読んで、そういえば「来週のアニメを観るまでは生きろ」ってフレーズをどこかで見たなぁと思い出し、まあ、そういうもんだよな、思った。
 
 「人はなぜ生きるのか」。
 
 この、「人はなぜ生きるのか」「どうして死んではいけないのか」という問いは、罠である。深く考えるとだいたいロクなことにならない。そもそも、こういう事を深く考えてしまう状況自体がロクなもんじゃない。
 
 世の中には、自分の天命のために生きている人もいるかもしれないが、そんな人は例外で、欲望に引っ張られて生きているか、義務に背中を押されて生きている人が大半ではないだろうか。
 
 で、「来週のアニメを観るまでは生きろ」「新作ゲームをやるまでは生きろ」である。
 
 生き甲斐なんて、アウトソースしようが自社開発しようがたいした問題ではない。
 
 欲望と義務の板挟みのなかで生きていく人間が、ほんのすこしでも生きる意味なるものをでっちあげて、良い思い出を残していけるなら、それで良いのである。
 
 自分が生きるのが辛かった頃、何が生き甲斐だったのかを思い出してみても、高尚なものは出てこない。ただ、ただ、ゲームやアニメの記憶が蘇ってくる。
 
 学校に通えなかった頃の私を無為から救ってくれたのは、ファミコンのゲームだった。特にファミコン版『ウィザードリィ』が無ければ人生は変わっていただろう。あのクラシカルなゲームは私に生き甲斐を与えてくれただけでなく、好奇心や計画性を世間の嵐から守ってくれた。
 
 解剖学に苦しめられていた大学生時代。発狂するんじゃないかと思うほど覚えなければならないことが沢山あって、しかも暗記したところで何の役に立つのかもさっぱりわからなくて、一日の大半が無意味に感じられた。そんな時期にかろうじて生き甲斐を与えてくれたのがゲーセンだった。
 

エアーコンバット22

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  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
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エースコンバット04 シャッタードスカイ

エースコンバット04 シャッタードスカイ

 
 一日1~2時間だけ、私は命を燃やすようにゲーセンでゲームを遊んだ。ちょうど、『エアーコンバット22』*1という、短時間で大きな満足が得られるゲームが設置されていたので、私は五百円だけ持ってゲーセンに行き、両替した百円玉がなくなるまで操縦桿を握っていた。
 
 その後、しばらくは「アニメやゲームばかり見てないで現実も観ろ」と高二病のような考えにとりつかれたけれども、それも数年程度のことで、私は生き甲斐としてのゲームを捨てなかった。厄年を迎えた今でも私はゲームを遊び続けている。今では、それは自分の強味だと思っている。私の生存理由を支える柱のひとつは、間違いなくゲームだ。
 
 「大人になって、たかがゲームなんて」と言う人がたくさんいるのは知っている。だが、そのゲームだって、何十年も生き甲斐にしていれば、立派な生きる理由になっていくのだ。アニメだって、ライトノベルだってそうだろう。コンテンツに生きる理由を見出し、生き甲斐を感じるのは、実は、ちょっと尊いことなんじゃないかと私は思うようになった。
 
 私がそういう人間だからか、十年来、私の周囲にはそういう「アニメのために生きている人」「ゲームのために生きている人」といった雰囲気のアカウントがたえない。それとも「アニメに生かされている人」「ゲームに生かされている人」と言い換えるべきか。
 
 普段は人生の呪詛を吐き出しているけれども、好きなアニメが放送されている時間はピカピカと輝いている人。
 
 溜息のような社会適応の辛さを書き綴っているけれども、ソーシャルゲームのイベントの時には楽しくてしようがない様子の人。
 
 大河ドラマや朝の連続テレビ小説が楽しみでしようがない人。
 
 そういう人達が、コンテンツを生き甲斐にして生きているのか、それともコンテンツに生かされているのかは、わからない。
 
 でも、わからなくたっていいんだろう。
 
 コンテンツが楽しみで、その人が生きていて、たぶん来週も、再来週も生きている。それでいいじゃないか。
 
 人生の意味を突き詰めて考えるなら、いわゆる「高尚な生きる意味」と「低俗な生きる意味」の境目なんてあって無いようなものだ。すべての人生は無意味でもあり、また、有意味でもある。そして人間には星回りというべきものがあって、アニメやゲームを生き甲斐にして生きる人は、その星回りのなかで、精一杯生きれば、あるいは生かされればいいんじゃないかと思う。そしてどうせ生きるのなら、楽しい思い出や感動した思い出を大切にし、蒐集し、忘れないようにするべきで、その主座がアニメやゲームにあるのなら、その活動を、その思い出を、丁寧に取り扱っていくのがいいんじゃないかと思う。
 
 

それにつけても、精神疾患は厄介ですね。

 
 それにしても、本当に厄介なのは精神疾患――それも、本来ならあって然るべき興味や楽しみを喪失させ、自分が好きで好きでたまらないはずのものへの興味まで根こそぎ奪っていくようなタイプの精神疾患――だ。
 
 一番わかりやすい例は「うつ病」だ。
 
 疲労や睡眠不足などによって、一日や二日、好きなことへの興味や楽しみが失われることなら誰にでもある。だが、「うつ病」のようなガチンコの精神疾患では、そういった喪失が数週間~数カ月にわたって続くことになる。時々、思い出したように興味や楽しみが戻ってくることはあっても、全体としては低調な状態が続く。その間は、コンテンツを楽しみとして生きること自体が困難になってしまう。
 
 ここではわかりやすい例として「うつ病」を挙げたが、統合失調症や躁うつ病といった他の精神疾患も、それぞれ興味や楽しみ自体を脅かし、趣味生活を著しく阻害してしまうおそれがある。
 
 そういう意味では、好きなアニメやゲームによって生かされている実感をもっている人は、まだしも、恵まれている部類なのかもしれない。何かを楽しみにしている人、何かを生き甲斐にしている人は幸いだ。それはそれで、生きていくための強い力なのだ。
 

*1:家庭用ゲーム『エースコンバット』の前身となるゲーム。大型スクリーン、操縦桿、エンジンスロットルを備えた大型筐体ゲームで、破格の臨場感とスピーディーな空中戦が楽しめた。