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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

俺は女子高生や女子大生を見てもいけない。見られてもいけない。

 
inujin.hatenablog.com
 
 リンク先は、“ある程度年齢のいった男性が「自分が無害」であることを周囲にきちんと伝えるのは大変だ”という主旨だと私は受け取った。
 
 これは、同世代としての男としてすごくわかる。
 関連して、最近心がけていることを書きたくなった。
 
 

目指せ、「透明おじさん」

 
 
 最近私は、「透明おじさん」を目指している。
 
 人間には“他人からの視線をすぐに感じ取るセンサー”が備わっている*1。このセンサーの感度には個人差があって、男性よりも女性のほうが感度が強いようにみえる。また、中年や老人や子どもよりも、思春期の男女のほうが感度が強い。
 
 だから一般に、女子高生や女子大生は“他人からの視線を感じ取るセンサー”が敏感だ。少なくとも男性からの視線には、超反応と言って良いほど気が付く。ほんの一瞬でも彼女達を眺めようものなら、死角でない限り、あっと言う間に発見される。
 
 ということは、中年男性である私にとって、女子高生や女子大生を見つめるのはたぶん危険な行為だし、見つめられる当の女性からみれば迷惑なこと、ということになる。
 
 いや、中年に限らずとも、男性が女性に視線をおくるのはエチケットに反しやすい、きわめて微妙で難しい行為なのだと思う。
 
 ちなみに、長らく非モテ寄りなマインドの持ち主だった私は、同世代の女性に視線をおくるなんて大それたことはなかなかできなかった。「あの人たちにキモオタ扱いされたらかなわない」とびくびくしていた私は、無敵になったマリオのように輝いている、女子高生や女子大生といった人種に視線を向けるのを恐れていたのだった。
 
 それが、三十代を過ぎて非モテマインドがおさまり、思春期の自意識も丸くなって、知らない女性と目をあわせても挙動不審にならなくなった矢先に、今度は、若い女性に視線で迷惑をかけてしまうかもしれない意識が強くなってきて、またもや、女子高生や女子大生をまともに見れなくなってしまった。
 
 「公共交通機関のなかで、待ち合わせスポットで、見知らぬ中年の男が自分を一瞬でも見ていたら、若い女性はどんな風に思うだろうか。」
 
 「不快に感じたり、脅威や不安を感じたりする人もいるかもしれない。視線を向けるだけとはいっても、先方には迷惑なことではないか。」
 
 それなら、女子高生や女子大生を見つめないこと、そして彼女らにとって無視して構わない存在、風景未満の存在になってしまうことが、郊外や都市で暮らす中年男性のエチケットではないか、と思い至らざるを得なかったのである。
 
 よって現在の私は、女子高生や女子大生を見ないように見ないようにしている。つい、視界の中に、ソーシャルゲームに出てきてもおかしくないような端正な若い女性が飛び込んできても、目で追いかけるのはNGだ。「あっ!今、なんか凄くきれいな女性がいた!」と思っても、なにせ相手は二次元美少女キャラクターではなく、魂の入った人間の女性だから、じろじろ眺めるなんてもってのほかだ。こちらの視線を先方が察知しただけでも、ちょっと申し訳ない気持ちになる。すみません。今、ちょっとだけあなたの姿が目に入ってしまいました。ごめんなさい。すぐに立ち去ります。怪しい者ではありませんから。
 
 
 冒頭リンク先の文章には

 おっさんというのはできるだけ実体を持たず、概念的な存在になっていくべきなのだろう。

 と書いてあるが、街を歩いている時に限って言えば至当な結論だと思う。
 
 私は、女子高生や女子大生からみて、透明なおじさん、いないものとして取り扱っても構わないおじさんでなければならないのだ。
 
 と同時に、私のほうもまた、女子高生や女子大生を透明な存在として扱わなければならない。視線を投げかけるだけで彼女達に迷惑をかけてしまうかもしれない以上、一番望ましいのは、私には女子高生や女子大生が見えなくなってしまうことだ。もちろん彼女達は光学迷彩を使って透明になったりはしてくれないから、こちらから積極的に視線を外していかなければならない。キャイキャイと姦しい声が聞こえてきたら要注意だ。彼女達を見てはいけない。「直視したら塩の柱になるぞ!」ぐらいの勢いで視線を外していかなければならない。それがお互いのためだから。
 
 郊外や都市とは、知らない者同士がお互いに関わりをもたず、しがらみもなく、安全に・快適に過ごすための空間だ。であれば、たとえ「ひとまなざしの視線」であっても、中年男性が若い女性に視線を向けて、それで気煩いをかけるような場面はできるだけ減らしたい。
 
 まあ、こういう「お互いにできるだけ関わるな、棲み分けろ」みたいなエチケットというか文化儀礼みたいなものが、孤独な母子家庭とか、少し前の援助交際問題みたいなものを深刻にしているような気もするが、それはともかくとして、個人としての私は無害な中年男性でいたい。
 
 思い返せば、女子高生や女子大生をマトモに眺めていられる期間の乏しい人生だった。世の中には、中年になっても女子大生に心を奪われる人もいるようだが、私には無理だ。インビジブルを目指そう。
 
 

*1:医学的なことをいうと、視細胞のなかでも桿体細胞がどうのこうの、という話になるがここでは省略。