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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

誕生日はおめでたい日だと、最近やっと気づいた

 
 今日は天皇陛下の誕生日だ。
 だからというわけではないが、誕生日についてちょっと書く。
 
 子どもの頃の誕生日にはちょっとしたお祝いがあったので単純に嬉しかったが、思春期を迎える頃には「年を取ってしまう日」として嫌悪していたし、20代後半は「三十路を迎えるまでの地獄のカウントダウン」だった。30代後半? 聞くまでもなかろうよ。
 
 それでも、誕生日はめでたいものだと最近になって気づいた。
 
 「こんな歳になってしまった」「こんな年齢まで人生を使ってしまった」と思うから誕生日が疎ましいのであって、「この歳までたどり着けた」「ここまで人生をやり込んだ」と考えるなら、誕生日はめでたい。とてもおめでたいのだ。
 
 

「おまえ、レベル40歳まで生きたのか?長く生きたな、たいしたもんだ」

 
 最近、生きていくことに辛さを感じる。
 
 もともと娑婆は忍土(にんど)と言って、辛いものと相場が決まっているが、三十代後半あたりからは、身体能力の衰えをひしひしと感じるようになった。表面的には今までどおりの生活をしているけれども、毎日を生きるためのコスト、つまり、健康や世渡りに費やさなければならないコストはジリジリ増えている。
 
 なるほど、人間というのは生物だから、老いるにつれて生きるための難易度が高くなっていくのか。
 
 そして舞い込む訃報。
 
 自分に近い場で活躍していた人が、不意に亡くなった報せに驚く。
 あるいは、まだ教えを請いたかった恩師が急逝した報せに悲しむ。
 
 そういった訃報を受け取るたび、今というこの世界が永遠に続くわけではないこと、人間が生き続けて年を取り続けるのは当たり前ではないことを思い知らされる。
 
 みんな無条件に生きているわけではないのだ。たとえそのようにみえたとしても、毎日好きなことをやったり、毎日義務を果たそうとしたり、毎日苦悩に耐えたり……とにかく、生き続けている人間だけが今を生きているのだ。
 
 レベル0歳からレベル12歳までの子ども時代を生ききった人は、たいしたものだ。
 右も左も知らない、力の乏しい時期を生き抜いたのだ。親の助けがあるとはいえ、よく頑張った。
 
 レベル13歳からレベル24歳までの思春期を生ききった人も、たいしたものだ。
 嵐のような自意識と闘いながら、親の手が届かないところで懸命に立ち回った。激しく生きたことだろう。
 
 レベル25歳を超えて、レベル30歳、レベル40歳と年齢を重ねた人もそうだ。
 社会に巧みに適応できていたか、今一つピリッとしないかはともかく、何十年も自分という名の「人生」のアカウントを操縦し続けてきたのだ。たいしたものじゃないか。
 
 年を経るにつれて実感するようになったのは、身体がボロくなろうが苦境に直面しようが、それでも「人生」の盤面を投げ出さずに生き続けるというのは、ただそれだけでもたいしたものだ、ということだった。
 
 この視点で年上の人達を眺めると、なるほど、お年寄りというのは敬意に値する。
 
 あのおじさんは、六十代になってもあんなに元気にしているんだぞ。
 
 あのおばさんは、ガンの転移と闘いながら、それでも娑婆から振り落とされずに生き続けて、最後まで生きようとしている。次の誕生日を迎えられる保証はまったく無い。が、ともかくも生きているのだ。
 
 生き続けること自体の難易度が高くなっていても、人生を投げ出さず、どうにか生き続けている人々は、荘厳だと思う。
 
 人生の難易度の上昇スピードは人によって異なるが、原理原則としては、年を取るにつれて加齢にともなうペナルティが大きくなり、自分の社会的な立場も変わっていくため、長く生き続けるのは苦難の連続となる。にも関わらず長く生き続けている「人生」のプレイヤーは、それぞれに苦難を乗り越えてきているわけだし、そうやって、ライフログの歴史を積み上げているわけだ。
 
 で、そういうライフログの歴史を持ったひとりひとりの人間同士が繋がりあって、この娑婆世界がかたちづくられているのは確かなのだ。それって、すごいことではないだろうか。
 
 

誕生日は「実績解除」のトロフィーだ

 
 こうやって考えると、誕生日は、一年また一年と生き続けたことを証明する「人生」というゲームのトロフィーのようにみえる。マイクロソフト社のゲームで言えば「実績解除」だし、『ポケモンGO』風に言えば「メダル獲得」みたいなものだろう。誕生日というのは一番基本的なトロフィーだけど、じゃあ、誰もがこのトロフィーを積み上げられるかといったらそんなことはないし、このトロフィーには必ず一年分の時間的な重みが詰まっている。
 

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・みんな、こんな風に「人生」のトロフィーを積み上げている*1

 
 こうやって私達は、一年分の時間的な重みの詰まったトロフィーを不可避的に積み上げて、それらを背負いながら毎日を生きているのだ。
 
 ほら、あの78歳のご老体をごらんなさい! あんなにたくさんの誕生日トロフィーを抱えて、その重みに耐えながら、まだ自分の足で「人生」を歩き続けている。「人生」の大ベテランプレイヤーと言わざるを得ない。彼らは「人生」の“やり込み勢”だ。
 
 誕生日を迎えるのは、当たり前のようで意外と当たり前ではない。だから誕生日を迎えた人には、おめでとうと言いたいし、自分の誕生日にも、これからはおめでとうと言いたい。
 
 生きて誕生日を積み重ねていこう。死がゲームオーバーを告げに来るその日までは。
 

*1:画像は『ポケモンGO』のメダル獲得のコラージュです