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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

ジワジワ来る地方都市論――貞包英之『地方都市を考える』

 
 
 

地方都市を考える  「消費社会」の先端から

地方都市を考える 「消費社会」の先端から

 
 
 この本の最初のページには、“地方都市について、できるだけ「邪念」なく考える。それが、この本の主題である”と書かれている。実際、しばらく読み進めると「地方はダメ」「地方は素晴らしい」的なオピニオンを押し付けるような本ではないことがわかる。地方都市の現状を、淡々と記している。
 
 出版社が同じせいもあってか、拙著『融解するオタク・サブカル・ヤンキー ファスト風土適応論』のサブカルチャー臭を抑えて、もっとキチンと・学術寄りにリファインした内容にも読めた。地方都市の人口移動の問題、住まいの問題、観光の問題、(サブ)カルチャーの問題、等々。のみならず、地方都市の変化の背後にある法的・政治的な変化についても、データを交えながらたくさん書いてあって参考になった。
 
 たとえば、地方都市では駅周辺が寂れ、幹線道路沿いに商業地が移転して久しい。ただし、それは一段階の変化ではなく、実際には、
 
 1.駅周辺に新しい商業エリアが栄える
 2.郊外に商業エリアが流出する
 3.巨大ショッピングモールが建設される
 4.自治体の土地区画整理事業に相乗りしたモールが造られ始める
 
 といった幾つかの段階を経ていて、その背後には法的・政治的な力学が働いている。
 
 ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 (新書y)が記された頃、地方都市は3.の段階だったが、2010年代の地方都市*14.の段階を迎えている。単に郊外にショッピングモールが建てられるのではなく、地方自治体のインフラ機能やニュータウンまでもが一切合切セットになった新しい生活空間が、全国に造られている。
 
 そうした変化の背景に、モータリゼーションや消費個人主義の浸透があるのは言うまでもない。だがそれだけではなく、大店立地法や都市計画法の改正が人や企業を動かしているということ、そうした法改正そのものが政治の産物であることも忘れてはならない。加えて、「まちづくり」を巡る住民の意志、地方の政治勢力の変化、誰が地方にとどまり(または取り残され)誰が地方から移住するのかといった、地元の力関係までも重なり合って、地方都市の“今”ができあがっているわけだ。
 
 地方都市の国道沿いやニュータウンの風景は、経済的・文化的なあらわれであると同時に、法的・政治的なあらわれでもある。この本は、そのことを強く意識させる。
 
 

何を感じるかは読者次第

 
 多種多様な観点から地方都市を論じているだけに、『地方都市を考える』を読み終えた時の感想やインスピレーションは読者次第だろう。町村部で農林水産業に従事している人・地方都市中枢で働くホワイトカラーの人・生まれも育ちも大都市圏の人では読後感が違うだろうし、地方都市の再生を確信している人と没落を確信している人でも違うだろう。
 
 私個人は、「どうあれ、地方都市は“東京”の重力と向き合っていかなければならない」と感じた。
 
 筆者の貞包英之さんは、決して地方都市の将来を悲観しているわけではない。むしろ逆で、地方都市の活力や地元住民の生存戦略のしたたかさにもページを割いていて、“地方都市について、できるだけ「邪念」なく考える”という冒頭のマニフェストを忠実に守っているように読める。
 
 しかし、そういう筆致だからこそ、地方都市の経済的・文化的・法的・政治的な行く末が、究極的には“東京”すなわち中央の動向によって決定づけられていく構図がジワジワ浮かび上がってくるように私には読めてしまい、落胆、ではないけれども、覚悟を迫るところがあるように感じられた。
 
 もちろん地方都市では、地方の独自性を生かしながら経済的・文化的に発展していこう、自分達の自治をしっかりやっていこうという機運があるし、成功した例も少なくない。他方で、地方都市から大都市圏へ頭脳や資本は流出し、地元経済や地元雇用はますます“東京”の企業への依存を深めていく。地元の文化や観光にしても同じで、地元自身の評価尺度に基づいて発展させていくのではなく、“東京”の評価尺度に基づいて――あるいは“グローバル”の評価尺度に基づいて――みずからを整形し、売り出しているという点では、“東京”への依存を深めていると言える。
 
 地方都市が“東京”の重力と繋がっていること自体は、いけないことではない。ショッピングモールやコンビニができあがって“豊かな地方の生活”が成立するようになったのも、地方都市にも自由度の高い個人生活が浸透したのも、“東京”からの伝播と恩恵があることを、地方に住む人間は忘れてはいけないのだろう。
 
 ただし、これから地方都市がいよいよ力を失い、“東京”の影響力に依存する度合いを深めていくとしたら、地方都市と“東京”の関係性は過去とも現在とも違った、更なる段階に移行することになる。この本に記されたデータを眺める限り、そのように私は予感したくなる。もちろんこれは経済的・文化的な変化だけでなく、法的・政治的な変化を伴ったもので、なかば、地方都市が“東京”に呑み込まれていく従来のプロセスの延長線上に位置づけられるものだろう。
 
 鉄道網や幹線道路網の整備に歩調を合わせるように、これまでも地方都市は“東京”や近隣大都市圏の影響を受け続けてきた。これからもそうだろう。一人の地方都市在住者として、私は、そうした長いプロセスの渦中に自分自身が置かれていることを痛感しながら、この『地方都市を考える』を読んだ。感情的な扇動や一方的なオピニオンの押し付けではないだけに、とことんジワジワ来る一冊だった。
 
 ※こちらの一環として。

*1:少なくとも、いくらかの体力が残っている地方都市