シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「面白さに頼らない」ブログ運営の技術、侮りがたし

 
mubou.seesaa.net
 
 リンク先のしんざきさんの記事、個人的なブログを愛好している私には痛快でした。
 
 そのことを踏まえたうえで、ディベートごっこといいますか、あえてしんざきさんや私自身に対する反論めいた文章を書いたらどうなるかな? と思い立ったので、量産型はてなブログと、その方法論を編み出した人達を持ち上げるような視点をぶつけてみます。
 
 ブログとブロガーにとって肝心なのはブロガー自身の面白さ、という感覚に私は賛同します。と同時に、「だけど、文芸技術にも経験にも恵まれず、着想貧しく、独創性も欠いた面白くない奴が書いた日記ってぜんぜん面白くないよね」というのも事実です。
 

「その人にしか書けないこと」が読めるのがブログであって欲しい: 不倒城

この「俺にしか書けない」ことが判で押した記事より面白いことも滅多にないという事情が量産型記事乱造の正体だよな…

2016/05/26 17:38
b.hatena.ne.jp
 この、NOV1975さんの指摘は、箸が転がっても面白がれるブロガーには当てはまらない反面、ものすごく面白いイベントに遭遇してもつまらない文章しか吐きだせないブロガーにはゾッとするほど当てはまります。
 
 余談ですが、何を書いても凡庸をきわめる人って、どんなに面白いイベントが目の前にあっても、面白いことをインプットできていないようにみえます。なにを経験しても面白さが掬えないというか、集客規模だの、有名人が来た来ないだの、自分自身が褒められたかどうかだの、そういう、面白さとは別個の要素にとらわれて一喜一憂していたりします。あれじゃ面白いものをアウトプットできるわけがない。だって、面白い経験を掬い上げてインプットできていないんですもの。
 
 とにかく、「その人にしか書けないこと」を書いて「しかも面白い」って、難しい人には難しいのでしょう。控え目に言っても、全員が一定レベルの「日記」「ご意見開陳」「論評」を書けるわけではありません。
 
 一方、“はてなブックマーク互助会”“面白さを無視したコピペ記事大量生産”といった方法は、努力さえすれば、誰でも実現可能です。どんなにつまらない人間でも、面白いかどうかはともかく一定のPVや読者数を稼げるという意味では、こちらのほうが優れているのではないでしょうか。
 
 そういえば、科学的手法に基づいた技術 technique ってやつは、「材料や方法が同じなら、どんな人でも再現可能」なものですよね。個人の才能とは無関係に、どんな人でも同じ成果が得られるのが技術です。
 
 対して、才能の多寡に左右されやすく、全人口のかなりの部分が真似できない諸々は、技術とは言えません。もちろん科学でもありません。それは技法 art と呼ぶべき何かです。
 
 “技術か技法か”で言えば、個人ブログの「面白さ」は技法の領域に属しています。
 
 このことを踏まえると、昨今物議を醸しているブログ運営のための諸々は、技術としてはまずまず優れているんですよね。何を書いても面白くない・何を経験しても凡庸以下の人間でも等しくPVが集められる技術にニーズがあるのであって、箸が転がっても面白くて仕方がない人間でなければ実行不可能な技法なんてお呼びではないのです。
 
 はてなブログには沢山の新人ブロガーが参入し、そのなかには、面白い記事が量産できるわけではないけれどもPVが喉から手が出るほど欲しい人も混じっていました。そういう、従来ならブログ世界で救われないはずのつまらない人達に救いの手を差し伸べたのが、誰にでも再現可能なブログ技術と、その技術を提供する人達でした。なるほど、提供者達が崇拝されるのもわかるような気がします。
 
 こう書くと、「なにが技術だ!なにが科学だ!インターネットにスパム同然の記事をまき散らしておいて!それに、いつかはgoogleに眼をつけられて再現できなくなるぞ!」と反論する人もいるでしょう。
 
 実際、こうしたブログ運営術はインターネットの海を汚染するし、じきに再現できなくなりそうです。それは認めます。でも、それは既存の科学や技術にもしばしばみられることじゃないですか?
 
 ある技術は、豊かな大地を塩害に苦しむ痩せた土地とし、文明をしばらく繁栄させた末に滅ぼしました。
 
 またある技術は、工業的成果の代償として海に有害物質を垂れ流し、海の恵みに頼って生きていた人達に恐ろしい病気をもたらしました。
 
 科学や技術は、間違えないから科学や技術なのではありません。そして未来永劫、なんの弊害もなく繰り返せる技術って、実はそんなに多くないのかもしれません。ある時代・ある文明においてなんら問題無いようにみえた技術や科学が、あとあと、後戻りのできない結果をもたらす、なんて事態はそんなに珍しくはないように私には思えるんですよ。
 
文明崩壊 上: 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫)

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文明崩壊 下: 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫)

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危険社会―新しい近代への道 (叢書・ウニベルシタス)

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 そういう、発展し続けるがゆえに発展途上でもある科学や技術の特質に思いを馳せると、さしあたって現時点で再現可能にみえる量産型ブログ運営術も、いちおう技術と呼んで差支えないと私は思うのです。そして、そうした運営術を提供している人達は、ちょっとしたメディア工学者と言えるのではないでしょうか――さすがにメディアクリエイターとは呼びたくありませんが――。
 
 この文章はディベート的な反駁であって、私の本心ではありません。面白いものを面白く捉えられない人間は、日記だろうが論評だろうが、結局面白くないのですから。そして私達は「面白さ」という評価尺度でブログを評価していますから、面白くない量産型ブログには価値が無い。
 
 しかし、その面白さという価値や評価尺度が再現困難な技法 art の領域にある限り、再現困難という問題はついてまわり、そういった価値や評価尺度は技術の普及によって代替され、駆逐され、しばしば脱-価値化されていくんですよね。
 
 ゲーム『シヴィライゼーション』にお詳しいしんざきさんならわかるはずです、一握りの剣豪がどれだけ強くても、そこらの農民でも取り扱える武器や戦術が普及していくと、そういう剣豪的な強さは時代の流れから取り残されてしまいます。
 
 剣豪は、農民マスケット兵よりもずっと強いかもしれない。しかし、マスケット銃が普及し農民兵が簡単に訓練できるようになり、それを前提とした戦術が普及するにつれて、個人的な技芸は人並み程度でも構わないと考える人が増えるようになり、剣豪は以前ほどリスペクトされなくなります。技術の普及によって価値観の土台が変化してしまうと、はじめのうちはリスペクトされていた個人的な技芸はその特権的価値を失いはじめ、衰退せざるを得ません。武芸しかり、モノづくりしかり、精神医学しかり。
 
技術と文明 (1972年)

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ラスト サムライ (字幕版)

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 技術が技法に勝るのは、その個人的卓越性ではなく、その普及可能性と再現可能性にほかなりません。この点において、昨今の面白くもクソもないブログ運営術は、剣豪一個小隊をなぎ倒すマスケット兵一個大隊に比喩したくなるものがあります。あるいは、ニュータイプ専用モビルスーツを数で圧倒する量産型モビルスーツの大群というか。
 
 私自身は、「面白さを大切にしないブログなど、怖るるに足らん」と思っていますし、しんざきさんにおいてもそれは同じでしょう*1。しかし、再現可能な技術ってやつには上記のような恐ろしさがあり、事実、クソ面白くないブログまでもがインターネットを汚しながら成果の果実を手に入れています。ええ、彼らの技術とブログは、旧式の石炭火力発電所のようにやがて陳腐化していくに違いありません。でも、その頃には一回り新しい、やはり再現可能な技術がメディア工学者によって開発され、提供されていることでしょう。
 
 そういう事まで考えると、量産型はてなブログに象徴される最近の動向を、私は注意深く眺めざるを得ません。
 
 量産型の、「面白さ」に頼らないブログ運営技術は、まだまだ発展し、跳梁するでしょう。それでも個人ブログにYESと言えるような、そういうブロガーでありたいし、そういう個人ブロガー的な面白さを拾い上げやすいシステムがあったら是非使ってみたいな、などと私は思っています。
 
 すっかり長くなったので、ディベートごっこはこのへんで。
 
 
 加筆:脳を刺激するブックマークコメントを頂いたので、ちょっと返信。
「面白さに頼らない」ブログ運営の技術、侮りがたし - シロクマの屑籠

『従来ならブログ世界で救われないはずのつまらない人達』ひどい。それはそれとして、量が増えれば自ずとそこから質も産まれるとは信じます http://zaikabou.hatenablog.com/entry/20050606/1118050389

2016/05/27 11:16
b.hatena.ne.jp
 これは素敵な視点ですね。ただ、誰でもできるブログ運営の技術が普及した時に向上する質って、従来の個人ブログ的な面白さの質とは異質ではないでしょうか。マスケット銃が普及して質が向上するのは、剣豪の技ではなく、マスケット銃の精度であったり、優れた銃兵の登場であったり、銃剣の登場だったりしますよね。ブログのような個人メディアにおいても、そうなんじゃないかなぁと私は疑います。ただ、「銃剣道」に相当するような、旧来の機能と新しい機能を併せ持ったブロガーは、名指しはしませんが、既に現れていると私は感じています。で、そういうブロガーの台頭が、世代間の「何を面白いとみなすのか」のギャップも相まって、ある種のパラダイムシフトを促していくのでしょう。
 

*1:ただし、昨今のブログ運営技術をしっかりと身に付け、なおかつbotブログ的なものとは似て非なる面白さが記事から滲み出ている若い世代のブログは、ライバルとして強力だと思っています