シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

面白いブロガーを新たに発見した時の喜びと手触り

 
 ブログに限った話ではなく、twitterアカウントにも作家や演奏家にも当てはまるんだけど。
 
 面白いお話を聞かせてくれたり、神経が高鳴るような体験を提供してくれたりする人物を発見した時の喜びは、何物にも代えがたい。
 
 一般に、人間と人間が精魂込めてこしらえたモノには、何かしら、その人の内宇宙に思いを馳せたくなるエッセンスが感得されるものだ。ワインと同じである。そしてこれまたワインと同じように、個人それぞれが抱える内宇宙のキャパシティと、その秘められた内宇宙を表現するための手腕手管には、とてつもない個人差がある。
 
 誰からも好かれそうなブロガーと、彼の綴ったブログ。だが、その人の内宇宙が汎用コミュニケーションモジュールによって占められ、何度読んでもいっこうに深まりが感じられないケースは少なからずある。まるで、呑み始めから最高のスペックをたたき出し、だが次第に呑み飽きてくるワインのようだ。
 
 かと思えば、とりつくしまのない、渋くて苦くてしようがないワインのごとき人間が、じわじわと人格の奥行きを垣間見せてくれるケースもある。数週間に一度、ほんの少しだけ魅せてくれる精神の迷宮によって、読む人を魅了するようなブロガーとブログ。
 
 世の中には人当りの良さと飽きることのない不思議さを両立したブログもあるし、人当りが最低で奥行きも乏しいブログだってある。世の中には人の数だけ内宇宙が存在し、ブログの数だけブロガーがいるのだから、それは当然だろう。とにかくも、「あっ、この人の吐き出すモノは面白いし、たぶんこの人以外は吐き出せないんだろうな……」と思う何かを備えているブログやアカウントが存在しているのは確かだ。
 
 心の壁と空間の隔たりを越えて、メディアの上で遭遇するブログとブロガー。それらは、本心の吐露かもしれないし、いわゆる“芸”かもしれないし、習作や実験かもしれない。だが、そういった区別はブロガー鑑賞にあたってはさしたる問題ではない。カテゴリーに関わらず、作り手個人の手垢というか、精神の指紋というか、そういうものを明確に意識できた時の喜びは、どんな時も格別だ――自分ではない人間が、そこにいるのだ! そして自分には到底考えもつかない、よその人も考えもつかないであろうプロダクツを、垂れ流しているのだ! この発見と鑑賞自体が、ブログライフの大きなご褒美になる。
 
 インターネットは清潔になった、と言われる。「退屈になった」と言う人もいるし、私もそれに賛成票を投じたくなることもある、けれども、インターネットに無限にきらめくアカウントを知り尽くすことは人間には不可能だし、新しい人の参入もあるわけで、いまだ、「未知の面白いブロガー(やアカウント)」なるものが枯渇する気配は無い。ありがたいことだ。そして懼ろしいことだ。