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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「つながり」「しがらみ」を厭わない若者達

コミュニケーション

 
 タイトルのとおり、最近、「しがらみ」を厭わない若者達についてあれこれ考える。
 
 俗に“マイルドヤンキー”として括られる若者はもちろん、そうでもない若者も「つながり」を大切にしていて、そのためなら「しがらみ」をも厭っていないと感じる機会が増えた。
 
 1990年代~2000年代の若者は、もっとしがらみを厭い、自分が一人でいる時間や空間を求めていたはずだ。もちろん当時も、ヤンキーっぽい若者はコンビニの駐車場やショッピングモールにたむろしていたし、体育会系の一群も「つながり」に積極的だった。だが、そうではない若者は自分が一人でいる時間や空間を求め、それに即したライフスタイルを構築していた。趣味生活やファッションでも、ヤンキー的な同質性には距離を置いて「私が私であること」「私が他の人とは違っていること」を重視するような志向が流行っていた。
 
 他方、2010年代も半ばを過ぎて、そうしたスタンドアロン志向な若者は、一体どこにどれぐらいいるだろうか?
 
 いないこともあるまい。90年代~00年代にそうだった元・若者のなかには、いまだ、スタンドアロンな価値観とライフスタイルを大事にしている人がいる。また若年世代においても、コミュニケーションから取り残され、一人でいる時間や空間を求める……というより強いられている人が存在することは想像に難くない。
 
 だが、“マイルドヤンキー”な若者のみならず、もっと都会的なライフスタイルを志向している若者や、目端の利くライフスタイルを自認している若者においても、「つながり」や「しがらみ」は、10~20年前ほど忌避されていないのではないだろうか。
 
 90年代~00年代の若者の間では、都会に出て一人暮らしをするライフスタイルが持ち上げられていた。スタンドアロンで「自立した」ライフスタイルが格好良い……という価値観が流行っていた。そしてヤンキー的な「つながり」や「しがらみ」はダサいものとみなされていたはずだ。
 
 だが、今は違う。一人暮らしは格好良いものではなくなったし、憧れの対象ともなっていない。「つながり」や「しがらみ」をダサがっているのは、過去に縛られたおじさんやおばさんか、コミュニケーションについていけない少数者だ。むしろ逆で、今、「つながり」や「しがらみ」はありがたがれ、強調され、積極的に交わされている。そして不登校や不適応に直面している若者ですら、「つながり」や「しがらみ」を良しとする価値観を内面化し、(かつてのオタクのように)皆に背を向けて一人でモソモソ楽しむような価値観は希少品になってしまった。
 
 若者の価値観ぜんたいが「つながり」や「しがらみ」のほうにグッと傾いて、スタンドアロン的な価値観が(相対的に)求心力を失ってしまった。
 

 

「しがらみ」を生き抜いた若者の強さ

 
 学校生活以来のコミュニケーション状況に適応できなければ、うまく「つながり」や「しがらみ」を構築できないのは今も昔も*1変わらない。だが、1980年代以前に生まれた世代と、1990年代以後に生まれた世代では、コミュニケーションを巡る環境がぜんぜん異なるのだった。
 
 80年代以前に生まれた世代は、都市化・郊外化した生活空間で育った。しがらみを最小化するライフスタイルが持てはやされ、外遊びがだんだん難しくなり、塾通いが増え、集団で遊ぶ機会の乏しい子ども時代を過ごした人も多かった。
 
 では90年代以後に育った世代はどうか? 生活空間や塾通いはあまり変わらない。集団で遊ぶ機会は一層少なくなってしまった。ところが彼らが物心ついた頃にはガラケーがあり、mixiがあり、やがてスマホやSNSが普及した。2005年にガラケーを使ってまくっていた高校生も、今では二十代後半だ。
 
 こうした“いわゆる”デジタルネイティブ世代がIT技術に秀でていたとは言えない。しかし、彼らは物心ついた頃からガラケーやSNSやスマホを日常的なコミュニケーションの手段として使い続けていた。そういう意味では、リアルタイムなオンラインコミュニケーションの熟練者だった。
 
 携帯電話が普及した頃から、青少年の逸脱したネットユース・SNS疲れ・携帯依存といった問題が盛んに論じられてきた。あらゆる若者がオンラインコミュニケーションを始めたのだから、不適切な使い方をしてしまう若者が出てくるのは当然だろう。しかし、オンラインコミュニケーションを始めたすべての青少年がSNS疲れや携帯依存に陥ったわけではない。ともすれば繋がり過ぎてしまうこれらのコミュニケーションツールを大半の若者は使いこなし、「しがらみ」と折り合う術をたえず“訓練”してきたのも事実である。
 
 そういうコミュニケーション環境をサバイブしてきた若者は、新しい「しがらみ」を所与のものとして引き受け、折り合いをつけ、「つながり」からできるかぎりのメリットを享受しようとしているのではなかろうか。
 



 
 そう。昭和風の「つながり」や「しがらみ」が忌避された後、いったんスタンドアロン志向が持てはやされたが、オンラインコミュニケーションで“訓練”を欠かさなかった世代は新しいかたちで「つながり」や「しがらみ」と付き合い始めているんじゃないか、って話。
 
 今日でも、カネさえあればスタンドアロンに生きていくことは不可能ではない。しかし、そのようなライフスタイルに憧れる人は少なくなり、そもそも、心理的にも経済的にもソーシャルキャピタル的にも容易ではないことが周知されてしまった。そうしたなか、小中学生時代からオンラインコミュニケーションに親しみ、まともに使いこなしてきた若者が「つながり」や「しがらみ」を厭う理由などどこにあろうか。
 
 「つながり」や「しがらみ」を厭わない人間は強い。控え目に言っても、スタンドアロン志向の人間には無い強さを持っている。そうした強さを若者が再-獲得していくにあたって、実はガラケーやmixiやスマホやLINEが重要な役割を担ってきた*2と考えると、あれこれ合点がいくし、今日のサブカルチャーやネットカルチャーの気分とも合致しているようにみえる。
 

*1:ここでいう「昔」とは昭和時代の終わり~平成時代のはじまりぐらいを指す

*2:そしてコミュニケーションについていけない人間を篩にかけてきた