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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「世話をする」ことで、おじさん・おばさんになれたと思う

 
 おじさん・おばさんになりたがる社会へ - ぼくらのクローゼット
 
 ここではリンク先よりも後の話――「いかにして、私はおじさんになっていったか」について触れます。
 
 おじさん・おばさんを見習っていたからといって、私の心理が急におじさん臭くなったわけではありません。ロールモデルとして年長者を見習っていたとはいえ、20代の頃の私はどう考えても若者――おにいさん・おねえさん的でした。
 
 私の心理が本格的におじさんっぽくなったのは、やはり、子育てのフェーズが始まって以降なのだと思います。
 
 一言で変化を述べるなら、「自分自身のことが割とどうでも良くなった」。
 
 それと「人生は、個人所有制のものではないんだ」とも。
 
 年少者の育成。家庭。そういったものに私は時間や情熱やお金を賭けてみることにしました。なぜなら、私が敬愛していたおじさん・おばさんは、多かれ少なかれそのようにしていて、そのような暮らしを良いものとみなしていたからです。正直、はじめは半信半疑で、自分自身の時間・可能性・承認欲求が削られていく感覚を怖がっていたと思います。
 
 でも、本腰入れてそういう事をやっているうちに、自意識やアイデンティティが、自分中心な感覚から、家族中心・付き合い中心な感覚にシフトしてきたんですよ。
 
 自意識やアイデンティティが自分自身のド真ん中に置かれている時は、当然、自分のことばかり気になって、なにより自分の時間・可能性・承認欲求が気になってしようがありませんでした。思春期の頃の私はまさにそんな感じでしたが、でも、そうやって自分というものに拘ればこそ、技能を習得し、周囲と切磋琢磨できたのだと思います。
 
 ところが、自分以外の人々に時間や情熱を割り振っているうちに、いつの間にか自分自身への拘りが(相対的に、ですが)薄まっていることに気が付きました。心の重心は自分自身から家族へ、あるいはコミュニティへと移行し、「自分自身がキラキラしてなくても、みんなが良い状態ならいいじゃないか」「自分だけが10ポイント経験値を稼ぐよりも、みんなで経験値を20増やすほうがいいじゃないか」と考えるようになっていったのです。
 
 まあ、こう考えるようになっちゃうと思春期の頃みたくギラギラと自己成長だの自己実現だのを語っていられなくなっちゃいますよね。自分に100万円と1000時間割り当てるより、子どもに100万円と1000時間割り当てるほうが20倍ぐらい成長するとわかっている分野なんかだと、自分の成長に拘るより子どもの成長にリソースを割いたほうが今の私は幸福に感じられるわけです。もう、私の自意識やアイデンティティは私だけのものではなく、家族のものであり、部分的には、自分が所属する集団のものでもあります。
 
 もう私は、本当の意味で一人ではなく、この感覚によって真におじさんに至ったのだと思っています。
 
 「自分自身」というものへの拘りが弱まったぶん、自分自身のゲームの腕前を向上させたいとか、自分自身の衣服にお金をかけたいとかいった気持ちも、少しばかり弱くなったと感じます。今なら、世のおとうさんがた・おかあさんがたがファッションに時間やお金を省略気味にする理由もわかるような気がします。自分の見栄えだけ立派にしたって、しようがないじゃないですか。
 
 もちろん私も自分自身の成長を諦めたわけではないし、向こう10年ほどかけて挑みたいプロジェクトを複数持っています。ブログをやめないのも、そうしたプロジェクトの一環でもありましょう。でも、私の人生の意味、人生の愉しみは自分だけのものではなくなってしまいました。いや、責任もです。この分野において、私は自由をいくらか捨てました。でも、自由とは違った何かを獲得したのだと思っています。
 
 

たぶん、「誰かを世話する」が鍵なんだと思う

 
 ちなみに、「自分自身のことが割とどうでも良くなった」「人生は、個人所有制のものではないんだ」的な心性は、子育てに限らず、誰かを世話し続けることで得られると思います。
 

「若作りうつ」社会 (講談社現代新書)

「若作りうつ」社会 (講談社現代新書)

 
 拙著『「若作りうつ」社会』のあとがきで、私はこんな事例を挙げました。

 私が生まれ育った地域社会には、子どもの世話を焼き、“町内のおっちゃん”として慕われている男性がいました。彼自身は子宝に恵まれない人でしたが、地域の子どもとよく関わり、その成長に多大な影響を与えていたと思います。また、私が研修医だった頃にも、子どもはもうけていないけれど歴代研修医の面倒を親身にみてくれる人達に出会い、「こういう風に年が取れたら素敵だな」と思ったものです。

 
 ロールモデルとして憧れたおじさん・おばさんのなかには、実子を育てていない人が少なからずいました。しかし、彼らの自意識やアイデンティティが自分自身で閉じていたとはみえません。あきらかに彼らは年少者にも(多かれ少なかれ)心を砕いていて、教え育むことに時間や情熱を費やし、成長を喜んでくれる人達でした。結婚や子育てが決定的な分岐点ではないのです。
 
 もう少し、拙著を引用します。

 そうした年長者達が、実際にどのような思いを抱えながら年少者の世話を焼き、面倒をみてくれていたのか、私には知るよしもありません。ただ間違いないのは、家族だけでなく、そうした人達がロールモデルを提供してくれたからこそ現在の私がここにある、ということです。

 
 世の中には、結婚したくてもできなかった人や、子どもをもうけたかったけれどもできなかった人がたくさんいます。そうした人達が年少者の世話をみる背景に、複雑な心境や事情が潜んでいることもあるでしょう。けれども、そうした人達が年少者の成長を喜んでくれる時の微笑や、私達年少者がなしとげた成長は、実際に起こったことなのです。だから私は、子育てが鍵なのでなく、「誰かに心を砕き、世話し続ける」のほうが鍵なのだと確信しています。
 
 もし、おじさん・おばさんに憧れを感じつつも、自分自身の自意識とアイデンティティに拘り続けている人がいたら、
 
 ・自分ではない誰かに心の重心・アイデンティティの重心をずらしてみる(家族でもいいし、親しい人でもいい)
 ・誰かに心を砕き、世話し続ける
 
 あたりが、おにいさん・おねえさんの心からおじさん・おばさんの心への脱皮を促してくれるのでは?と疑ってみてください。
 
 どちらも決して楽ではなく、引き受けられない人もいるかもしれません*1。あるいは十代二十代の頃には引き受ける準備が出来ていなくて、三十代四十代以降にようやく引き受けられる、という場合もあるでしょう。誰かに親身になり続けるということは、泣き止まない赤子をおぶって深夜の住宅街を歩き続けること、後輩や部下に経験を積ませながらも何かあったら責任を被ること、にも通じています。
 
 それでも、「年少者のための辛さ」を引き受けたうえでの年少者の成長に対する感慨に、おじさん・おばさんならではの喜びがあらわれるのではないでしょうか。
 
 昭和時代のおじさん・おばさんは、子育てのために骨折りして、現在の三十代や四十代よりも早く老け、五十代にはほとんどシワクチャになっていました。でも、ああいうのを醜いと言うのは筋違いで、美しいとまではいかなくても、身体に刻まれた年輪は勲章のようだし、そこに威厳が感じられることすらあるように思います。
 
 私は、自分自身の余命が年下の誰かの成長に費やされるのも、それはそれでいいんじゃないか、と現在は考えています。それこそが思春期の限界を突破し壮年期を活性化するためのブレイクスルーではないでしょうか。そして自分自身という名の現代社会の呪縛を緩和するための処方箋ではないかとも、私は考えています。
 

*1:引き受けられない人には、また別の人生の課題が課せられるのでしょう。そちらもそちらで、全力で立ち向かわなければならないものと推察します