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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

萌えおこしフォーエバー

 
 用事があって、久しぶりに隣町の役場に出かけてみたら、見たことのない、ふにゃふにゃとしたアニメ柄キャラクターが微笑んでいた。思わず舌打ちしたくなる。帰りに道の駅に寄ってみると、ここにもアニメ柄キャラクターのポップアップが。どこにでもありそうなデザイン。安易な命名。陳腐としか言いようがない。「今更、なにやってんの?」という言葉が出そうになる。そんな私の胸中など意にも介さず、キャラクター達はぬるい笑顔をふりまいている――。
 
 

  • 萌えおこしがシーン足り得た時代

 
 かつて、町興しに二次元美少女が起用された時代があった。「二次元美少女」と書いてみて、思わず吹き出してしまう。いまどき、アニメ柄の女性キャラクターを「二次元美少女」と呼ぶ人はどれぐらいいるだろうか。
 
 町興しにアニメキャラクターのたぐいを起用するのが「冒険」や「実験」に近かった頃、「萌えおこし」は一種のギャンブルだったが、うまくいけば効果的だった。『らき☆すた』は大変上手くいったし、その余波は現在まで残っている。
 
 その後も、あれこれの「萌えおこし」や「聖地巡礼」は成功例を生んできた。『花咲くいろは』や『ガルパン』などもその部類に入るだろう。それはいい。
 
 しかし、それからどうなったかというと、そこらじゅうの地方自治体にアニメキャラクターや、アニメキャラクターモドキがはびこる事態が生じてしまったのだった。
 
 ついでに言うと、「ゆるキャラ」についてもそうだ。
 
 ひこにゃんせんとくんは偉大だった。しかし、それに追従した凡百のゆるキャラ達はどうだったか。
 
 独創より模倣に基づいたゆるキャラ、冒険より定番としての美少女/美少年キャラクターが全国の地方自治体にはびこるようになってしまった。
 
 それらが「冒険」や「実験」だった頃、数々の障壁を乗り越えて萌えおこしをやってのけた商店街や自治体は御立派だとしかいいようがない。それらが輝いていたのは、時節の先を行く独創性とチャレンジ精神、用いるキャラクターや作品に対する配慮やリスペクトがあればこその話だ。
 
 だが、レイトマジョリティよろしくグズグズと、もはや陳腐としかいいようのない萌えおこしはどうか!吐いて捨てるほど増殖した、あの焦点の定まらない二次元絵。「どうせこんなのがいいんでしょ」的安易。どうしようもない。
 
 

  • 萌えおこしよ、永遠に

 
 してみれば、“シーンとしての”萌えおこしは終わってしまったわけだ*1。萌えおこしという言葉に先進性が宿っていた一時代は、既に過去ログでしか閲覧できない。もしも歴史家がオタク年表的をつくったとしたら、「萌えおこしがブーム」と書かれる時代は、2005年頃~2012年頃、せいぜい2013年頃までになると予測される。そこから先は、もうブームではない。サブカルチャーとしての二次元美少女が、最も硬直したお役所や団体にまで普及した時点で、ブームとしての萌えおこしは終着駅に辿り付いた、と考えるのが筋だろう。
 
 それでも、鷲宮神社にオタクが殺到した時、確かに私は「聖地巡礼でかがみんと一緒」と思っていた。その記憶は偽りざるもので、歴史として消え去るものではない。また将来、聖地巡礼が新たな趣向を伴って現れた時にも、新しい興奮や喜びが生まれるのだろう。だから私は叫びたくなる。記憶に残る萌えおこしには栄光を!「どうせこんなのがいいんでしょ」な萌えおこしには死を!
 

*1:無論、これからもキャラクターと地域のタイアップは続くだろう――それが双方の利益に繋がると信じられる限りにおいて