私がはてな村村民として認められていないと思う3つの理由 - orangestarの雑記
なんか、私の手許にジグソーパズルのピースが揃ってしまったので、『はてな村奇譚』が果たした歴史的役割について一村民として意見を述べます。興味のある人だけ読んでやってください。
- 作者: 小島アジコ
- 発売日: 2015/08/20
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私が新参だった、十年前の「はてな村」の記憶からお話しましょう。
もともと私はウェブサイトでオタクの社会適応について文章を書いていましたが、はてなブックマークが実装された2005年頃から「はてな村」方面から批判されるようになりました。「非モテ vs 脱オタ」論争に巻き込まれていったわけですね。
次々に襲来する「はてな村」の村民達*1。私には彼らが獰猛にみえました。しかし彼らとて一枚岩ではなく、互いにトラックバックを打ち合って戦い、それが面白い議論になったり、弁証法的に止揚したりするのも見知って、ちょっと面白いかなと思ってはてなダイアリーを書き始めたのが十年前のことです。
で、十年前の私は、ブログという(ウェブサイトより気軽に更新できる)メディアと「はてな村」の雰囲気にやられてしまって、砲弾のごとく飛び交う [はいはいワロスワロス] [これはひどい] [ぶっ転がすぞ] といったレトリックにも慣れていきました。
十年前の「はてな村」――正確には“私を取り囲み、観測できる範囲の「はてな村」”――は修羅の国でした。
隙を見せたら叩かれる!
隙を見かけたら叩くべきだ!
弱き者は地獄へ落ちろ!
優勝劣敗はブログの常!
私は「はてな村」の修羅の理やルールを内面化していっただけでなく、脱オタ論者の一人として、非モテ論者と日常的に砲火を交えていました。降りかかる火の粉は払いのけなければならない。いや、やられる前にやれ!迂闊な発言には突撃トラックバックあるのみ!適性もあったんでしょうね、私は「典型的なはてな村民」として成長していきました。気がつけば「はてな村」の理やルールを司る側にすらなっていたかもしれません。
で、先日、fujiponさんから以下のような文章を頂きました。
いま、僕が「インターネット」について語っておきたいこと - いつか電池がきれるまで
私はこの文章を読み、ハッと気づいて「申し訳ない」という気持ちになりました。そして『ヨーロッパユニバーサリス3』の比喩を使っていたおかげで理解できた事がありました。
私は「はてな村」の村民として、清く正しく村民をやろうと思っていました。攻撃には攻撃を。隙あらば打擲を。それを行い、行われるのがあるべき率直なインターネットの姿だと思っていたふしがあります。『喪男道』から喧嘩を売られ、『益田ラヂヲ』のヒットリスト名簿に登録されていた私としては、修羅として生きるのがいかにも正しく思えたのです*2。
でも、それは「はてな村」の理を内面化している者同士でしか正当化されないし肯定もされないローカルルールだったんですね。
はてなダイアリーを使用している全ユーザーが「はてな村」の理やルールを理解しているわけでもない。納得しているわけでもない。彼らからみれば、往時の「はてな村」の理やルールは受け入れられるものではなかったはずです。fujiponさんは「はてな村」の村民意識を持っていなかったから、たぶんそれがよく見えていたのでしょう。
でも、修羅に囲まれ、自らも修羅となって生存競争を繰り広げていた私にはそれがわかりませんでした。fujiponさんは、「はてな村」周辺のインターネット作法を批判していました。私は模範的な「はてな村民」だったから、その批判をナンセンスと受け取りました。“何言ってるんだよ、だけど俺は「はてな村」の理を守って行動してるぜ!”みたいに。
でも、「はてな村民」として百点満点の振る舞いでも、村外のユーザーからみて百点満点とは限りません。
『ヨーロッパユニバーサリス』的な喩えを許していただくなら――カトリック教国の理やルールは、カトリック教国同士で争う際には機能し、お互い納得できるかもしれない。でも、東方教会の国やイスラムの国からみれば、それは「カトリック教国の内輪ルール」でしかありません。また、カトリック教国同士が戦いに明け暮れているとしても、たまたま複数のカトリック教国に矛先を向けられた東方教会の国は、「あいつらがグルでやって来る」「あいつらのルールが押し付けられている」と認識し、憤慨するでしょう。
fujiponさんの立ち位置から眺めていた「はてな村」は、この喩えのカトリック教国みたいなものだったのかもしれない。“連中は、連中独自の凶暴なルールに基づいて内輪で殺し合いをやっている。そのうえ、奴らのルールをこちらに押し付けて襲撃してくる”と。
当時の「はてな村」の理とルールに染まっていた私には、それがわかりにくかった――「どうして「はてな村」に批判的なアカウントは、私達を批判するの?」「ほら、ちゃんと村のロジックどおりに行動してるでしょ?」
今にしてみれば、阿呆な話ですね。ちょうどこの頃、評論家の宇野常寛さんからも「シロクマさん、はてな村になんかいちゃダメだ。村の外に出ましょうよ」的なアドバイスを頂いたことがありましたが、「はてな村」に染まっていない宇野さんにも、そのあたりがよく見えていたのでしょう。
でも、「はてな村」に馴染み過ぎていた当時の私には、それが理解できませんでした。こうやって時間が経ってfujiponさんに指摘され、ああ、自分は修羅だったんだなと思い返し、少なくとも「はてな村」の理を内面化していない人にまで「はてな村」の理を押し付け、同じ感覚でdisを飛ばしていたことには、深い哀悼の意と反省を、ここに表明したいと思いました。さしあたって今眼前にいるfujiponさんには、往時はすみませんでした、と謝っておきます。
ちなみに、当時「はてな村」という語彙を非-否定的に使っていた人達・「はてな村」のロジックに則って私に挑んできた人達には、哀悼も反省も感じていないことは断っておきます。私が哀悼や反省を口にしたいのは、当時「はてな村」の外にいて、なおかつ「はてな村」的な修羅の理に否定的だった人達に対してだけのこと。同じ戦場・同じルールを奉じて舌戦を繰り広げた人達には「戦士よ、お前も俺も修羅だった。安らかに眠れ」と答えるのが筋じゃないかと考えています。
そういった殺伐とした「はてな村」がメジャーでキャッチ―なものになるわけがありません。(株)はてなとしては、なんとか「はてな村」を無毒化し、自社サービスの門戸を広げたいと考えていたことでしょう。「殺るか、殺られるか」みたいな村ルールを希釈するために(株)はてな内部でどんな会議が繰り広げられていたのかを思うと、笑っちゃうような、でも笑っちゃいけないような気持ちになってしまいます。
小島アジコさんと『はてな村奇譚』の“功績”
そんな、「はてな村」の修羅世界も、(株)はてなの尽力が実ってか、少しずつ薄まってきました。2010年ぐらいには大分マシになっていたと思うし、2013年には「はてな村」古参村民のウエイトは明らかに小さくなりました。
そういうタイミングで『はてな村奇譚』が連載されたのです。
『はてな村奇譚』を連載したのは、はてなダイアリー時代から「はてな村」を知っている漫画家の小島アジコさんでした。こちらでネタ半分に表明されているように、彼は、決して「はてな村」の中枢にいたわけでもないし、修羅のルールを内面化していたバトラーでもありませんでした。でも、彼は「はてな村」を見つめていました。少なくとも、「はてな村」が視界にチラチラ入るポジションでインターネット生活を続けていたとは言えるでしょう。
そんなアジコさんが『はてな村奇譚』を書いたことで、「はてな村」と村ルールは変わりました。そういって語弊があるなら「はてな村」の転機を象徴する作品になった、と言い直すべきでしょうか。
『はてな村奇譚』が連載される前から「はてな村」は変わり始めていました。修羅のルールどおりに行動しているブロガーやブックマーカーは少数派に転じ、そうではないブロガーやブックマーカーが増えていました。忌まわしくも野蛮な「はてな村」のイメージも少しずつ変化し、ガチで危険な「はてな村」イメージと、ネタ的に語られる「はてな村」イメージが交錯していたのが2012〜2013年頃。
そうしたプロセスが進行している最中に、『はてな村奇譚』が著され、新旧のブロガーやブックマーカーが一堂に会したわけです。しかも作者は「はてな村」の歴史をある程度知っている古参でありながら、「はてな村」のルールと一定の距離を置き、修羅道に堕ちていなかった小島アジコさん。奇譚をまとめるにあたって適任者だったと思います。
この『はてな村奇譚』によって達成された功績は少なくとも3つあります。
ひとつは「はてな村」というワードの拡散。『はてな村奇譚』がどこまで事実どおりかはともかく、作品をとおして「はてな村」というワードに改めて注目が集まりました。これは村貢献度の高い功績だったと言わざるを得ません。“やっぱり「はてな村」はあったんだ!”
ふたつは「はてな村」の新旧のプレイヤーの交歓と、村民定義ずらし。『はてな村奇譚』は古い修羅ばかり紹介した作品ではなく、新時代のはてなブロガーも多数紹介しました。また、古くから活躍していた修羅道に染まらないアカウントをも『はてな村奇譚』の物語に登場させていました。これにより、作中の「はてな村」は古臭い修羅の国ではなく、もっと広い世界として描かれていました。
みっつめは「はてな村」の殺伐としたエッセンスをもコンテンツとして昇華したこと。村民同士のバトル描写などが好例ですね。「なんか異様なことをやっている、でも、まあ楽しそうにやっているし終わりには蘇生してるじゃないか!」あの湯加減というか、作品全体に籠る暖かい(または生暖かい)目線によって、多くのものが救われたと思います。
『はてな村奇譚』は「はてな村」の正史とは言い切れない要素を含んではいます。そのかわり、もっと開放的で、もっと可能性に溢れた、新しいユーザーが憧れても構わないような「はてな村」イメージを普及させる起爆剤になったと思うんですよ。
だから私は、『はてな村奇譚』と小島アジコさんは、今日の刷新された「はてな村」イメージを推進した立役者だと思っています。今、はてなブログに新規参入してくるブロガーが「はてな村」という単語をカジュアルかつポジティブに使用するようになったのも、(株)はてなの生存戦略と喧嘩しないかたちで「はてな村」というワードが生き残る余地が生じたのも、この作品による影響が大きいんじゃないかと思います。
「逝け、過去の「はてな村」!忌まわしい記憶とともに!」
もちろん『はてな村奇譚』の普及によって喪失に拍車がかかったものもあります。
はてな村のコンテクストは、深くて冷たいダムの底 - あざなえるなわのごとし
「美しいはてな」「はてなを取り戻す」でメンヘラやモヒカンは消される - はてな村定点観測所
今、「はてな村」というワードの語感からは、いろんな意味や文脈が失われようとしています。
でも、fujiponさんの文章を読んだ後、私はそれでもいいのかなと思うようになりました。かつての殺伐としていた「はてな村」の理なんて、新たにブログを始めるような人には邪魔だろうし、それで幸せになれるのは完全武装した一握りの村民だけです。インターネットも(株)はてなも変わったのだとしたら、歴史はともかく、敷居の高い殺伐とした村ルールはもう要らないのかなと。
「はてな村」のコンテキスト(の一部)は、ダムの底に沈んでしまって構わない。
修羅を前提とした「はてな村」の理やルールも、希釈されて構わない。
そうやって「はてな村」という古い皮袋に、新しいワインが注ぎ直されていく。
いいんじゃないでしょうか。
現在のインターネットには、『はてな村奇譚』よりも残酷で殺伐とした圏域が存在しています。twitterとかね。戦いはこれで終わったわけじゃないし、未来のネットユーザーもまた揉め事に魂を奪われるのでしょう。でも、現在の「はてな村」というワードは、過去のソレよりは希望の持てるもので構わないのかもしれない――現在の私はそう思っています。