シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

ネットコミュニケーションで不適切に動機づけられる怖さ

 
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150521/k10010086671000.html
 
 ニコニコ生放送で連日目立とうと頑張っていた15歳の少年が、とうとう警察の御厄介になった。
 
 彼は再三注意を受け、ニコニコのアカウントも削除されていたが、「インターネットで目立ちたい」心理的な動機と「目立てばたくさん送金して貰える」経済的な動機にもとづいて騒動を繰り返していた。
 
 痛ましいのは、少年が15歳と未成年であること、母親も事態収拾にそれなり努力していたらしいことだ。そのあたりについては、以下のtogetter冒頭付近に記されている。
 
 [参考]:踊る子供、煽る大人-ドローン少年の逮捕とドローンを与えた大人の共犯関係- - Togetterまとめ
  
 本件は、本人が未成年で、“旬の”のドローンが関連し、投げ銭が経済的動機として強く働いているため、大きなニュース性を獲得した。そういう意味ではわかりやすい事件だったかもしれず、“ネット上の悪意のパトロン行為”について考える格好のサンプルだったのは間違いない。
 
 ただ、そういった要素を除外すれば、インターネットで繰り広げられている凡百の悲喜劇のひとつという印象を私は免れなかった。「こうやって、インターネットで不適切に動機づけられて人生をますます苦しくする人物なんて、幾らでもいるよね……」的な。
 
 ネット上で不適切に動機づけられた挙げ句、言動がエスカレートし、もともと厳しかった人生をより一層厳しくしてしまうような類例は後を絶たない。ニコニコ生放送だけでなく、twitterにもブログにもそういう犠牲者はいる。世間をお騒がせするほどの人々は、氷山の一角でしかない。
 
 承認欲求やらアフィリエイト収入やらに心奪われ、肝心なことは何ひとつできず、間違ったことばかり経験し続ける人達は、彼のことを嘲笑してはいけないと思う。そうでなくても、インターネット上で心理的/経済的な動機づけに踊らされた結果、どこかの誰かを太らせて、自分自身をただ追い詰め続けているようなストーリーは全く珍しくないではないか!ネットユーザーは誰しも、いつの間にか・誰かによって・あるいはネットサービスによって、わけのわからないモチベーションに引っ張られて無意識のうちにディスプレイを凝視しがちだ。果たして、ディスプレイを必死でなでる私達をモチベートしているのは、どこまで自分で、どこから他人なのか?
 
 もちろんネットユーザーの大半はくだんの少年ほど判断力が乏しくないだろうし、経済事情や心理事情も貧しくは無いだろう。それはいい。だが、人間の判断力は意外と簡単に曇ってしまうし、長続きする経済的/心理的困窮は、たやすく人間を欲求の奴隷にしてしまう。
 
 私は、本件の際立った特徴に注目するより、インターネット上のどこにでも転がっていそうな陳腐な側面に心奪われて、戦慄せずにはいられなかった。
 
 私達は、絶えずネット越しに誰かに働きかけられ、動機づけられている社会で暮らしている。誰かに(それとも“みんな”に?)いつの間にか動機づけられて人生を破滅させるリスクは、分別を欠いた未成年だけのものではない。心理的に深手を負った時や年を取って認知症になりかけた時にも、容赦なく私達に襲いかかるだろう。いや、“弱り目に祟り目”のたぐいはこれまでのインターネット観察でも十分過ぎるほど見かけているわけで、厳しい境遇に置かれれば、案外多くの人がインターネット上の誰かに踊らされてしまうかもしれないと思う。
 
 しかも、そうした不適切な動機づけの背景に悪意があるとは限らない、のが恐ろしい。もちろん悪意をもって相手を破滅させようと企む人もいるし、そうした人々が厄介なのは言うまでもない。だが、そういうハッキリとした“悪者”が介在しない場合でも、ただネットで注目を集めているだけで判断力やモチベーションが狂ってしまって自滅する人も少なくない。悪意が無くても、ただ注目が集まるだけで、人間は自分自身の操縦が難しくなってしまう。
 
 ところがインターネットはそうした難しさに常に開かれていて、ユーザーの判断力を24時間365日試し続けている。だから、不適切に動機づけられる耐性が無い人はどんどん操られて、どんどん搾取されて、どんどん自分自身を貶めていく。当たり前といえば当たり前なのだが、こういう事件をきっかけに振り返ってみると、その当たり前がとても恐ろしい。アルコールが入っている時、やさぐれている時、私はネットに操られないように振る舞えるだろうか?
 
 「いやいや、そんな時にはネットをやるべきではないよ」と言う人もいるかもしれない。ええ、ええ、わかっていますとも!だが、これまでネットユーザー達の破滅をみてきて私が思うのは、余裕が無い人間や不安な人間のほうが、落ち着いている人間よりもインターネットを我慢しにくく、ネット上で誰かに操られたり悪手を連発したりしやすい、ということだ。誰かがインターネットを取り上げてくれるならともかく、自分の意志力だけでインターネットをシャットダウンするのは相当難しい。意志力や判断力を、大いに試されるだろう。
 
 インターネットは時間や場所に制約されないコミュニケーションをもたらしてくれた。それは大きな喜びでもあり、大きな可能性でもあった。けれども、可能性とは自分だけに開かれたものではないし、良い方向だけに開かれたものでもない。強者のための草刈り場は、弱者にとっては狩られる場でもある。私は、あなたは、今、どんな欲求に動かされてインターネットしているだろうか?その動機はどこまでが自分のもので、どこから他人に植え付けられたものだろうか?