シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

前途有望なブログを炎上の高速道路に連れ込みたくない

 
 ここ1〜2年の間にも、面白く尖ったブログやアカウントをたくさん発見した。それらは自分より若い人によって書かれ、まだそれほどアクセスが集中していないものばかりだ。ブログから発せられる鋭気を眺めているだけでも、たいへんな刺激になる。
 
 ただ、そうした刺激に満ちたブログを見かけた時、喜んではてなブックマークしたり、twitterで紹介したりするかというと……最近はそういう事をしなくなった。たかだか私一人がブックマークしたりtwitterで書いたりしたところで影響は少ないとしても、私のはてなブックマークをお気に入り登録している人や私のtwitterアカウントをフォローしている人のなかには情報キュレーター的な人が混じっているので、そういった人達を刺激し炎上を招いてしまったら面白くないからだ。
 
 ここ数年、インターネットの行儀作法は穏便で生徒会的な方向に変化し続けてきた。それで良かったところもある反面、若々しい自意識を隠せないようなブログやアカウントは目立たなくなってきた。“犯罪自慢”的な尖り方は論外としても、野心や主張の鋭い、荒削りなブログでさえ、人目に晒されて消滅したり萎縮したりする。炎上、あるいはプチ炎上ぐらいのインシデントが、そうした貴重な若木を枯らしてしまうのはさびしい。
 
 「炎上のひとつやふたつで消えるなら、インターネット適性が無いのだ」と言い切る人もいるかもしれない。2015年のインターネットとは、そういうものだろう。しかし、そのようなインターネットだからこそ、炎上しても平然と更新している人達は面の皮が厚いというか、どこか偏ったブログやtwitterアカウントばかりがのうのうと繁栄している。私としては、そういう面の皮の厚い、炎上耐性の高いブログやアカウントなら間に合っているのだ。それと、若いのに自意識に白粉を塗って利口に澄ましてみせる、そういうタイプももう十分! ……そうじゃなくて、ある種の繊細さを内包し、それでいて尖り具合を隠せないような、アンバランスなブログやアカウントが面白いのである。
 
 

炎上の高速道路に“紹介する”功罪

 
 念のため断っておくと、ここまで書いた“紹介”とは悪意にもとづいたものではなく、「このブログは面白いよ!」「この尖り具合は好きだよ!」といった好意にもとづいたものを指す。しかし、どれだけ好意的にブックマークやツイートで紹介しても、ふさわしい結果がもたらされるとは限らない。自分としては好意的に紹介したブログに、悪意が集中することもあるのがはてなブックマークやtwitterの恐ろしいところだ。
 
 [関連]:はてなブックマークの世間にもたらす影響力がすごい - 踊るバイエイターの敗者復活戦
 
 リンク先にあるように、はてなブックマークやtwitterも、集まればそれなりの影響力になり得る。ただし、そうやって人目が集まれば、そのぶん炎上愛好家や正義愛好家の目にも留まりやすくなる。それは本当に善いことなのか?それとも傍迷惑なことなのか?
 
 私は、インターネットには炎上の高速道路みたいなものがあると想定している。「ここに乗ってしまうと、炎上しやすくなる地獄のハイウェイ」である。片道切符なので、一度乗ってしまったら簡単には降りられない。炎上の高速道路に乗ってしまった人は簡単に炎上するし、二度も三度も炎上する。PVを稼ぐには適しているが、正気度を試されるのは避けられない。
 
 いわゆる“炎上商売”をやっている人達なら、そうした炎上の高速道路も大歓迎なはずで、例えばイケダハヤトさんやちきりんさんなどは、そうした炎上の高速道路を疾走し続けるアカウントと言える。しかし、はじめから炎上上等でブログやtwitterをやっている人はそれほど多くないし、やるべきでもない。
 
 私が親しみを感じているはてなブックマーカーやtwitterアカウントには、そうした炎上の高速道路への一里塚のような人がウヨウヨしているから、彼らの御眼鏡にかなってしまったブログやtwitterは、高い確率で炎上の高速道路に連れ込まれてしまうだろう――あの、炎上周辺にたびたび姿をみせるブックマーカーやtwitter好事家にマークされてしまったら、アクセス数が増える代償として、炎に呑まれる確率も跳ね上がってしまうに違いない。若芽のごとく繊細で、柊のように尖った、前途有望な自意識を、そのような炎の洗礼に曝してしまったら……なんと恐ろしいことだろう!
 
 今日のインターネットの傾向は私の一存でどうにかなるものではないので、結局、そのような繊細なブログやアカウントは人目に晒され、もみくちゃにされていくのが定めかもしれない。だとしても私個人としては、宝石箱を眺めるような気持ちで見守り、できるだけ楽しんでいきたいと思う。