シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

朝のゲーセン。

 
 
 私は朝のゲーセンが好きだ。
 
 誰もいない店内は、プラスチックや電子機器の匂いに満ちている。昼間や夕方のゲーセンには煙草の匂いが漂っていて、なにより人間の匂いがひどい。ところが朝のゲーセンはそうした世俗の垢が抜け落ち、どこか超然としている。誰のために、何のために起動しているのか判然としない無人のゲームマシン。それがずらりと並んでいるさまが美しい。
 
 音もいい。昼や夜のゲーセンはうるさい場所で、騒音性難聴の心配をしたくなる。しかし朝一番のゲーセンは一部のゲーム機のデモンストレーションのほかは何も聞こえず、不思議と静かだ。唯一、自分が100円玉を入れて遊んでいるゲームの音だけが、ひときわ大きくクリアに聞こえる。朝のゲーセンでは、いつもなら聞き逃しそうな音も漏らさず聞き取れるし、普段ゲーセンに充満しているひとつひとつのゲームの音量が、いかに大きいものか実感することもできる。
 
 ゲーセンそれぞれの性質、曜日によって朝のゲーセンは姿を変える。
 
 常連の居ついているマニア系ゲーセン*1の朝、特に土日の朝は、ひとり、ふたりと常連客がやってきて談笑する声、店員と言葉を交わす声ではじまる。長く賑やかな時間がこれからやってくるぞという気配が漂っていて、これはこれで良い。自分より二回りほど若いプレイヤーが、朝の十時から弾幕シューティングゲームの修練に励んでいる姿を見るのも喜ばしい――まだ、私が愛する弾幕文化は死滅してはいないのだ――。
 
 ところが同じゲーセンでも平日の朝は違っている。どこか気怠い。いや、単に夜勤明けでもなければ朝のゲーセンには行けないから、私が気怠いだけかもしれないが。しかし間違いなく言えるのは、平日のゲーセンには話し声が存在しないことだ。働く恰好をしている者もいれば、そうでない者もいる。ともかくも彼らは黙々とゲームと向き合っていて、馴れ合うところがない。これもこれで捨てがたい。
 
 ラウンドワンのようなアミューズメント系施設の朝は、また雰囲気が違っている。午前八時ぐらいから比較的高齢な常連客が、メダルゲームなどに興じている。いわゆる「若者が集うゲーセン」と一線を画した風景で、なおかつ、パチンコ屋ともまた微妙に雰囲気や客層が違っている。ゲームセンターという業態そのものが廃れつつある今日、高齢者の集う朝のゲーセンの風景とは、救いを示すものなのか、それとも終幕に相応しいものなのか。
 
 ゲーセンが賑わうのは言うまでもなく昼や夕方で、そっちのほうが「真の姿」なのだろう。だからこそ朝のゲーセンには朝にしかみられない趣があり、この魅力がどうにも捨てがたい。そうでなくても、ごく単純に目当てのゲームを誰にも邪魔されずに遊ぶには適しているわけで、私は朝にゲーセンに行きたくなる。最近はだんだん忙しくなってしまって、なかなかそうもいかなくなっているけれども。
 

*1:もちろんここでいうマニアとは、しり上がりにアクセントを置いて発音すべきである