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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

“ちきりんブロック”も案外悪くないのかも

 
 ちきりんは、なぜ嫌われる? - あざなえるなわのごとし
 ちきりんは何故これほどまで必死なのか - クソログ
 
 最近立て続けにブロガー・ちきりん氏についての考察を見かけた。ちきりん氏の本心を読み取ることはできないとしても、こうして、ちきりん氏について語られた周辺事象を眺め歩くのは興味深く、また(ネットウォッチ上の)参考になることだと思った。
 
 そういえば私も、最近、twitterでちきりん氏にブロックを食らっていてびっくりした。「ちきりんにブロックされるようになってtwitterは一人前」という表現をどこかで見かけたが、だとすれば、私もやっとtwitter一人前になったということか。少なくともここ二年程度、twitter上で悪口や批判を展開した記憶が無いだけに、氏は、私を先制ブロックした可能性が高い。「悪口や批判を言いそうなアカウントは先制ブロック」――それも、相当数をブロックするというのは、なかなか思い切ったことではある。そしてちょっとマメだ*1
 
 それはそうとして本題。
 
 この機にちきりん氏のインターネット戦術・ブロガー戦術を考え直してみて、ああいうのもそんなに悪く無いのかもしれない、と思い始めてきたので、それを書き留めておく。
 
 例えばとして、もし、私がちきりん氏と同じように、はてなブックマークを非表示にしてtwitterでも先制ブロックを決めまくったら、どうなるかシミュレートしてみると……案外、いけるような気がするのだ。
 
 もちろん私の場合は、そうしないだけの理由はある。はてなブックマーカーのなかには、私がとても好きなid・かなり好きなid・ちょっと好きなid・好きではないが発言を無視するのが勿体ないと感じるid が散在していて、私は彼らの言葉を頼りにしているからだ。
 
 twitterも同様だ。縁を結びたくない人間を先制ブロックすることはやぶさかではなくなったが、ちきりん氏ほど大規模な先制ブロックを決めると、どうしても他アカウントから知恵を借りる部分が弱くなってしまうと踏んでいる。そんな事をしたら、私のネットライフは面白くなくなるだろう。
 
 しかし、かりにこうした事情を私が持ち合わせていない場合――ネットユーザーを交友や情報摂取の対象とみなさない場合――には、“ちきりんブロック”は意外といけるというか、失うものが少ないような気もするのだ。少なくとも、書籍を何冊か出版した後の私の立ち位置から“ちきりんブロック”を鑑みると、ネットに何も期待しない限りにおいて“ちきりんブロック”は合理性の高いもののようにみえる。
 
 じゃあ、“ちきりんブロック”の何が良いのかというのは、私は秘密にしておきたい。もちろん、粘着アカウントの相手をするコストを省くだとか、批判が殺到している状況をコントロールするだとか、そういう部分だけが優れていると言いたいわけでもない。それ以外にも、なんとなくだが……途方も無いメリットを読み落としているように私には思えるのだ。
 
 ここでいう「途方も無いメリット」は、ちきりん氏ぐらいの知名度を獲得した時にしか体感しにくく、現在の私には“たぶん、そうなんじゃないか”と類推しはじめたばかりのものでしかない。ひょっとしたら、私が勘違いしているだけかもしれない。だが、将来もし、私の知名度がちきりん氏ぐらいになって、私がもう少しちきりん氏寄りなブログ記事を書き、他のネットユーザーとの交流を意識していないとしたら……“ちきりんブロック”は巷で言われている以上に妥当性のあるブログ作法のような気がしてならない……“勘”がそうだと告げているのだ。
 
 私はちきりん氏のブログ記事が好きでは無いし、スタイルも好きでは無い。どことなく読者を小馬鹿にしているような気すらする。ただ、氏自身が愚かな人間だとは思えないし、パフォーマーとして優秀なのは間違い無い。だから肩を持つというわけでもないけど、少なくとも、エモーショナルな動機を主たる原因として、非表示だのブロックだのを決め込むほどアンポンタンな人物ではないような気がする。ちきりん氏って、そこまでチョロいタマでもないでしょう。
 
 いずれにせよ、ちきりん氏の行動決定の背景を読み取るヒントは限られているだけに、あれこれ考えながら他人の類推を読むと夢が広がりますね。個人的には、氏のブログ記事よりよほど面白い。これからも興味深い記事をみつけたらスクラップブックにおさめておこう。
 

*1:使用人にブロックを任せている可能性は……あるかな?