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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

ネットコミュニケーションが変わっても、「私」はあまり変わらなかった

 
 はてなの人たちにリクエスト
 
 リンク先の筆者へのお返事として。
 
 
 1.私も、この数十年間で一番インパクトのある社会変化は情報通信分野と、それに伴うコミュニケーションの変化だと思う。
 
 「情報がタイムラグゼロで伝達できること」「相手が目の前にいなくても情報交換できること」そのものは、電信電話や無線通信の発明以来のもので、「不特定多数とのコミュニケーション可能性」という点ではアマチュア無線が存在していた。そういう意味では、20世紀末から起こった“情報革命”は既存の技術の延長線上に顕れたものであって、無から有が生まれたわけではない。
 
 でも、携帯電話やインターネットが全国津々浦々で使用できるようになり、実際誰もが使用するようになった時、コミュニケーションはガラリと変わった。例えば、クラスメートの一人や二人がアマチュア無線を始めたとしても、クラスのコミュニケーションは変わらない。けれどもクラスメート全員が携帯電話やスマホを持ち、メアドを交換したりLINEを始めたりすれば大きく変質せざるを得ない。伴って、思春期の人間関係や人格成長もなんらかの修飾を受けずにはいられない。
  
 無線通信は、(軍隊や政府のような)一部の人間が使い始めただけも人間社会を変えるものだったけれども、全部の人間に(使いやすいかたちで)普及したことで、また違った影響を及ぼしはじめた。都市/郊外の構造などもそうだけど、世の中には「社会の大半に普及してはじめて新しい影響を与え始める」構造物ってのがあるわけで、無線通信もそのひとつだった。いや、インターネット通信網と呼ぶべきか。今日のスマホやSNSの利用状況は有史以来あり得なかったものだ。巨大な情報網が社会のすみずみまで覆い尽くして、その情報網のなかで誰もがインプット/アウトプットを行っている。
 
 
 2.以前、「いいね!」時代の繋がり―Webで心は充たせるか?― エレファントブックス新書を出版するための下準備としてポケベル〜iモード時代の情報通信について書籍を漁っていたことがあった。このとき驚いたのは、今日、ネットやスマホについて言われている事とだいたい同じような議論が1990年代にもキチンと行われていたってことだ。
 
 当時はFacebook疲れもLINE疲れも無かった。しかしメール疲れやメール依存はあったし、不特定多数と繋がってしまうリスクについても(援助交際時代ということもあって)十分に認識もされていた――観ている人はきちんと観て、考えている人はきちんと考えていたのだ。例えば、以下の本にはそうした議論の痕跡が残されている。
 

ポケベル・ケータイ主義!

ポケベル・ケータイ主義!

 
 こうした議論とケータイの普及経緯を思い出すと、私は、現代人のコミュニケーションを変質させた張本人はPCやスマホを用いるようなインターネットでも、まして2ちゃんねるやSNSでもなく、携帯電話――現在の呼び名で言うならガラケー――のほうだと言いたくなる。スマホやSNSが爆発的に普及する前段階として、携帯電話とメール(および、着信音や写メも含めた諸機能)は既に普及し尽くしていた。
 
 通勤電車の風景を思い出してみて欲しい。学生やサラリーマンが小さな画面に目を落とし、カチカチやるようになったのは一体何時頃からだっただろうか?欧米はさておいて、日本では2000年代前半には皆がガラケーを握ってカチカチやり始めていたわけで、スマホやSNSが脚光を浴びる前からガラケーやiモードがコミュニケーションを変えていた。少なくとも、“スマホやSNSの登場を準備していた”ぐらいは言っても罰が当たらないだろう。
 
 もちろんそれ以前からパソコン通信やインターネットに入り浸っていた人達は存在していたし、質や量を度外視するならアマチュア無線も無視できない。けれども「社会の大半に普及してはじめて新しい影響を与え始める」ほどのマスボリュームをこしらえたという意味では、携帯電話やiモードのほうがインパクトは大きい。オンラインとオフラインの境界が曖昧な利用法を普及させた点や、モバイルでリアルタイムな通信を普及させた点でも、これらは画期的だった。距離や時間を問わず情報をやりとりするコミュニケーションが、不特定多数との間でも親しい友人との間でも行われるようになった90年代後半〜00年代前半のあの時期に、多感な年頃を迎え、なんら抵抗も無く人間関係に適用していった人達こそが、(精神面における)デジタルネイティブ世代の先駆けなのだと私は思う。
 
 で、
  

 というわけで、通信媒体に関する「以前」「以後」について、個人的な経験を通して語ってください。ポケベルでもケータイでもネットでもなんでもいいです。こうしたツールはコミュニケーションに関して一定の影響力があったはずなんですけど、俺からはそれがよく見えんのですよ。だから人の書いたもんを読みたいのです。シロクマせんせ、いっちょどうでしょう。

http://anond.hatelabo.jp/20150211020227

 
 と書かれているので、これにかこつけて私自身のことを書いてみる。
 
 
 3.とはいえ、リンク先の筆者のご期待にそえるようなものは書ける気がしない。なぜならリンク先の筆者と私は世代的にも近く、インターネットをやり込んでいたとはいっても、ポケベル/ケータイ文化圏のそれではなく、オタクと研究者の別天地だったインターネット文化圏のそれだったのだから。
 
 私の二十代はゲーセン色に染まっていて、たむろしていた同世代の“常連”はコミュニケーションのアーリーアダプターでもスペシャリストでもなかった。私が携帯電話を使い始めたのも98年ぐらいで、それまでの通信手段といえば固定電話、あとはせいぜいゲーセンノート的なものだった。そもそもアーケードゲーマーはゲーセンを社交場としているわけで、ゲーセンに行けばだいたい誰かがいて、その日いた仲間や知人がその日のコミュニケーションの相手なのだ。
 
 果たして、「ゲーセン=社交場 →よって携帯電話は必須ではない」だったのだろうか?断定はできないが、それを示唆する統計結果ならみたことがある。アーケードゲーム雑誌『アルカディア』で2001年頃に掲載されていた読者アンケートによると、アーケードゲーマーの携帯電話普及率は同世代平均をかなり下回っていた。「『アルカディア』を買ってわざわざ読者アンケートに答える人達」という限定付きの話だが、自分自身がゲーセンで見聞していた風景とも矛盾していない*1。「わざわざ連絡を取って集合する」までもなく、行けば大抵誰かがいて、もし誰もいなくても構わない――それがコミュニティとしてのゲーセンの間合いというか雰囲気だったわけで、急いで携帯電話を手に入れなければならない理由が(当時の)アーケードゲーマーには乏しかったかもしれない。
 
 他方、インターネットの影響はゲーセンにも押し寄せつつあった。
 
 それまで、ゲーセンのゲーム攻略情報といえば『ゲーメスト』や後の『アルカディア』のような雑誌媒体が中心で、掲載スピードは現場のプレイヤーに比べて遅めだった。これに加え、よそのゲーセンとの遠征交流やコミケ等での攻略ビデオ頒布などが貴重な情報源になっていた。niftyのアーケードゲームフォーラムを調べる手もあったけれども、常連でパソコン通信をやっている人は少数派だった。
 
 ところが90年代の終わり頃、それこそ弾幕シューティングゲームが台頭してきたあたりからインターネットにも徐々に情報が出回るようになった。特にインパクトがあったのは動画だ。短い再生時間の粗悪な画質でも、あるのと無いのでは大違いで、これはnifty時代にはまず期待できないものだった。ほとんど face to face なコミュニケーションを介していたアーケードゲームの情報交換が、不特定多数同士で・匿名のうちにも行われるようになったわけだ。ちょうど2ちゃんねる(や同類の掲示板)に馴染み始めたばかりだったこともあって、私は、自分が不思議なコミュニケーションをやっていると感じたものだった。
 
 インターネットに没頭し始めた当時の私は、インターネットを介して莫大な情報*2を吸収しつつあった。手間も暇もかかったしアップロードされている情報には偏りがあったけれども、掬いきれないほどの可能性と危険性が広がっていて、飽きることがなかった。メジャーかマイナーか、パブリックかアングラかの問題を抜きにすれば、それは間違いなく今日のインターネットと地続きな何かだった。と同時に、ポケベル/携帯電話文化圏の人々ともおそらく異質な*3、日常のコミュニケーションからも遠く離れた不夜城でもあった。
 
 “「わざわざ連絡を取り合って集合する」までもなく、行けば誰かがいて、もし誰もいなくても構わない”――考えようによっては、私がインターネットで実行していたコミュニケーションもまた、ゲーセン的だったのかもしれない。呼んだり呼び出されたりするまでもなく、同好の士が自然と集まっている空間。お互いの“事情”を詮索することなく、職業や文化や年齢のまちまちな人達が交流できる空間。インターネットにはゲーセンノートは無かったが、掲示板はあった。その掲示板の時の刻みも、テレホーダイという曖昧なルールによって、一部の廃人を除いてある程度決まっていた。あの頃、インターネットの花は11時以降に咲いていた。
 
 ここで書いたようなネットの空間/時間感覚は、現在の私にも意外と受け継がれている。当時と違ってSNS等を利用するようにもなったけれど、私は今でもインターネットに「行く」のは好きでもインターネットに「呼び出される」感覚は好きではない。私はインターネットに「繋ぎたい」のであってインターネットに「繋がれたくはない」のだ。私はインターネットに出かけていく感覚を大切にしたい(逆に言うと、出かけたくもない日には絶対に出かけていきたくない)のだろう。このことから逆算すると、実は私はインターネットが無くても平気なのかもしれず、インターネットがある時間とインターネットが無い時間の両方を求めている、ということになる。
 
 その点において、私は旧い時代の人間なんだろうなと思う。
 
 
 4.翻って、周囲の同世代のネットユースを眺めてみると、「旧い時代の人間」が圧倒的多数を占めているようにみえる。
 
 国道沿いの日常生活を共有している人達のネットユースも拡張はしている。それは確かだが、彼らのコミュニケーションのプロトコルや人間関係の繋ぎ方が激変したようにはみえない。メールや携帯、スマホやSNSが彼らのコミュニケーションに副次的に付け加わった。けれども本当に肝心なところはオフラインコミュニケーションで占められているか、せいぜい電話によって占められている。連絡手段の一としてメールやSNSやLINEの有用性を彼らはもちろん理解しているが、コミュニケーション全体に占める位置づけは軽い。たぶん彼らは、これまでのコミュニケーション形式や意識を捨てないのだろうし、ある日インターネットが使えなくなってもあまり堪えないのだと思う。当分は、そのような人達が社会の構成員として多数派を占め続ける。
 
 私自身もそうだけど、生活の空間がインターネット情報網に覆われる前に物心ついた人間は、本当の意味で“インターネット情報網ネイティブ”たりえないのではないだろうか。インターネットを面白がることはできるし、個々のネットサービスの有用性を認識することもできる、しかしインターネットが人間関係の根っこに食い込んでいるわけではなく、ネットコミュニケーションが意識に深く浸透しているわけでもない。インターネットにしか居場所の無い少数派はどうか知らないが、どこか、インターネット越しの情報を醒めた目で*4見ているところがある。
 
 じゃあ、物心ついた頃からインターネット情報網をコミュニケーションの手段として実用してきた人達にとってはどうなのか?
 
 クラスメートとの日常的なコミュニケーションをSNSやLINEでくり返し、うら若い一喜一憂を自意識に刻み込んできた人達においては、コミュニケーションの作法行儀としてインターネットの占める割合は大きかろう。たぶんだけど、
 
 ・畏まってダイヤルアップ接続し、未知の空間としてインターネットに入っていった世代と
 ・水道の蛇口をひねるようにスマホを撫で、テレビや新聞にSNS上のトラブルやメッセージが垂れ流される時代に育った世代
 
 では、インターネットの必須性もインターネットに対する意識も相当違っていて然るべきではある。
 
 ひいては、ネット上の揉め事や空気の読み合いに対する姿勢も、昭和生まれの人達とインターネット情報網ネイティブな世代の人達とでは視え方が違っているのではないか、と私は疑っている。twitterやはてなブロゴスフィア上での揉め事も、旧来のネットユーザーとは違った見地にもとづいて眺め、違った見地にもとづいて解決を図っているのかな……と。
 
 残念ながら、私はそうした違いをはっきり言語化できてないし、確かめきれてもいない。この話も、あくまで「疑っている」という程度のものと理解して欲しい。しょせん、私もリンク先の筆者と同じ旧い時代の人間なのだ。ただ、これからもネットの空気は眺め続けるし、自分自身がインターネットに接続する際の意識や感覚を大切にしていこうとも思う。インターネットでコミュニケートする際の嗜好や手法は、間違いなく私自身を反映した何かであろうから。
 

*1:そもそも、百円玉がいくらあっても足りないのである

*2:いや、情報と呼べるほどでもないのかもしれない

*3:そう思っていたからからか、魔法のiらんどに踏み込んだ時には「なんじゃこりゃああ!」という印象を禁じ得なかった

*4:あるいは「これはインターネット越しのメッセージだから」と割り切って