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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

はてなダイアリーを一年続けて手に入れたもの

執着

 
 365日毎日ブログを書き続けてきたけど、結局何も起こらなかったよ。 - マトリョーシカ的日常
 
 リンク先のタイトルは、『365日毎日ブログを書き続けてきたけど、結局何も起こらなかったよ。』だ。「大承認」「必ず勝てる」「負けない」といった、執着を予感させる言葉が躍っていて、過去ログを漁るにつけても、ブログに求めるところの大きなブログのようにみえた。
 
 それがいけないわけではない。渇望によって前に進むのも、それもそれでひとつの方法だ。ただ、渇望が大きすぎるとメンタル面で制御が難しくなるのが難点だ。自分の渇望を生かせる人間ならば、飢えても渇いても何事かを成すだろう。
 
 ただ、ブログを書き始めて一年目から、このように沢山のはてなブックマークが付く状況に直面しているので、もしかしたら、承認欲求のネジがずれてしまった可能性もあるかもしれない。年に数度の巨大PVを浴びて、それが快感になってしまって自分自身の欲求のハードルが高くなってしまい、フラストレーションによって脱落したブロガーは多い。リンク先のkyokucho1989さんにおかれては、そのようにならないで欲しいと、思う。
 
 

そういえば、ブログ一年目の頃、どうしてたっけ?

 
 そういえば、私がブログを始めて一年経った頃は何をやっていたのだろう?気になって調べてみたら、そのものズバリの記事が転がっていた。
 
 シロクマの屑籠も、一歳になりました - シロクマの屑籠
 
 青臭い、読みにくい文章だ。メッセージは2007年10月の――つまりブログ二周年を迎えるであろう未来の――自分自身に対して書き綴られている。いかにも過去の自分が書きそうなフレーズが幾つか見つかったので、抜粋してみる。
 

シロクマは、『シロクマの屑籠』に満足しちゃえ。ここから先、アクセス爆発の大手ブログになろうとか考えてみたところで、どうせ上手くいかないし、努力対効果や期待値は大幅に下がるのは間違いない。ここまでだ、シロクマ君。

 はてなを通して出会った強大な何人かの人物が教えてくれたのは、「自分の知識や見識が足りない」「自分はまだまだ娑婆を知らない」「専門分野も脆弱すぎる」という事だった。今のままの自分では、喉の奥に引っ掛かって出てこない言葉を紡ぐことが出来ないし、他人を説得する事もままならない。もっと強くなって、もっと説得力のある言葉を紡いでみたい。そうする為には、即興blogに慣れるだけではだめだ。

 シロクマは今後更新を控えめにして、なるべく山で修行しなさい。色んな事を知るために、または結晶化を可能にする為に、滝に打たれてみたり護摩を焚いてみたりしなさい。修行によって強化出来るのか焼き切れるのかは全く分からないが、挫折してしまったとしても2007年10月28日の私が納得のいく形で挫折出来るよう、出来る限りのリソースと自意識を集積させなさい。

 
 これらを再読して、私は、自分がブログを一年間更新して手に入れた宝物が何なのか、だいたい思い出した。
 
 第一の宝物は、ブログ仲間、はてなブックマークを介した顔馴染みアカウントだ。「常連」と呼べる人はそんなにいなかったかもしれないけれども、あの頃に出会ったブロガーやブックマーカーのお陰で、私は寂しい思いをしなくて済んだ*1。PVや被はてなブックマーク数とは無関係に、なんとなく「仲間と一緒にいる満足感」みたいなものを(勝手に)体感していた。私は、一人じゃなかったし、一人じゃないからこそ、自分だけでは解けないパズルを何度も一緒に解けたのだと思う。
 
 こういう、集団的なブロゴスフィア観が、現在の(株)はてなのサービス内でどれぐらい一般的なものなのかは、私にはよくわからない。ただ、少なくとも2006年頃には、そういう雰囲気が私の体感できる範囲にあったと思う。今ならtwitterのほうが体感しやすいのかもしれないけれども。
 
 第二の宝物は、「上には上がいる」と思い知らされたことだ。ウェブサイトを独りで更新している頃は、私は今以上にネット世間知らずで、他人と自分とを比べてみることをしていなかった。それが怖かったのかもしれない。でも、実際に他のブロガーと轡を並べてみると、上には上がいるということが痛いほど感じられた。PVにおいても、知識においても、修辞においても、ユーモアにおいても、自分よりずっと優れたブロガーがそこらじゅうにいて、光り輝いていた。
 
 地力の差を思い知りつつも、私は、彼らに憧れのようなものを感じていた――彼らに近いものを、自分は手に入れられるのだろうか。もっと、自分が書きたいことを書きたいように表現できるだろうか。もっと娑婆世界について深い洞察を得られるだろうか。と。
 
 第三の宝物は、「ブログを頑張るだけでは結局駄目」と気づけたことだ。ブロガー同士で友誼を結ぶのは良いし、ブログを思考実験の場に使うのは素敵なことだ。むしろ必要ですらある。でも、不特定多数を相手取って何かを発信したいだの、まとまった思念や主張を届けたいだのと野心を持つなら、ブログだけにリソースを投下していてはいけない。
 
 ただし2006〜2007年の私は、ブロガー同士の相互承認*2にすっかり溺れていて、「大承認」を欲していなくても間近な相互承認は欲しまくっていたので、つい、ブログにうつつを抜かしてしまっていた。ブログに割くリソースを節約できるようになったのは、もっと後のことだった。
 
 

時間を敵に回さず、味方につけてくださいな

 
 思い出してみれば、私の当時のブロガーとしての執着は、(株)はてなが用意してくれたブロゴスフィアの内側ばかり意識していて、あまり外のほうを向いていなかった。でも、それで良かったのかもしれない。執着が、顔なじみのアカウントの反応のほうを向いていたからこそ、PV津波や大量ブックマークの影響を免れたような気がする。それは、ラッキーな巡り合せだった。
 
 それと、自分の非力を思い知り、それを埋め合わせようと必死になれたのもラッキーだった。だから、当時圧倒的な輝きを放っていた先輩ブロガーな人達には、感謝したい。そのお陰で、2006〜2008年の頃の私は分不相応な背伸びを繰り返すことができたのだから。そうした背伸びの幾つかは惨めな失敗に終わったけれども、その惨めな失敗があればこそ、多少なりとも程度の良い自分自身になれたような気がする。
 
 時が経ち、2014年のブログの世界は、事情も執着のベクトルも変わったのかもしれない。でも、kyokucho1989さん自身が書いてらっしゃるように「書いていれば負けない」のだから、さしあたり前に向かって進んで欲しいと思う。いや、ブログをやめて別に大切なことが見つかるなら、そっちに進んだって構わないし、なんにしたって、私よりずっと若いであろうkyokucho1989さんには時間も伸び代もあるはずだ。もしも「大承認」を求めるとしても、なにも、それを今すぐ達成しなければならない道理もないでしょう?息せき切って毎日ブログを更新する必要なんて無いから、とにかくも、トータルで実りの多いブログライフを営んでいただきたいと思う。
 

*1:今も、そうした人達とネットの時間を共有し、それで承認欲求や所属欲求を充たしているのだと思う

*2:いわゆるキャッキャウフフとか、クネクネとか言われる、あれである