シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

ジハードで「自分探し」

 
 「イスラム国」に引き寄せられる欧米の若者 :日本経済新聞
 
 最近は、“「イスラム国」に欧米の若者が引き寄せられている”ニュースを頻繁に見かける。残忍で過酷な戦闘に参加する者も沢山いるという。
 
 その背景には、英語が通じるとか、“レッドブルなどの贅沢品”が提供されているからだとか、色々な背景があるのだろう。ともあれ、リンク先によればイスラム教への信仰心はさほど強く無い。それより目についたのは、
 

 欧米人がイスラム国にひかれる理由として考えられるのは、祖国での退屈な生活から抜け出し、自らのアイデンティティーを見いだしたいという願望だ。ロンドンにあるシンクタンク、英国王立統合軍防衛安全保障問題研究所(RUSI)でアナリストを務めるラファエロ・パントゥイッチ氏は「人生を退屈に感じてシリアに赴く者もいる」と言う。

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO76831420Z00C14A9000000/

 
 欧米人がイスラム国に惹かれる理由とは、アイデンティティを獲得するためだという。これが誘因の全部とは思えないが、誘因としては小さくなかろう。
 
 ちょっと前に流行した言葉で言い直すと、イスラム国に参加している欧米人は、“自分探し”のためにジハードに参加している、ということだ。
 
 “過酷な砂漠で、残忍な集団に飛び込んでの「自分探し」なんてどこか狂っている”と考える人がいるかもしれないが、そうでもない。思春期の、モラトリアムを持て余してくれる個人にとって「自分は一体何者なんだろう?」という問いは切実だ。自己イメージの空白をそのままにしておけば、それこそ本当に気がおかしくなってしまう。自分が一体何者で、何のために生きているのかが実感できない境遇は、先進国の思春期モラトリアムにはありがちな、しかし切実な苦しみだ。
 
 だからこそ、思春期に突入した青少年は「私はこういう人間です(=アイデンティティ)」を与えてくれそうな何かを必死で見いだそうとするし、それを与えてくれるものに夢中になる。
 
 勉強やスポーツが得意で、それが自分の輪郭を与えてくれると感じている若者は、勉強やスポーツにますます夢中になって、社会的に望ましい技倆を身に付けながら自己イメージを固めていくだろう。勉強やスポーツが苦手だったり、親に強いられてやっていると感じている青少年のなかには、サブカルチャー領域の消費コンテンツにアイデンティティを見いだそうとする者もいる*1。地元の友達関係が充実し、強力なネットワークを形成できる青少年なら、そうした友達関係を自己イメージのよりどころとしてアイデンティティを確立していく者も多い。
 
 ところが世の中には、勉強にもスポーツにも自分が見いだせず、サブカルチャーを楽しむ余裕も無く、地元の友達関係にも恵まれない青少年が少なからず存在している。
 
 進路もコミュニケーションも自由化した社会では、誰もが自由に“自分探し”をできるようになったといわれる。なるほど、何でも出来て、どこに行っても他人が必要としてくれるような素晴らしい若者にとってはその通り。反面、勉強もスポーツも不得意で、サブカルチャーに溺れる余裕も乏しく、人間関係もつくれないような人間*2にとっては、どこに行っても何をやっても「私はこういう人間です」という手応えが感じられない社会でもあった。
 
 そのうえ、(産業革命以来続いてきた)労働の単純化・分業化と人的流動性の高まりの影響で、よほどの職業に就かない限り、仕事がアイデンティティを授けてくれる事も無いときている。
 
 このため、先進国の自由な社会では、自己イメージの空白を持て余す若者がどうしても一定の割合で発生してしまう。社会的に望ましい取り柄を持たない者、コンテンツ消費に夢中になる余裕の無い者、地元の友人関係を充実させられない者は、アイデンティティの空白に苦しまなければならず、それを与えてくれる何かを熱望せずにはいられなくなってしまうのだ。
 
 

「ジハードに参加すれば聖戦士になれる」

 
 そんな、アイデンティティの空白に苦しむ若者に、報せが舞い込むわけだ。
 
 「ジハードに参加すれば、何者でもないお前を、聖戦士にしてやろう」
 「イスラム国はお前を必要としている!」
 
 訓練を受けて聖戦士として生まれ変わり、銃を手にして(自分を何者にもしてくれなかった)欧米社会に復讐する……自己イメージの空白に苦しみ抜いてきた人間・誰からも必要とされたことのなかった人間にとって、これほどの誘惑があるだろうか。聖戦に参加さえすれば、アイデンティティの空白はすぐさま充足される。それも、聖戦や同胞といった栄光を伴ったかたちで。鬱憤を暴力で発散する機会や、栄達の可能性さえ与えられるかもしれない。
 
 こうした、思春期モラトリアムの空白を狙い撃つような勧誘は、ギャングのようなアウトロー集団では昔からの常套手段だったし、最近は、オウム真理教のようなカルト集団が似たような手法を用いている。そういう意味では、イスラム国の手法はそれほど新奇性の高いものではない。
 
 ただし、この手法が国境を越えた広がりのなかで機能していて、先進国の青少年が非-先進国のテロ集団によって動員されている構図は、21世紀のグローバルな社会ならではだと思う。イスラム国は、個人の自由を売り物にした先進国社会についてまわりがちな“何者にもなれない若者達”という副産物を、見事にリサイクルしている。
 
 自由な進路、自由な競争、自由なコミュニケーション……そういったお題目からこぼれ落ちた不遇の青少年に対して、先進国の社会と成員はこれまで何を為してきただろうか?これから何を為し得るのだろうか?ジハードに惹かれて砂漠に赴く青少年達は、そうした問いを暗に突きつけていると思う。彼らだって、学校や職場や社会のなかで何者かになれていたなら、わざわざシリアやイラクに渡ってまで“自分探し”などせずに済んだはずなのだ。
 
 もし、こうした問いに先進国社会が何も応えない(または応えられない)としたら――アイデンティティを釣り餌にした勧誘は有効な手段として機能しつづけるのだろう。イスラム国が存続しているうちは、イスラム国のいいように。イスラム国が消滅した後も、次のテロ組織のいいように。
 

*1:中二病などは、その最たるものだ。

*2:移民二世のような立場の人には、そのような境遇は珍しく無いと思われる。