シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

『融解するオタク・サブカル・ヤンキー ファスト風土適応論』を出版します。

 
 オタク・サブカル・ヤンキーな書籍を花伝社から出版することになりました。
 

融解するオタク・サブカル・ヤンキー  ファスト風土適応論

融解するオタク・サブカル・ヤンキー ファスト風土適応論

 
 タイトルは、『融解するオタク・サブカル・ヤンキー ファスト風土適応論』です。想定読者は……そこのあなた!オタク、サブカル、ヤンキー、ファスト風土に一家言ありそうな顔をしている、そこのあなたです。これらの語彙に愛着や憎悪を抱いている人達に間違いなく刺さるよう、念を込めてつくりました。
 
 近年は、オタクが死んだ・サブカルは終わった・ヤンキーがマイルドになったと言われていますし、実際、地方の国道沿いや郊外では、オタクともサブカルともヤンキーともつかない若者を多数みかけます。そうした現状を、オタク論・サブカル論・ヤンキー論それぞれ単体で論じるのは難しく、どこか不自然ではないかと私は思い続けていました。
 
 本書では、それぞれに尖っていたオタク/サブカル/ヤンキーが大衆化していくプロセスを振り返りながら、かつてサブカルチャーに求められていたものと現在サブカルチャーに求められているものの違い、一昔前の尖った趣味人の心理的ニーズと現在のハイブリッドな消費者の心理的ニーズの違いについて論じました。
 
 現在のファスト風土には、オタク的/サブカル的/ヤンキー的な意匠やコンテンツが溢れかえり、そういう意味では、オタクもサブカルもヤンキーも今が全盛期と言えそうです。しかし、魂としてのオタク・魂としてのサブカル・魂としてのヤンキーはどうでしょう?それぞれのジャンルが融合しながら普及していくうちに、スピリットが失われてしまったのではないでしょうか。控え目に言っても、薄められてしまったものがあるのではないでしょうか。
 
 そのあたりについて考えてみると、案外、ファスト風土の広がりとオタク/サブカル/ヤンキーの融解はリンクしているように思えるんです。そして、そうしたファスト風土に適応し、カジュアルにコンテンツを消費している人達ってのは、コンテンツやスタイルを真剣に追いかけずにいられなかった一時代の人達に比べると、これからの時代を生き抜いていくのに適した心理機制を持っている、とも思うのです。
 
 
 【国道沿いに暮らす当事者の視点でつくりました】
 
 本書を書くにあたって、私は、地方の国道沿いで暮らしてきた実体験をたくさん盛り込みました。だって、ファスト風土論や郊外論って、いつも首都圏在住の著者によって書かれるじゃないですか。
 
 首都圏のメディア中枢で活動していればこそ書ける文章もあるでしょう。でも、実際にファスト風土のほとりで生活していなければ気付きにくい事実もあるはずです。
 
 例えば『ヤンキー経済』に描かれたマイルドヤンキーや、“明るくズッ友なファスト風土観”の陰には、コミュニケーションに苦労しながら不承不承に地元に居残っている人・明るいノリについていけない人が、少なからず存在しています。ファスト風土沿いで精神科臨床をやっていると、そういう“ファスト風土の被抑圧者”とでも言うべき人達に遭遇するのですが、そのあたりを視野に入れた郊外論はあまり読んだことがありません。
 
 そんなわけで、首都圏でつくられた郊外論とはちょっと視点の違った“郊外適応論”になっていると思います。リア充を羨んでいる地元民や、大都市圏に飛び出そうにも飛び出せずに燻っている地元民も視野に入れたファスト風土観なので、そっち方面に興味のある方もどうぞ。
 

 
 
 【本書構成】
 
 はじめに
・「ヤンキー的。オタク的。サブカル的な。」
・20世紀末の幸福モデルが失効した世界で
 
 第1章 国道沿いの小さな幸せ
・「コンビニ、ショッピングモールにはなんでも揃っている」
・地元は友達さえいればなにも恐くない
・「おらが地元のインターネット」
・ディテールと奥行きを欠いたモノの世界
・「細かな違いなんてわからなくたっていい」
・永遠ならざる繁栄に依存した、小さな幸せ
 
 第2章 オタクもサブカルもヤンキーもいなくなった
・私が出会った“尖った連中”たち
・はじめに反抗ありき――校内暴力、暴走族、スケ番の時代
・卒業のあったヤンキーから、卒業なき「ヤンキー的」へ
・大人無きサブカルチャーの文化主導権争い――おたくvs新人類
・バブル崩壊と「サブカル」の誕生、地方への拡散
・オタクのカジュアル化、コミュニケーション主体化
・オタクとサブカルとヤンキーの境目がわからなくなった
・そして消費者とシミュレーションだけが残った
 
 第3章 オタク/サブカルの年の取り方――消費と差異化ゲーム、その行き着く果てに
・サブカルは精神疾患すら「商品選択」してしまう
・自分には足りないアイデンティティを、サブカルで買う
・ワナビーは人生を対価としてアイデンティティを贖う
・消費個人主義社会では、アイデンティティが商品として売買される
・サブカルアイデンティティばかり鍛えると、技能習得が偏ってしまう
・他人の顔色ばかり気にしてコピペを繰り返した人間の「軽さ」
・中年オタク/サブカルの限界点
・コミュニケーション化していく風景に取り残されて
 
 第4章 国道沿いに咲くリア充の花
・マイルドヤンキー論を巡る誤解――ファスト風土の人々は本当にダメなのか
・「コミュ力」「リア充」というスラングの台頭
・地元が天国か地獄かはコミュニケーション能力次第
・“東京の代替品”としてのインターネット
・「仲間」「家族」「地元」さえしっかりしていればアイデンティティは揺るがない
・「仲間と一緒に笑えるなら、どんな映画でもいいじゃない」
・国道沿いの消費リテラシーと、消費個人主義の限界
・「彼らがオタクやサブカルよりも年を取りやすい」理由
・国道沿いに日が暮れる、その日まで
 
 第5章 追いかけてきた現実
・軟着陸している人は、案外いるもんです
・シーンの最先端は、もう若い人達に任せたって構わない
・誰も君にトドメをさしてはくれない
・あるゲームプレイヤーの引退
・人は趣味だけでは生きられない
・趣味の盛りが過ぎた後にできること
・過ぎた時代にお別れを
 
 
 以上のような構成になっています。表紙デザインはファスト風土感のみなぎった写真にしていただきました。郊外Lover的に美しい写真なので、帯を外した写真を貼っておきますね。↓
 
 
 
 
 『ロスジェネ心理学』のニュータウンな表紙に、よくフィットしていると思います。
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融解するオタク・サブカル・ヤンキー  ファスト風土適応論

融解するオタク・サブカル・ヤンキー ファスト風土適応論

ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く

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