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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

人生の友としてインターネットをどう取り扱うか

 
 最近、インターネットの使い方が難しいと感じるようになってきた。それなり、ネットユースについては注意深くあろうとしていたつもりだけれど、見積もりが甘かった。いずれ、ついていけなくなるような気がする。
 
 ネットは、思ったよりも簡単じゃない。
 
 「そんなの昔からだ、ボケ!」と言われたら返す言葉も無い。そして、少なくとも今の私は大丈夫だ。今すぐ、私がインターネットを使いこなせなくなるとは思えない。
 
 しかし、これから先、仮に私が死ぬことなくインターネットを使い続けるとして、六十代まで無病息災にインターネットを使い続けられるだろうか?全く自信が無い。たぶん、どこかで火傷するのではないか。自動車事故を起こしてしまう確率よりは、ネットで火傷する確率のほうが高いような気がする。
 
 今、私はそれなり健康を保っているから、インターネットで火傷する確率はあまり高くないと思われる。飲酒インターネットも殆ど無くなったので、「酔った勢いの過ち」を犯す可能性も低い。でも、それは現在の私が健康を保っていて、(比較的)正常な判断力を保っているからの話で、いずれ、認知が雲ってきたり、精神衛生が弱ってきたら、この限りではない。認知症、うつ病、悲嘆反応、その他の健康上の問題や、仕事や家庭の問題――それらの均衡がひとつ崩れるたび、インターネットで火傷する確率は着実に上がる。そして東日本大震災のような大規模災害でも、メンタルは動揺しやすく、火傷しやすくもなるだろう。そして一度火傷をすれば、火傷の痕はいつまでも残る。
 
 だから私は、今日、五十代や六十代で悠々とインターネットを使いこなし、さほど燃えることなくコミュニケートしている人達に敬意を感じる。よくできるものだ。十年後の俺に、ちゃんとあれが出来るだろうか。私は、未来の自分自身の判断力や悟性をどうしても信用できない。
 
 なかには、何歳になっても判断力や認知機能がブレず、いつでも悟性的合理的に判断できる超人のような人もいるのだろう。そのような強い人、いつでも適切な人は、インターネットとの長い付き合いにさほど脅威を感じなくて済むかもしれない。けれども私はそうではないし、世間の過半数もそうではあるまい。いつまでも超人的で間違えない人間でいられるなら良いが、私のように、間違えやすく衰えやすい人間がネットと共に生きていくにはどうしたら良いのか?
 
 こういう問いかけに対する賢人達の答えは、「回線切って余生を過ごせ」なのかもしれないけれども。ただ、ネットがここまで生活に密着してくると、回線切るのも難儀なことではあるのですよ。
 
 

いやいや、「正しいインターネット」が難しいだけか

 
 いや、よく考えてみれば、インターネットが難しいとか心配というのでなく、この場合は「“正しく”インターネットをやるのが難しい」のか。人様に後ろ指を指されないようなインターネットをやるのが難しいのであって、人様に後ろ指を指されても“かえるの面に水”な人達は、それはそれで悠々と老年インターネットに耽っているわけで。
 
 インターネットの難しさは、適切な発言制御の問題だけでなく、羞恥心や面の皮の厚さの問題、鈍感力の問題でもあるかもしれない。いわゆる“無敵の人”問題も、これらに隣接している。
 
 そうは言っても、社会適応の帳尻を合わせながら、末永くインターネットをやっていこうと思ったら、火傷や過課金にまみれたインターネットは控えるべきだし、自分自身の判断力や認知機能が衰えた状況でインターネットがどんな牙を剥くか、想定しておくのも悪くは無い。そして想定したうえで、どこでどんな風にネットの使い方を軌道修正していくべきか、どんな衰えが現れたらどんな風にネットユースを変更しておくのか、年を取った時の自分自身に向かって直言しておくのだ。どんなに唯我独尊な人間といえども、若い頃の自分自身の言葉には耳を傾けるだろう。それを期待して。