シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

イケダハヤトさんの煽りキャラは、何歳まで有効か

 

イケダハヤトはなぜ嫌われるのか? エレファントブックス新書

イケダハヤトはなぜ嫌われるのか? エレファントブックス新書

 
 
 先日、電子書籍のエレファントブックスさんから「新刊が発売されます!」メールが届いていた。どんな電子書籍が
「いいね!」時代の繋がり―Webで心は充たせるか?― エレファントブックス新書の兄弟になるのかな?と思ったら……イケダハヤトさんの新刊だった。
 
 これまで、私は私なりにイケダハヤトさんの文章を読んできた。ときに、興味を惹くことも書いてらっしゃるけれども、基本的には私の好みからは遠く、上記電子書籍を誰かに勧めたい気持ちにもなれない。このブログの常連読者さんが求めているものとも、たぶん違う。

 だから、ステルスマーケティング的な宣伝をやろうと思っても、どうせやれそうにない。それより、これもひとつの機縁だと思って、イケダハヤトさんという「プロブロガー」について日頃考えていることをまとめてみようと思った。
 
 

煽る「プロブロガー」のアテンション喚起力

 イケダハヤトさんは、人を煽るのが上手い、と思う。正社員を否定していた頃も、東京暮らしを否定しはじめた今も、その芸風は人を巻き込んでやまない。正社員として働いている人間・東京で生活し続ける人間が、イラッと来るようなフレーズを連発し、「コノヤロー!」と思わせていく。
 
 メディア、特にインターネットメディアは、単純にフォロワーをつくっていくよりも色んな“お客さん”をつくったほうが手っ取り早い部分があるので、そういうキャラ立ては有効だと思う。イケダヤハトというキャラクターを創り上げ、知名度を獲得していくにあたって、煽りのエッセンスは必要なものだった。
 
 今日でもなお、イケダハヤトさんは単純なフォロワーだけでなく、アンチフォロワーによっても支えられている。事あるたびにイケダハヤトさんに負の言及を繰り返す人達――つまり、変則的にイケダハヤトさんを愛してやまない、ラブに満ちた人達とも言える――とは、相思相愛、win-winな関係を築いている。イケダハヤトさんはPVを獲得し、負の言及を繰り返す人は、その言及を通して何某かの心理的欲求を充たしているのだから、ラブラブと言って構わないだろう。
 
 そのうえ、イケダハヤトさんの議論には、ところどころ綻びというか、ツッコミどころが用意されているので、批判したい人、「こいつバカだなー」と思いたい人は、思うさまイケダハヤトさんに心理的マウンティングを仕掛けて「勝ったつもり」「間違ったイケダハヤトと正しい俺」を確認できる。誰かを叩いたり小馬鹿にしたりしたいネット住民にとって、イケダハヤトさんは素晴らしい藁人形像を提供してもいた。
 
 見方を変えるなら、イケダハヤトさんは、そういった「誰かをぶっ叩きたくて仕方が無いネット住民」の心理的ニーズをも汲み取っている、とも言える。おおっぴらにバッシングできる藁人形を求め、夜な夜なインターネットを彷徨う魂に、その機会を提供しているのだ。見ようによっては、大変な慈善事業である*1
 
 そうした結果として、イケダハヤトさんは、ネット上で賛否両論のアテンションを多数惹きつけることに成功した、のだろう。
 
 じゃあ、彼は意図的なキャラクターマネジメントの結果として、現在の状況やアテンション喚起力を手に入れたのか?
 
 そうではないような気がする。TVCMや、やまもといちろうさんとの対談などを思い出す限り、あの煽り力とツッコミビリティは天然モノっぽい。天然モノだからこそ、あれだけナチュラルに煽れるのだろう。それはそれで一つの才能だ。高知県移住の件が示しているように、行動力も伴っているし、ひょっとしたら覚悟だって伴っているかもしれない。控えめに言っても、イケダハヤトさんの描く軌跡は、誰にでも真似できるようなものではない。もちろん、普通の人が真似して構わないものでもない。
 
 彼の往く道は、誰にも分からない。ひょっとしたら御本人にも分かっていないかもしれない。とにかく、安易に他人が真似しても火傷するだけなのは間違いない。優れたキャラクターだとは思うけれど、若い人のロールモデルになるようなものではない。
 
 

十年後のイケダハヤトさんを想像する

 
 ただし、人はいつまでも同じ姿のままではいられない。
 イケダハヤトさんとて、それは同じだろう。
 
 現在のイケダハヤトさんのキャラクターデザインは、イケダハヤトさんの年齢やプロブロガーとして生誕してからのタイムスパンによって「釣り合いが取れている」。だが、年齢を重ね、プロブロガーとしての年季が入ってきた暁には、そうでもなくなってくるのではないか。
 
 人間の“なかのひと”不可避的に年を取っていく。だがそれだけではなく、キャラクターもまた不可避的に年を取っていく。個人史の手垢からは、何人たりとも逃れることは出来ない。
 
 イケダハヤトさんの場合、その人気は文章力によって形成されている以上に、キャラクターマネジメントの卓越によると推定される。しかし、十年後のイケダハヤトさんに最適なキャラクターデザインは、おそらく現代のそれとはイコールではない。
  
 イケダハヤトさんの“なかのひと”においては身体的加齢が進行し、若者という言葉、若者という立ち位置は通用しなくなっていく。そしてプロブロガーとしての経年的蓄積は、キャラクターの社会的立ち位置をも変化させずにいられない。それを度外視して、なんら変わらぬ芸風を貫くことは、簡単ではあるまい。よしんば可能だとしても、その際、イケダハヤトさんのキャラクターマネジメントに求められる条件やハードルの高さは現在と同じではない――金太郎飴の断面のごとく、同じデザインを十年間続ければ、周囲の賞賛/批判は変わるし、「ちょっと生意気な、威勢の良い若者」としてのキャラクター神通力は喪われていく。それでもなお、同じキャラクターで通しながらプロブロガーをやってのけたら、それはそれで一種の才能には違いない。だが、一般論としては、易しい道ではないようにみえる。
 
 イケダハヤトさんはまだ若い。そして様々な社会経験を行っておられるので、これから変化し続けていく可能性も高い。今までとは全く異なったキャラクターに脱皮していくならそれも良し、ネオテニーを地でゆくようなキャラクターを貫いて、それでもプロブロガーをやってのけるならそれも良し。
 
 ともあれ、イケダハヤトさんの“なかのひと”においては、どちらにしても生き残って欲しいと思う。別にプロブロガーなんてやめてしまっても構わないから、幸福追求にぬかりなくあって欲しい。
 
 いやしかし、若い人の前途に思いを馳せるのは、楽しいことですね。これを、自分よりも上の年齢の人間は何年も何十年も前からやっているわけか!
 
 書いているうちに、なんだか自分も頑張らなきゃなーと思えてきた。
 一切のブロガーに幸いあれ。
 うちはうちなりに、マイペースに行こう。
 

*1:あれだ、優越感やバッシング欲に飢えたネットの鬼達に、施餓鬼を施しているような感じである