シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

同性から教わる機会の多い男の子/教わる機会の少ない男の子

 
 以下は、だいたい20世紀後半〜現在の男子を意識した話だ。女子の場合、いくらか事情が異なっていることをあらかじめ断っておく。
 
 世間で「何かを学ぶ・何かを身につける」というと、まず教育機関を想像する人が多いだろう。塾や稽古事を思い出す人もいるかもしれない。もちろん、それらは学びの場として重要だし、勉強以外にも沢山のことを教えてくれる。
 
 でも、実際に学びとっていく諸々は教育機関経由ばかりではないし、そもそも、子どもにとっての「遊び」と「学び」の境目は曖昧だ。活字やメディアからの影響が相対的に小さい年齢の頃は特にそうだ言える。親が「遊び」と思っている事を眺めているうちに重要なエッセンスを吸収していたり、親が「くだらない」と思っている仕草をいつの間にかインストールしていたりする。もう少し年長になった後も、親の後姿は重要な参照項になりやすい。
 
 

父親不在の環境では、子どもは父親をロールモデルにしにくく、技術継承も受けにくい

 
 ところが、一昔前の核家族では*1、母親が一人で子どもを育てなければならない状況が多発した。単身赴任や長距離通勤が珍しくなく、父親が子育てに参加しないのが割と当たり前だった時代。そうした時代に育てられた男の子は、父親をインストール元とすることも、父親を参照項とすることも容易ではなかった――どこまで反抗し、どこまで模倣するかはさておいて、とにかく男の子が父親を参照項する余地が乏しかった。
 
 家父長的なエディプスコンプレックスがあまり目立たなくなり、母子関係を主軸とした家族病理を頻繁に見かけるようになったメンタルヘルス上の流行も、そうした時代状況に一致していた。父親が不在がちになれば、家父長的な抑圧も超自我もあったものではない。母親の存在感ばかりが大きい核家族で問題になるのは、グレートマザー的な抑圧や規範意識*2のほうだ。
 
 話を戻そう。
 
 父親の影が薄い状況下で育てられた男の子でも、ユニセックスなコミュニケーションの作法や技能については、とりたてて問題無い。学力や稽古事についても同様だろう。けれども、男の子が身につけておいたほうが便利な仕草や処世術のなかには、母親があまり教えてくれないこと・教えにくいこと・実際あまり知らないことが案外たくさんある。
 
 母親とて、女性のコミュニティで経験可能なことは大抵知っているだろう。けれども、例えば、思春期を迎えた男の子がどのようなコミュニティを生き、どのような仕草や処世術を必要としているかは部分的にしか知らないし、ときには全く知らないこともある。
 
 

「父親が駄目なら、兄貴分や友達から教わればいい」

 
 じゃあ、母親主体で育てられた男の子は、男の子として生きていくための仕草やテクニックをどこで手に入れれば良いのか?
 
 もちろん、母親主体で育てられた=即アウト、というわけではない。現に育ってきた男性諸氏をみればわかるように、父親が不在気味なら、他の同性から学べば良いのである。
 
 祖父や兄、従兄弟*3が重要なロールモデルになった人もいる。スポーツクラブの先輩がエロコンテンツの入手方法を教えてくれるかもしれない。同級生とのレクリエーションのなかにもヒントはたくさんあるだろう。お互いに処世術を融通しあい、お互いに仕草を真似しあっている男の子は、母親や学校教師がおおっぴらには教えてくれないような“やりかた”にアクセスできる。少なくともその可能性はある。
 
 問題は、そうしたアクセス可能性が全ての男の子に開かれているのか?だ。
 
 祖父や兄や従兄弟が間近にいて、そこそこ付き合いがあるなら問題無いだろう。先輩や同級生とうまくやっていける場合も同様だ。ところが現代社会において、そうした付き合いは男の子全員にとっての与件というわけではない。親戚付き合いが乏しい隔絶核家族はいまだ珍しくないし、同性の先輩や同級生と誰もがうまくやっていけるわけでも、仲良くなってリソース源にできるわけでもない。
 
 「父親が駄目なら、兄貴分や友達から教わればいい」というのはその通り。
 しかし男の子全員が兄貴分や友達から教われるとは限らないのだ。
 
 そうした“余所様からの恩恵”に与るためには、家庭の社会関係資本が一定以上の水準か、男の子自身のコミュニケーション能力が一定以上の水準になければならない。無論、これは程度問題で、まったく同性から学ばない男の子、というのは稀だろう。座学や保健体育の授業でカバーできる部分もある。とはいえ、ライフスタイルを学んでいくプロセスのある部分において、同性の親や親族、先輩や友人から学ぶのがいちばんゴタゴタしにくい部分もあるわけで、そうした部分が男の子自身のコミュニケーション能力によって左右されるというのは、なんというか、やるせない。
 
 なお、「テレビや漫画やインターネットといったメディアから学べば良いじゃないか」という反論は、ある程度は成立するけれども、ある程度以上は成立しないと思う。18禁DVDやライトノベルなどが良い例だが、メディアには消費者におもねる強いバイアスがかかっていて、そっくりそのまま参照して構わないものは決して多くない。どこまで参照して構わないか、どこから先が“ファンタジー”の類なのかを見極めるためにも、それなりに同性同士の意見交換や情報伝達が必要だろう。このあたりは、メディアリテラシー全般にも当てはまることかもしれないが。
 

*1:もちろん、現代でもまったく珍しくないのだが

*2:なんとなく「母由来の超自我」と書きたくなるが、ここでは規範意識ととりあえず記述しておく

*3:または家族ぐるみで付き合っている親の友人