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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「あいさつ」と「既読スルー問題」

 
 こないだ、LINEやfacebookの「既読スルー問題」をテレビで見かけた。いつもなら「相変わらずしんどいオンラインコミュニケーションしているな」で考えるのをやめてしまっていただろうけれど、ちょうど直前、あいさつについて調べ物をしたせいか、両者に関連付けが芽生えたので、以下にメモっておく。
 
 
 「既読スルー問題」、あるいは mixi の「あしあと問題」などは、オンラインコミュニケーション上の厄介事とみなされてきた。「相手がメッセージに目を通したはずなのに、リアクションを返して来ない」を巡って、ある人物は「いちいち返事なんてしてられない」と答え、別の人物は「メッセージに目を通したなら、リアクションがあって当然」と期待する――せっかくオンラインで“繋がっている”のに、そうした感覚の相違によってディスコミュニケーションが生じるとしたら悲惨としか言いようが無い。
 
 私個人の感覚では、閲覧した文章や写真にいちいちリアクションを求めるほうが、ネットでは非常識というか、「そんな事をしていたらきりがない」と感じられる。知り合いのブログやウェブサイトを閲覧するたび「読みました。」と感想メールを送るようなネットライフはちょっと非常識で、むしろ気持ち悪い――そんな風に思っていた。だから、

 
 上記同様、よほど相手のリアクションに飢えているか、自意識が大きくなっているか、ともかくも当人の心理的ニーズ次第だろう、ぐらいに考えていた。そうでなければ、ポップアップ表示のようなアーキテクチャの問題か。
 
 でも、本当にそれらだけだろうか?
 
 mixiの「あしあと問題」が沸き起こった時のことを思い出してみる。あの頃、「あしあと」がどうこうと騒いでいたのは、mixiをきっかけにオンラインコミュニケーションをスタートした人達ではなかったか。そしてウェブサイト時代以来のネットユーザーは、そうした「あしあと問題」を冷笑的に眺めていたように記憶している。
 
 昨今の「既読スルー問題」も、オンラインコミュニケーションの古参の殆どは自分自身のコミュニケーションの問題とは考えていない。当事者になっているのは、やはり、最近になってオンラインコミュニケーションを始めた人達ではないか。
 
 これまでインターネット上では、自分が閲覧した article に必ずリアクションを返すことはマナーとして求められていなかった。全世界に公開されているネット空間で、閲覧者に必ずリアクションを期待するのはナンセンスで、むしろリアクションが返ってくるほうが驚きや喜びにみちていたものだ。オンラインゲームやICQのチャットでも、コミュニケーションの流れに文字入力が追いつかないために、いちいちリアクションを返していられない場面、「w」で済ませるしかない場面が多発した。
 
 そういった、過去のオンラインコミュニケーションに親しんだ人間が「あしあと」や「既読スルー」を気にしないのは当然といえば当然だ。
 
 ところが、mixi や LINE でオンラインコミュニケーションにデビューした人達はそうではない。仕事でもプライベートでも、知っている人と会ったら挨拶か会釈をかわすことを当然としている彼らは、「知っている人に出会って無視を決め込む」ような無粋とは縁がない。人間関係に気を配り、うまくやっている人ほどそうだろう。「知っている人に会ったら、挨拶か会釈をかわす」――それがオフラインコミュニケーションの作法だ。
 
 この、オフラインの作法をそのままオンラインコミュニケーションに持ち込むと、相手の文章を読んだり読まれたりするたびに挨拶や会釈を交わすことが“当然”になるのではないか。「既読」や「あしあと」といった仕組みは、そうした遭遇の瞬間を明示する。明示してしまう。それをスルーするのは、オフラインの作法では「シカトこいている」事になるのではないだろうか。
 
 そのうえ、「既読」や「あしあと」が問題になるようなツールは、LINE にしても mixi にしても、比較的内輪で使われることが多い。オフラインの人間関係が反映されていることも多いだろう。そうした場合、LINE や mixi 上のやりとりが オフラインコミュニケーションの延長線上で行われ、その際のコミュニケーションの作法が「挨拶や会釈」的なものになびくことに不思議は無い。また、そのようなオンラインコミュニケーションしかしない人間が、古参ネットユーザーと同じ作法を身につける機会や動機もあまり無いだろう。
 
 だから、交友範囲が比較的限られたSNSアカウントが、朝方にやたらと「おはよー」を連呼しているあの風景も、「挨拶や会釈」のプロトコルをネットにそのまま持ち込んでいる人同士にとっては、それなりに有意味で、それなりに必要なのだろう。自意識や承認欲求やアーキテクチャによってだけではなく、作法としても、挨拶的なリアクションが必要とされているのではないか
 
 私は、そうした「挨拶や会釈」の作法はインターネットにはそぐわないものだと思っている。短文や写真が四六時中飛び交うコミュニケーション状況で、いちいち挨拶や会釈を繰り返してはきりがないし、お互いヘトヘトになってしまう。人間関係の潤滑油としての挨拶や会釈は必要なのはわかるが、オンラインではオンラインに即した作法に切り替えるべきと思う。
 
 とはいえ、LINEが爆発的に普及する現況では、オンラインとオフラインの区別をつけずに「挨拶や会釈」を求め合う人が出てくるのは致し方ないところだし、ネットの古参を擁さないコミュニティでは特にそうだろう。いずれ、誰もがオンラインコミュニケーションに慣れ、それに最適化された作法が常識化してくれれば、そうしたトラブルも減少するかもしれない。けれどもそれまでは「既読スルー問題」があちこちで観測されるものと思われる。