シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

『「若作りうつ」社会』を出版しました

 

「若作りうつ」社会 (講談社現代新書)

「若作りうつ」社会 (講談社現代新書)

 
 お陰様で、シロクマは3つめの単著を出版できました。
 
 ウェブサイト時代からこのかた、私は“現代人の年の取り方”に強い関心を持ち続けてきました。以下の文章などは、その最たるものです。
 
 ・オタク中年化問題―汎用適応技術研究
 ・「歳の取り方」が分からなくなった社会 - シロクマの屑籠
 ・思春期世代が大人になれないのは誰のせい?----おかしくなった世代交代 - シロクマの屑籠
 ・「自己中心的な若者」より「自己中心的な老人」のほうがヤバい - シロクマの屑籠
 ・伸びたのは「余生」であって、「若さ」ではない - シロクマの屑籠
 
 いつも書いているように、人間は、生物として年を取っていく生物であるとともに、社会的・心理的にも年を取っていく生物です。平均寿命が延びたといえ、人間にとって老いや死は運命であり、それぞれの年齢にはそれぞれの年齢に適したライフスタイルがあるはずです。
 
 ところが世間を見渡せば、“いつまでも若々しく”“四十代女子”“生涯現役”……なのです。ちょっと前に流行った“終わりなき日常”“終わりなき思春期”などもそうですが、こうした現代風のライフスタイルには、不可避であるはずの老いや死に対する省察が欠如しています。現代人は、自分達が必ず年を取って死んでいくという厳粛な事実をごまかし、若さにしがみついているのではないでしょうか。
 
 いざ年相応のライフスタイルに変更しようと思い立っても、「おじさん・おばさんになるための方法論」「おじいさん・おばあさんになるための方法論」的なものが見当たらない世の中でもあります。最近は、“孫に好かれるための方法”みたいな雑誌記事を見かけることもありますが、そもそも“孫に好かれるための”などという発想も、どこか思春期じみています*1。“友達親子”的な発想を、老年期になっても繰り返すというのでしょうか――。
 
 本書の前半パートでは、ケースレポートを交えながら「年の取り方がわからなくなった社会」の現状を整理し、後半パートに進むにつれて、そうした社会が成立するに至った背景や、次世代に向けての課題や展望の話になっています。なお、本書では「年の取り方がわからなくなった社会」と「コミュニケーション偏重主義」と「ファスト風土*2」の関連性について、かなりのページを割きました。「年の取り方がわからなくなった社会」の現在と未来を考えるにあたって、私達がどのような居住環境で生まれ、育ち、コミュニケートしているかを確認しておく必要があると思ったからです。
 
 心理-社会的なエイジングの問題は、個人が円熟な老いを迎えるためだけでなく、次世代が健やかに成長するためにも、社会全体の新陳代謝のためにも、疎かにしてはならないものです。たぶん、少子高齢化問題にも大きく関わるところでしょう。にも関わらず、この問題は不思議なほど言及されず、頬かむりされてきました。その、おかしいと思うところを世に問うてみた次第です。
 
 

今、大きな声で問うてみたい事はだいたい詰め込みました

 
 もともと本書は『年の取り方がわからない社会』というタイトルで出版するつもりでしたが、諸般の事情により『「若作りうつ」社会』というタイトルとなりました。ただし、帯には「年の取り方がわからない!」と大書してありますし、内容的にも『年の取り方がわからなくなった社会』に相違ないものになったと思っています。
 
 “もし、遠くまで声が届くメディアを手に入れたら、その飛距離を何に使おうか?”
 
 このブログに常連さんがいらっしゃるようになって以来、私は時々そのように妄想したものです。書きたいことは自体は、昔からだいたい決まっていました。
 
 1.オタクのこと。
 2.コミュニケーションと社会適応のこと。
 3.年の取り方のわからなくなった社会。
 
 このうちオタクについては、オタクというボキャブラリー自体が滲んできたので、もういいかなと思っています。ですが、コミュニケーション、社会適応、エイジングに関しては、まだ肝心要なところを書ききっていないというか、まとめきれていないという思いがあり、さりとてブログの尺ではとてもムリだとも思っていました。私は、誰も読むことのない原稿を、チラシの裏に書きながら過ごしていました。
 
 ところがある日、講談社さんから「『年の取り方がわからない社会』を書きませんか」とお誘いを頂きました。まさか本当にチャンスが巡って来るとは!こんなチャンスは一生に一度かもしれないと思い、私は本書に全賭けすることに決めました。「俺の参考文献フォルダが火を噴くぜ!!」
 
 現時点で私が書きたいことを、とことん盛り込んだ新書にしたい――そんな無茶を、担当編集さんは叶えて下さいました。コミュニケーション・年の取り方・現代の居住環境と私達の精神。これらの連関性をひとまとめとし、エリクソンのライフサイクル論を21世紀の日本に即してアップデートする……という(身の程知らずな)意欲をもって制作に臨みました。自分で言うのもなんですが、ヤンチャな本だと思います。たぶん、色々な方面からご批判を頂くでしょう。それだけに、今まであまり書く人のいなかった本になっているのは間違いない、と自負していますし、国際的な診断基準がカヴァーしてくれないメンタルヘルス領域の話題提供になっている、とも思っています。
 
 文字数は十万字で、敢えて「ちょっと分厚めの新書」にはせず、できるだけ読みやすく、最小限の文字数で最大限の問題提起をするべく努めました。終章では、私なりにソリューションを提示しましたが、あくまで部分的な解決案でしかなく、さまざまな人に読んで頂いて、本書の“ジグソーパズルの足りないピース”を補って頂きたいと思っています。
 
 エイジングや世代再生産の、アップトゥデートなディスカッションの呼び水になってくれたらいいなと願っています。
 

*1:子や孫に好かれるか否かというのは一義的な問題ではなく、子や孫の成長に資するか否かが第一にあって、もし、そのために好かれる必要があるのなら必要なだけ好かれれば良い、のではないかと思うのですが……。

*2:より正確には「ファスト風土を含めた、現代の居住環境全般」