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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

相手の目を見ないのは、言葉に耳を傾けていない以上の情報喪失

コミュニケーション

 
 「目は口ほどにモノを言う」という諺もあるけれど、目は口以上にたくさんの情報をアウトプットし、耳以上にたくさんの情報をインプットしている。言葉では何十秒もかかる意思疎通が、目では一瞬で済むこともあるし、口でウソをついているのとは違った情報が目から漏れ出ることもある。
 
 

白目と黒目からなる人間の目

 
 そもそも、ヒトの目はどう見ても単なる情報インプットの器官としては仕上がっていない。情報のアウトプットに向いているような造りにもなっている点は、しばしば見過ごされがちだ。例えば白目と黒目について。
 

 目の横幅が広く、いわゆる白目と黒目の対照性が際立っているヒトの目は、環境世界のなかできわめて顕在的であり、そしてその中核部分の黒目の動き、すなわち視線の移動をあらわにかつ精妙に、他者や他の生物個体に示すことになる。このことは、ヒトが、その元来、構造的に注目されやすい目を通して結果的に、自らの存在を他個体に強力にアピールしてしまうということを意味する。
(中略)
 しかし、ここで注目すべきことは、ヒトにおいては、目が“読まれる”ものであると同時に、他個体に能動的に情報を送り、それを“読ませる”ものにもなっている可能性がきわめて高いということである。つまり、小林・橋彌が指摘するように、それは、個体間において双方向的に情報を伝え受けとるための重要なコミュニケーション・ツールとして機能しており、そこから得られるベネフィットが、先に述べたようなリスクを上回るからこそ、かくも特異な目の構造が私達ヒトに備わっているのだと考えられるのである。
 
 遠藤利彦・編『読む目・読まれる目 視線理解の進化と発達の心理学』東京大学出版会、2005 P23-24より抜粋

 
 人間は自分達の目をデフォルトのものとみなしているので、その際だった特徴、特に白目を備えているという、よくよく考えてみれば不思議な特徴について殆ど意識しない。しかし、この白目があるお陰で、目を使った情報のアウトプットが格段にやりやすくなっているのは確かだ。
 
 例えば、百メートル程度離れた人を見つめていてさえ、相手に一瞬で気取られるようなことは多い。もし、白目が無かったら、こうはいかないだろう。特に人間同士の場合は、意外と遠くからでも相手の向けているまなざしに気付くものだし、また気付かれるものでもある。また、発言が憚られる場面でも、アイコンタクトだけでこっそり意思疎通を成立させられる場面も多い。ヒトの目は、敵や得物に気付かれるやすいかもしれないリスクを冒してでも、意思疎通を素早く複雑に行えるのに適したデザインにつくられている。
 

「目を伏せる」「目を逸らす」=情報喪失

 
 そうやって考えてみれば、「相手の目を見ない」ということは、意思疎通のチャンネルを自らひとつ潰していることにもなるし、相手がこちらの目を見ているのに、こちらが相手の目を視ていないということは、一方的に相手だけが情報収集をしているということにもなる。もちろん、目から情報を盗まれたくないという人は、目を背けたり目を逸らしたりすることも可能だろうし、相手の目や表情のうちに誤った情報――嘘のような――が混入して誤った判断に誘導されるリスクも無いわけではない。しかし、それらのリスクを回避しようとつとめる場合も、「この人は目を合わせようとしなかった」という情報だけは持って行かれる。それが不自然さを伴っていれば、不審がられるだろう。
 
 このため、目を伏せる・目を逸らすといった行為は、よほど特殊な状況でない限り、損をすることになる。
 
 

「多層的なコミュニケーション、してますか?」

 
 目、身振り、表情、そして言葉。
 
 ヒトというイキモノは、こんなにも多層的で複雑なコミュニケーションのチャンネルを与えられていて、それを駆使しながら家族や社会を形成してきた。これらを使わず、言葉だけに頼る生活というのはとても勿体ないし、face to face なコミュニケーションの場では情報喪失もいいところだ。言葉の内容だけを杓子定規に拾い集めているようでは気づき得ない情報や、言葉にできない情報が、目をはじめ、身体には溢れている。
 
 インターネット上の、特にテキストや音声だけを介したコミュニケーションに頼っていると忘れがちかもしれないけれど、人間は、生まれながらにしてコミュニケーションの多層チャンネルを与えられているのだから、言葉や文字だけに頼ったコミュニケーションは、すごくもったいない。言葉や文字と同じく、この双方向的コミュニケーションに最適化された身体もまた、人間だけが授かった賜物なのだから、それを総動員してコミュニケーションに臨むのが良いと思う。そして言葉や文字の習熟に時間と情熱を捧げるのと同じぐらい、非言語で身体的なコミュニケーションの習熟に時間と情熱を捧げ、複数のコミュニケーションのチャンネルを用いてコミュニケートしていくこともまた、値打ちのあることだと思う。
 
 あなたは多層的なコミュニケーション、してますか?
 

読む目・読まれる目―視線理解の進化と発達の心理学

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