シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

国道沿いでも、若い人はネットをちゃんと使いこなしてますよ

 
 インターネットは都市部と地方の格差を縮めたか - ボンダイ

 
 リンク先は、全国の地方インターネット愛好家を敵に回しそうな文章でした。なに?「田舎の若者はみんなガラケー開いてケータイ小説読んでいる」ですって?
 
 いったい何年前の地方ですか。引用文献が全体的に古いところをみると、地方の情報インフラ事情をよく知らない人が、文献だけを頼りにまとめた文章のようにも読めます。そりゃ東京に比べて、ガジェットの流行が一段階遅れてはいますよ。でも、地方でもiPhoneは「ライバル達に差のつくデジタルガジェット」じゃなくなっているし、若い人はfacebookやtwitterをバンバン使っています。
 
 リンク先の筆者は、「湘南育ち」のシティボーイのようです。向日葵が太陽の方角ばかり向いているように、定めし、東京だけを見つめ続けた思春期を過ごしてこられたのでしょう。そして地方のヤマダ電機やイオンには、あまり足を運んでいないと推察します。だから「2013年になっても、地方都市では若者がガラケー握り締めてケータイ小説を読んでいる」とか、浦島太郎みたいな事をネットに書いて平然としていられるんでしょう。
 
 ふざけんな。
 
 地方が東京より遅れているのはいつもどおりですが、地方の時間とて、止まっているわけではありません。タイムラグが2年なのか3年なのか、細かな数字は置いておきますが、流行や情報のタイムラグがメチャクチャ遅れているとは思えません。
 
 そうですね、地方のヤマダ電機に入ってみてくださいよ。ガラケーは、販売スペースのうちどれぐらいの割合を埋めてますか?そりゃ、ガラケー売ってますよ?ガラケーしか使いこなせないオジサンオバサン、おじいさんおばあさんが地方には沢山住んでいますからね。でも、若い人はガラケーをあまり買っていきません。買おうとも思わない。そりゃそうでしょう、スマホが地方にまで普及したんですから――かつてのスターバックスのように。
 
 ちなみに、首都圏と地方の情報格差の根拠としてこちらを紹介してますけれど、そこからハイパーリンクが伸びているこちらこちらをご覧頂ければわかるように、首都圏と地方の情報格差を勘案する際には、高齢者と若者のデジタルディバイドを勘案しなければなりません。若い人ほど情報機器やインターネットに親しみ、歳取った人ほど親しんでいない――そして地方ってのは過疎ですから、高齢化・過疎化の進んだ県の利用率が低く出るのは当然です。対照的に、全国から若者の血を吸い上げ、思春期の千年王国のような首都圏では、情報機器の利用率が高いのは当然です。だから、大都市圏と地方都市の二十代同士を比べたら、情報格差はもうちょっとマシになるでしょう。2年遅れていることはあっても、5年以上遅れているってことはないんじゃないでしょうか。
 
 実際、地方の通勤電車で学生さん達の様子を見ると、高校生や大学生がいじっているのはだいたいスマホかタブレットで、ガラケーいじっている人はあまり見かけません。耳を澄ますと、『パズドラ』や『艦これ』の会話もちゃんと聞こえてきます。パズドラは2012年のリリースですし、艦これに至っては今年のリリース。でも地方の学生はちゃんと食いついている。だからといって、彼らの見てくれや会話は(一昔前のオタクのような)根暗な感じじゃありません。
 
 で、地元のTSUTAYAに行くと、ラノベだけじゃなくて「小説家になろう」の文庫本が売られています。アルファポリスとか。実店舗だとAmazonで売り切れている商品が売れ残っていることがあるので、案外頼りになります。話が逸れました。とにかく、ケータイ小説の黄金期は地方でも過去のもので、サブカルチャーのコンテンツ消費に関しても、首都圏と地方の時間差は、それなり埋まっているのではないでしょうか。
 
 そもそも、コンテンツやネットサービスといった流速の早い分野に対して、

5年ぐらい前のデータでも差し支えないくらい気がする。地方都市から本来のふるさと固有の文化や秩序がなくなり、ガラケー・テレビ・町外れのイオンが若者の基礎となったのは2000年頃からだし

http://b.hatena.ne.jp/gudachan/20130628#bookmark-152139910

 この感覚を持てることが俄には信じられません。こんな浦島太郎めいた文章をアップロードして平然としているセンスは、私のようなネイティブ田舎者からみても田舎者っぽい時間感覚にみえてしまいます。5年って、国道沿いにスターバックスが生えてくるのに十分なぐらいの時間ですよ?あなた、本当に首都圏在住の若い人なんですか?
 
 最先端はいつも大都市圏がスタートですし、最先端でなければ気の済まない人は「ここは退屈」とか言っちゃうのかもしれません。そしてインターネットに四六時中しがみついていなければ生きている気がしないような人間は、田舎のほうが少ないでしょう。けれども、それって「情報格差」って以前に、リアルが充実しているか否か・心理学的欲求をネットに依存しなければならないか否かに依る問題じゃないんですか?地方のtwitterやフェイスブックの利用が内輪に限られているったって、人間関係が充実していれば、内輪だけでもいいじゃないですか。いけないとでもいうのですか。
 
 SNSの利用が内輪中心の地方人だって、食べログを読んだり、ブログを更新したり、官公庁のホームページで情報収集したり、Amazonや楽天を利用したりしてるんです。そういう人はいっぱいいますし、首都圏にもそういうネットユーザーが大勢いるでしょう。むしろ、知らない人とコミュニケートするネットユーザーのほうが珍しくて、どこか風変わりなんじゃないですか?そんな風変わりさをもって情報格差の superior だの inferior だのを推し量る指標にしても、しようがないと思うんですけど。
 
 知らない人とtwitterしたりモシモシしたりするのが情報格差の上等とは、私には思えません。そういう事をやっているけれどもちっとも上質じゃないインターネットをやっている人もいれば、SNSを内輪中心で使っていても素晴らしい情報生活をおくっている人もいるのですから――ほら、あのtwitterユーザーを、このブロガーを見てご覧なさい、あれのどこが御立派なインターネットなんですか、どこが都市文化ですか。恥ずかしいインターネットをやっているやつは、どこにでもいるものです。
 
 

情報格差は「地方か都会」よりも「個別の生育環境の問題」では?

 
 なお断っておきますが、情報格差を痛感するような景色は私もそれなり見てきたつもりですし、それを軽視して構わないと主張したいわけではありません。しかし、そうした情報格差の問題とは、東京都に住んでいるか、滋賀県に住んでいるか、大分県に住んでいるかの問題ではなく、個別の家庭環境、生育環境の問題のほうが大きいと思うんです。
 
 同じ地域に住んでいる学生とて、進学校で情報リテラシーに富んだ友人に囲まれて育った学生と、そうした友人の数が少ない実業高校の学生では情報格差は相当に違っているでしょう。地方にも、素早く起動するマシンで快適なインターネットをやっている人間はいくらでもいますし、都会にも旧式機でIE6を使っているようなネットユーザーはいて、そのあたりは、生まれ育った家庭環境、特に文化資本や社会関係資本によってかなり左右されるんじゃないでしょうか。もし格差があるとしたら、ニュータウンに住まう個別の核家族それぞれの“事情”のほうではないか――フラットな社会空間が津々浦々まで広がり、全国どこにでもwillcomやdocomoの店舗が展開している以上、都道府県ごとの地域格差は、核家族ごとの格差に比べれば大きくないと私は踏んでいます。
 
 もちろん大都市圏と地方の小都市では情報格差はあるでしょう。そこは否定するつもりはありませんし、スマホをパチンコ代わりにしているような人間が国道沿いにウヨウヨしているのも事実です(東京にもね!)。けれども、イオンやコンビニ頼みの地方の若者だって情報機器やインターネットを必要に応じて使いこなしていますし、案外、中央の流行や情報にキャッチアップしているようにみえます。情報流通が雑誌主体だった時代に比べたら、大分マシなんじゃないでしょうか。そういう意味では、インターネットは地方と東京のタイムラグを縮めたと言えるでしょうし、控えめに言っても、個人の努力でタイムラグを縮めやすくしてくれたんじゃないかとは思っています。
 
 

国道沿いに根を下ろし、イオンとともに生きよう

 
 私は、国道沿いに住まう人間の一人として、この、どこまでも続く赤いテールランプの風景に複雑な感情を抱かずにはいられません。歴史の欠如した虚構にみちたロードサイドの風景を、私は憎んでいるのかもしれないし、愛しているのかもしれない。
 
 没個性な風景でも、ここが私の故郷なんです。だから、時代遅れのロードサイド論をシティボーイにしたり顔でやられると、噛み付きたい欲求がムラムラ沸いてきます……ってぇ事は、やはり私は国道沿いが好きなんでしょう。
 
 
「ゴンドアの谷の歌にあるもの
 国道沿いに根をおろし イオンとともに生きよう
 ユニクロの服で冬をこえ
 サブカル仲間と共にポエムを歌おう
 どんなに東京のほうを向いていても
 沢山のかわいそうなネットユーザーを煽っても
 国道沿いから離れては生きられないのよ」
 
 
 文化資本の真面目な話にまとめるつもりだったんですが、飽きてきたのでこのへんで。