シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

ブログが痩せてきた

 
 ブログが痩せてきた。
 
 この二ヶ月ほど、ブログもインターネットも5割運転を続けざるを得なかった。それで痛感したのは、自分の精神生活に占めるブログの割合は予想以上に大きく、「やっぱり俺はブロガーだった」ということだった。ブログを書くことで、脳をアクティベートしておく営為は意外に重要らしかった。ブログをさぼると、頭が錆びてくるような気がする。
 
 もちろん、ブログ単体で考えられることなんてたかがしれているし、インターネットの知には大きな偏りがある。だから、読書時間や学会出席といった、オフラインの時間は大切にしなければならないと思う。けれども、ブログやSNSを介して半熟の思考を第三者と交換し、ときに承認欲求を充たし、ときに批判や補足を頂き……そういう一連のプロセスを介して脳に染み渡ってくる諸々は、オフラインではあまり体験できない類のもので、当世ならではの思考の閃きがあるとは思う*1
 
 ブログ周辺は、一時期、ブロゴスフィアなどと持て囃され、やがて馬鹿にされた。パブリックな議論空間としてのブログは、少なくとも日本国内ではイマイチだったようだ。けれども素人ブロガーにとって、そんなの知ったことじゃねぇ。個人が脳に火を入れるワークショップとしてのブログは、いまだ健在である。だというのに。
 
 だというのに、俺は、そのワークショップであるところのブログに火を入れるのを怠ってきた。汗水たらして石炭をくべてこなかった、ということだ。その結果どうなったか?ブログは痩せた。それだけでなく、俺の脳内フローが滞るようになり、自分の思考がゾウガメのように鈍重になった、と思う。いつもスタンドアロンに考えるようにもなった。スタンドアロンに考えたほうが集中できる物事もある。が、“インターネットおじさん”としてのホメオスタシスが崩れるほどオフラインに籠もるべきでもなかった。もっと、SNSやブログを思考実験の場所として・資材置き場として活用すべきだった。そしてインターネットの外気を呼吸することで自家中毒に陥らないよう注意を払うべきでもあった。
 
 そもそも、こんな馬鹿みたいな文章を書いているってことは、俺は、ブログに烈しく執着しているのだろうし、そのブログが痩せてきた状況を憂い、自分自身のホメオスタシスが傾いでいることを懼れてもいるのだろう。昨日の記事を書いたのも、ほかでもない俺自身のネットライフに迷いが生じているからだ。これは、俺の求めていたインターネットだったか?俺はこういうインターネットをやっていたのか?否。なにかが違う。うまくいってない。
 
 別に、変化していくことそれ自体は恐れなくていいし、恐れるべきでもない。人は年を取っていくものだし、年を取っていけば取り組むべき課題も、関心領域も変わっていく。「毎月必ず一回はアニメについて書きなさい」とか、そういうギアスも設ける必要もない。けれども思考のスタイル、インプットとアウトプットの呼吸のリズムを急激に変化させすぎれば、自分のホメオスタシスはすぐ崩れる。そっちは恐れるに足る事態だ。
  
 インターネットに滞在できる時間が次第に短くなっていくなかで、俺は、インターネッターとしてフロントラインに留まれるのだろうか?最近、その自信が無い。良い風にとらえれば、俺が“リア充”になってきたということかもしれない。けれども俺はインターネッターだった筈だし、そこに本業以上のアイデンティティを感じたまま中年になってしまったのだから、まったく無碍にするのもまずかろう。年を取って立場も関心も移ろっていくなかで、俺自身のネットユースの方向性と効率をどうすべきか、考えるべき岐路に立たされていると感じる。まだ道は見えない。どうしたものか。
 
 俺は、自分なりにインターネットに熟達したつもりでいたというか、「インターネット兵法48手」という同人誌をつくろうと陰でコソコソやっていたけれども、まだまだだったらしい。この状況を切り抜けてこそ、見えてくる風景もあるのかもしれないが、今はまだ駄目だ。畜生、まだ俺は、インターネットの神々に遠く及ばないということか!
 
 しかし俺は諦めないぞ。今にみてろ、いつか、このブログを脂ぎったアザラシのように肥え太らせ、新しい状況にも適応し、ますますインターネット秘術をきわめてみせる。その時までは、忍耐、努力だ。他人に忍耐や努力をしろと命じるのは流行ではないらしい。だが俺は、俺に忍耐と努力とインターネットを命ずる。俺は、はてな村のシロクマなのだ。
 

*1:あるいは首都圏で知的サロンに出入りしている人であれば、そうした閃きに日常的に接するのかもしれない。いや、そんなことはないか。サロンにはサロンの、ネットにはネットの良し悪しがある筈で、両者は同一のものではない。例えばサロンにはtwitterもはてなブックマークも存在しないのだから。それらを愚と言って軽蔑するのは簡単だし、事実、軽蔑に値する部分がないわけではないが、それらがあるということ、そこに玉石混交な、断片のようなものがくっついて回っていることは、なにがしかのエフェクトを伴っているとは思う