シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

ネット世代それぞれの面白さ/ネットインフラそれぞれの面白さ

 
 こないだ、インターネットがベテランな人とオフ会をしていて、現在のインターネットの“面白さ”を巡る話になった。ネットの古参・新参にありがちな「どうしてこんなものが面白いのか」問題について。
 
 

ネット世代それぞれの面白さ、コアユーザー/ライトユーザーの面白さ

 
 インターネットの面白さ、その中核付近のものは、時期によってだいぶ違っている。少なくとも「インターネットの都大路でウケやすい出し物」のトレンドのようなものはあると思う。
 
 例えばテキストサイト時代に面白がられていたのは何だったか?2013年からふり返ってみると、くどくて、後ろめたい意識が漂っていて、前世紀末のオタク/サブカル臭が優勢な、そういう面白さだったと回想する。
 
 2003〜2008年。ブログの時代。いわゆるプロな物書きの人もこぞってブログを書いていた時代。そして「Web2.0」。2ちゃんねるは相変わらずだったけれど、この時代のインターネットでは知の希望が語られていた。拙著『「いいね!」時代の繋がり―Webで心は充たせるか?― エレファントブックス新書』で触れたように、希望の正体は幻想だった。けれども知の幻想がインターネットの都大路でウケるような状況自体は、2000年前後とは異質な何かだと感じた。
 
 そして2ch系まとめサイトの栄枯盛衰、twitter/facebook/ニコニコ動画の時代を迎えて。「インターネットの都大路でウケやすい出し物」はまたも変わった。知の幻想を騙る人も稀になり、テレビの芸人に毛の生えたようなプレイヤー、あるいはカビの生えたようなプレイヤーにトラフィックが集まるようになった。それと、なんといえばいいのか……ポップになったと思う。ちょっと路地裏に行けば、今でも野暮ったい動画、人間と会話しているのかどうかも怪しいツイートなんて幾らでもあるんだけれど、少なくとも都大路には、パリっとした出し物や雑誌とネットの混合物のような出し物が増えてきた。
 
 それらは、テキストサイト時代に面白がられていた「芸」に似ているところがないわけではない。けれども、いにしえのオタク臭はきれいに脱臭されていて、マシンガントークのような身振りはなかなか見つからなくなった*1。アクの強さや、(2000年当時の)ネットユーザーという狭い人間の内輪を狙い撃ってやろう的な狙撃感もなくなった。かわって目に付くのは、千客万来、オールレンジ炎上・オールレンジ説教あたりか。千客万来ともなれば、観光客相手の出し物や食べ物みたいなもので、ラジオ的というよりテレビ的、濃いエッセンスよりもわかりやすさ、と喩えたくなるような変化を伴うものだけど、実際、そのようになっているように、みえる。
 
 

ネットインフラ内部での面白さの移り変わり

 
 あと、同じネットサービス内でも、面白さがなんとなく変化していくのが観測されることもある。
 
 【岡田斗司夫×川上量生 初対談】川上さんは面白い、ニコニコもまだまだ面白い【ひろゆき、押井守の話も出たよ】:92のブロマガ - ブロマガ
 
 上記リンク先によれば、ニコニコ動画は最初から一部のコアユーザー、そしてライトユーザーによって成立していた“理想郷”であって、2ちゃんねる等からの古参ユーザーとは筋が違うという。ニコニコ動画内部に深くコミットしている人がそう言うのだとしたら、間違っているわけではないのだろう。
 
 それでも、2007年頃の、例えば初音ミクが出てきた最初の半年間ぐらいの状況と、昨今のボカロを取り巻く雰囲気は相当違っているようにみえるし、アニメ関連動画をみていて「あー、これは中学生か高校生ぐらいなんだろうな」と感じるようなネタ出しは増えた。新しい世代、新しいユーザーが増え続けているニコニコ動画だからこそ、これからも面白さの中央値は少しずつ移ろっていくだろうし、その結果、ニコニコ動画内の面白さのコアスポットが今後「おじさんおばさん」の側に振れたとしても、驚くにはあたらない。
 
 

ネットインフラによる面白さの既定

 
 もちろんユーザーの属性だけでネットの面白さが決まるわけでもない。
 
 htmlの時代にはhtmlの時代の楽しさがあったし、あの頃は(原則として)テレホーダイのリズムでネットの時間が流れていた。一方、SNSの面白さ、特にtwitterの面白さは、明らかに140字というフォーマットと、リアルタイム性に裏打ちされている。フォーマット、あるいはルールといったものによって、それぞれのネットインフラには、そのインフラに最適化された面白さが追求され、それぞれに相応しい面白さが開花している。そしてインターネットがリアルタイム化したことで、当意即妙が評価される機会が増え、ゆっくりとした思考速度でアウトプットする人の面白さに気付く機会が少なくなった――実際に少なくなったわけではなく、ただ、SNSのタイムラインに素早く視線を走らせるうちに、せっかちになってしまっただけなのかもしれないが。
 
 だから、ネットインフラのトレンドが変われば、ネットの面白さも変わる。それこそ、2ちゃんねるやニコニコ動画や発言小町が証明してきたことでもある。これからも変わっていく。
 
 

人もインフラも、どんどん移ろっていくとしたら

 
 だから、今インターネットが面白いと感じている人は、その面白さを是非大切にして、自分の記憶に刻み込み、ローカル保存も欠かさないでおいたらいいと思う。その面白さは一過性の、儚いものだ。2017年ぐらいになったら、懐かしい面白さになっているかもしれない。愛すべきシチュエーションなら、きちんと慈しんでおくべきだ。
 
 対して、今インターネットが面白くないと感じている人は、いつかまた、自分にとって面白いインターネットが巡ってくるかもしれないので、じっと待ち、その兆候を掴んだら飛びつき、盛り上がればいいと思う。面白さのコアスポットやネットインフラの移り変わりは十分に早い。
 
 珍しく早くに目が覚めてしまい、とりとめのない話を書いてしまった。この話に結論はない。ただ、もしもディスプレイに映る一切が過ぎていき、変わっていくんだとしたら、それを自分の体験として焼き付けるにしても、嫌悪して退けるにしても、時の流れを大前提として日々のネットライフを楽しむのがいいんだろうな、とは思う。今日も良いインターネットを。
 

*1:声の裏返った発言なら、今でもある程度は発見しやすいが