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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

インターネットには「なまはげ」が必要だ

コミュニケーション

 
 Twitterで大失敗をやらかす前に――バンダイナムコが小学生向け仮想空間 -INTERNET Watch
 
 リンク先は、「バンダイナムコが小学生向けに仮想空間を提供する」、という記事だ。単なる子ども向け仮想空間ではなく、子ども達に“失敗の許されるネット空間”を提供し、適切なネットリテラシーを身につけてもらう狙いもあるらしい。
 
 現在のインターネットは、子どもには過酷な環境すぎる。思慮分別のつかないうちから大人並みの情報発信のチャンスが与えられているので、社会生命を左右するような炎上リスクは大人よりも高い。たとえ炎上しなくても、あれこれのネットサービスに貴重な青春のリソースを吸い上げられてしまうリスク・ネット山師に感化されて人生計画を踏み間違うリスク・過剰な承認欲求に溺れてスポイルされるリスクもある。こうしたインターネットの落とし穴のなかには、大人でも気付きにくいものが多く、後々になって後悔させられたり、気付いた頃には取り返しがつかないほどの対価を支払わされていたりすることもある。
 
 大人でも痛手を受けるインターネットが、そっくりそのまま未成年に公開されていて、失敗に際して大人とかわらない自己責任と判断能力を負わされているのは、私は大きな問題だと思う。さりとて未成年のうちからインターネットに触れておかなければ、ネットの怖さや落とし穴も理解できないわけで、なにかしらインターネットの予行練習に相当する体験は必要不可欠だ。
 
 にもかかわらず、そのニーズを埋め合わせるようなサービスはこれまで存在していなかった*1。そういう意味では、バンダイナムコが挑戦する“失敗の許されるインターネット”“致命的なインターネットをやるまえの予行練習に”は喫緊の課題に応えるものだし、是非、成功して欲しいとも思う。
 
 

ネットには今、「なまはげ」が必要だ

 
 ところで、子どものインターネット予行練習には、どんな体験が必要だろう?
 
 ネットサービスの使い方やネットマナーを学ぶ機会が必要かもしれないし、楽しいネット体験が第一と主張する人もいるかもしれない。実際、色んな要素があって然るべきだろうし、このあたりは議論百出なところだと思う。
 
 私個人は、子ども向けインターネットの世界には、「なまはげ」もあったほうがいいと思う。
 
 
 なまはげといえば、秋田の奇祭、国の無形重要民俗文化財だ。鬼のような扮装の男達が「悪い子はいねがー」「泣ぐコはいねがー」と子どものいる家を訪問していく。なまはげに限らず、「悪い子を鬼や妖怪が探し回るような民俗」は全国各地に点在している。
 
 この「なまはげ」のインターネット版があっていいんじゃないかと思うのだ。
 
 リンク先の子ども向けサービスでも、ある程度ユーザー数が増えてきた段階で「なまはげキャンペーン」をやっていただきたい――素行不良な未成年ユーザー・プライバシー駄々漏れの未成年ユーザーに、「悪い子はいねがー」をやるのだ……。ネットの場合、鬼や妖怪より、スーパーハッカーや架空請求書のほうがおっかないかもしれない。
 
 保護者に「お子様の一年間のネットユースは、素行不良が目立ちました。つきましては、『なまはげキャンペーン』のサービス対象者として選抜いたしました。」とこっそりメールし、保護者の承諾が得られた未成年アカウントには“ネットなまはげおじさん”をエンカウントさせるようなサービスがあれば、その教育的効果は計り知れない。あるいは「なまはげ」がアカウントのBANとまではいかないまでも、一時的制限ぐらいはやってもいいのかもしれない。どちらも、なまぬるい知育サービスよりよほど効果があるだろう。
 
 そして「悪いことをしているネットユーザーには、なまはげスーパーハッカーがやってくる」的な都市伝説が内面化されれば、不埒な悪行三昧のネットユーザーとて、少しはリテラシーに気をつけようと考えるのではないか。
 
 もちろんこうした「なまはげ」機能をバンダイナムコのような企業が実装するのはほとんど不可能だろうし、啓蒙主義的な現代人であれば、インターネットに「なまはげ」が必要と考える前に、「なまはげ」のような手法は前時代的でけしからん、話して教えて諭して啓蒙すべきだ、と考えるに違いない。
 
 けれども、年端も行かない頃からインターネットをいじり始める時代には、それ相応な「インターネットむかしばなし」の一つもあったほうがいいんじゃないか、とも思うのだ。「わるいこは、なまはげ=スーパーハカーがやっつけちゃうぞ」的な、理路より感情から入らなければインストールされないものもあるんじゃないか、とか。
 
 

啓蒙?ならば全てのネットユーザーにリテラシーを授けてみせろ!

 
 世間一般のインターネットの世界にも、「ネットなまはげ」がいていいのかもしれない。
 
 学生のものとおぼしきtwitterアカウントのタイムラインを、reply経由で数珠つなぎ的に三十分ほど覗いてみると、個人情報がどっさり見つかるアカウント、観る人が観れば相当面倒なことになりそうなアカウントが、ゴロゴロ転がっている。「○○大学」という肩書きを名乗りながら、毎晩昼夜逆転のtwitterを繰り返し、一体この人は何をやっているんだ的なアカウント、不正行為や犯罪行為すれすれの書き込みが混じっているアカウントも、結構な割合で見つかる。ネットリテラシーがガタガタのユーザーは非常に多い。
 
 私の普段のタイムラインには、それなりネットリテラシーのできた人しかいないけれども、行くところに行けば、ネットリテラシーもクソもないような、地獄のようなインターネットが繰り広げられている。
 
 ああいう不適切なインターネットに耽る人達にも、お真面目な啓蒙よりも、「インターネットにはなまはげが出る」という都市伝説のほうが、まだしもネットリテラシーを枠づけるには適しているのではないか。啓蒙が大切なのは論を待たないが、全ての人に平等に届くわけでも、今すぐ届くわけでもない。昔のアニメ映画の台詞をもじって言えば「今すぐ愚かなネットユーザーども全てにリテラシーを授けてみせろ!」と言われても啓蒙には無理なのだ。
 
 インターネットは自由で、誰からも制約を受けないので、自分自身の超自我・良心・判断力だけが歯止めになる。しかし、父性なき自由なニュータウンで育ち、ネットでも恐いもの知らずの人達には、そのリテラシーの内部醸成が簡単ではない。リテラシーが行き渡るまでの過渡期的措置として、インターネットには今、「なまはげ」が必要ではないか。
 
 
 [関連]:青少年の成熟を促すようなネットコミュニティについて考える - シロクマの屑籠
 

*1:2chの「半年ROMってろ」や、アメーバピグのようなサービスがそれに近い役割を担っていたといえなくも無い。しかし、これらのネットサービスには子どものネット予行練習としての意味合いはなく、子どもにも容赦の無いインターネット空間の一部だった