シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

ノンフィクション漫画『毒親育ち』で作品解説を担当しました

 

毒親育ち

毒親育ち

 
 このたび、4/18発売のノンフィクション漫画『毒親育ち』(松本耳子先生、扶桑社)にて、作品解説を担当させて頂きました。
 
 『毒親育ち』というタイトルどおり、この作品は、厳しい生育環境の子ども時代を過ごしてきた女性が、四苦八苦しながらどうにか生き延びていくノンフィクション漫画です。幼い頃の親子関係、思春期になってからの承認欲求ゾンビ、大学卒業後の転機etc……。親子関係に複雑な感情を抱いている人・毒親とまではいかなくても毒親予備軍的な家庭で育った人の心に、なにかしら響くような作品ではないかと思います。
 

 
 以下、解説には書ききれなかった、ちょっと思ったことを。
 
 この作品は、家庭の深淵というか、直視すると息苦しくなりそうなテーマを真正面から取り扱っているわりに、“胃がもたれない”というか、軽快なコマ割りとユーモアのおかげで親しみやすい作品に仕上がっているなぁと感じました。
 
 自分の体験した苦労を、ユーモアを交えながら、軽い筆致で表現するのは、そんな簡単なことじゃないと私は思っています。
 
 例えば、ネットで見かける「自分はこんなにかわいそうなんだ」系の文章のなかには、自分語りエッセンスが頭でっかちになってしまって、他人が読むと重すぎる作風のものが珍しくありません。そうした重さを回避し、コンテンツとしてきちんと成立させるためには、自分の感情をそれなり自覚・制御する必要があります。また、ユーモラスに描くにも、ある程度まで昔の出来事を許容できているというか、心理的に距離が取れていなければたぶん無理でしょう。まだ昔の出来事を許せない人・心理的に距離が取れていない人には、そういう昇華作業は困難です。
 
 だからこの『毒親育ち』に限らず、過去の苦い体験や思い出をユーモアを交えて表現している人、重さに引っ張られずに表現できる人を見かけると、まず私は「巧いな」と思います。そして「きっとこの人は、この苦労を自分なりに抱えるための距離感ができあがっているんだろうな」とも想像します。もちろん、ユーモラスを交えながら過去を語れるようになったからといって、その人の現在が「ラク」かどうかは別問題です。抱えていかなければならない記憶、乗り越えていかなければならない課題は厳に存在するのでしょう。それでも、ユーモアが無いよりはあるほうがずっといい――そんな風に思いました。
 
 
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 ※4/19現在、番外編が無料公開されているようです。