シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「ばあちゃん、ありがとう」

 
 ゆうべ、死んだ祖母が夢の中に出てきた。まだ髪を黒く染める余裕のあった頃の祖母で、かつて私が子どもだった頃に向けていたのであろう、あの柔和な笑顔を浮かべて出迎えてくれた。眠りが浅かったのか、夢のなかの私は祖母が他界していることを前提に話しかけていた。
 
 「ばあちゃん、死んだんじゃなかっけ?」
 「何言うてる、まだまだ大丈夫や。」
 「でも、ばあちゃんは去年亡くなったって、俺知ってる」
 「そんな心配せんでいい。元気でおるよ」
 
 しかし、目の前でニッコリ笑う祖母はもう生きてはいないはずだ。夢のなかで、私は悲しくなった。よくわからないが、ばあちゃん、ありがとう、今までありがとう、という言葉を連呼していたが、夢のなかの祖母はそれが理解できなかったらしく、どうしたんや、どうしたんやとくリ返していた。そうこうしているうちに、夢が醒めてきたのか、祖母の輪郭がはっきりしなくなり、存命のもう一人の祖母と区別がつかなくなってきた。ああ、もう一人のばあちゃんは生きているんだった、けれども、それほど遠くない将来に、こうして夢のなかでしか会えなくなっていくのかということを思った。そういえば、存命の祖母と暫く会っていない。
 
 「ばあちゃん、まだ生きているうちに会いに行くな」
 もはやもう一人の祖母にゲシュタルトが完全に変換した、夢の中の人物に私はそう伝えた。
 
 「まだまだ大丈夫や」 
 彼女は快活にそう答えた。そういえば、もう一人の祖母はこんなに元気を維持していただろうか。
 



 
 日頃私は、個人が生きていく知恵として「時間の長さを敵に回すな、味方につけろ」と書いている。それが間違っているとも思っていない。けれども歳月の長さというものは、私達を老いさせ、恩義のある年長者を順番に冥土に押し出していく*1。歳月の流れの中で人は生まれ、伸びてもいくが、死んでも行く。時の流れとはそういうものだったなと、今更のように思い出した。
 
 存命中、他界したほうの祖母に私は何度ありがとうと言っただろうか。お年玉をもらった、果物をむいてもらった、そういう折々に、形としてありがとうと言っていたとは思うが、祖母が生きていることをありがたいと思ったこと、祖母が自分を暖かいまなざしで常に見ていてくれたことに感謝を体感して、ありがとうと言ったことがどれぐらいあっただろうか。ひょっとしたら、なかったかもしれない。祖母のまなざしをあまりに当たり前のこととしすぎていた私は、こうして、死後、それも夢のなかでようやくありがとうを痛感したような気がする。罰当たりな話だと思う人もいるかもしれないが、これが私の有様だ。
 
 翻って、存命中の祖母に対してはどうなのか。彼女もそれほど先は長くないだろう。ありがとうと言える機会、ありがたいと恩義を言える機会が残されているうちに言っておきたいなと思う。さらに近づいて自分の両親はどうなのか。彼らには(おそらく)まだ時間はある。両親は、近すぎて、元気すぎて、ありがとうというにはいささか気恥ずかしい距離ではあるけれども、それでもあと十年後二十年後にまだ生きているのかは定かではない。「親孝行が出来るのは親が生きているうち」とはいうけれども、そろそろそういう事を考え始めてもいいのかもしれない。いつか、親が生きていない時間を生きていく日が必ず来る。その日が来る前でなければできないこと・伝えられないことを、やっておくべきだろう。死んでからでは、こうして夢のなかでありがとうを伝えることしか出来ないのだから。
 
 2013年にやりたいこと。今年は家族にありがとうを多く言える年にしたいなと思う。ばあちゃん、ありがとう。生きている人達とは、もっとたくさん話をして、もっとたくさんありがとうを言ってみる。
 

*1:現代社会の欺瞞によって忘れられているが、実際には私達の命はとても儚いので子や孫が先に冥土に旅立つことが絶無というわけではないけれども、それは今は措いておく